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 八木敏和、十四歳の夏休み。 寮に入って初めて、長期休暇の帰省先が出来た私は、少しだけ浮ついた心で荷物をまとめ、息苦しい部屋から久しぶりに出ることが叶いました。

 電車を乗り継ぎ、三時間。 祖父の家は田舎の山奥。 記憶の中の祖父の家はいつも広い庭に庭師さんが居て、キラキラ輝く洋館でした。 けれど、数年ぶりに訪ねた其処は、間違えたかと思うくらい、古く汚れきっていました。

 出迎える黒い鉄製のアンティークな門は錆びれて蔦を巻き、開閉が鈍くなっているせいか、だらしなく半開きとなったままでした。 建物まで続く庭は雑草が高く背を伸ばし、変な虫やちくちくする草に刺されながら、唇を噛み締め進みました。 ようやくたどり着いた玄関扉がやっと記憶と合致し、肩の力を抜きました。 黒い外壁に三角屋根。 そして、まるで教会のような装飾があしらわれた、大きな玄関扉。 汚れや劣化などに目を瞑れば、此処は間違いなく祖父の家でした。

「お邪魔します、敏和です。」

 チャイムを鳴らしてそう言うと、忙しない足音と共に扉が開いて、息を切らした緑さんが出迎えてくれました。 たくさん歓迎の言葉を受けたけれど、祖父の出迎えはありませんでした。 もしかしたら私の心と体がちぐはぐなことを知って、皆のように気持ち悪いと避けているのかもしれない。 そんな考えばかりが頭を過ぎり、また大人は私を見捨てるのか、と重たい気持ちが胸に圧し掛かりました。

「早速ですが、敏和坊ちゃんに話さなくてはいけないことがあるのです。」

 緑さんは大きなシャンデリアのあるリビングに私を通すと、私と同じように重たいものが圧し掛かったみたいに、口を開きました。

「旦那様のことです。」

 私は、やっぱり、と泣きそうになりましたが、告げられたのは、予想とは全く違う話でした。

 母が亡くなる、少し前。 祖父は交通事故に遭いました。 幸い一命は取り留めましたが、なんて残酷なことでしょう。 あの、誰もが美しいと賞賛した顔に、大きな大きな火傷を負ってしまったのです。 更にガラス片が目に入り、両目を失明。 不自由な体となってしまいました。

 そして、そんな自分に悲観してしまったのか。 原因はわかりませんが、祖父の精神は記憶ごと十七歳まで戻ってしまいました。 つまり、今の祖父は十八で結婚したことも、二十で子宝に恵まれたことも知らない。 当然、その子が子供を産み自分は祖父になったことも、そして愛しい妻も一人息子も、さらにはその息子の嫁さえも、冷たい墓石の下で眠っていることも、知らないのです。 私に会っても誰かはわからないし、祖父にとっては見知らぬ赤の他人なのです。

 それでも良い、と私は言いました。 悲観や絶望は微塵も感じませんでした。 心と体がちぐはぐなのは、私だってそうだからです。 祖父にとって知らない人ならば、今から出会えば良いのです。

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