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 脳みそが現実に着いて来ず、首を傾げるしかできなかった私と対象に、母はとにかく暴れて泣き叫んで、わんぱくな子供のようになりました。 お坊さんのお経中ずっと叫んだり、お焼香をひっくり返したと思うと今度は食べ始めたり、遺影に落書きしたり。 何度も何度も祖父と英語で喧嘩して、父の葬式は、音だけ聞くとまるでお祭りのようでした。 大袈裟なくらい感情が豊かな人でしたから、きっとそうしないと居ても立ってもいられなかったのでしょう。

 父は言葉通り骨だけになりました。 祖母は真っ白な骨だったのに対し、父の骨はピンクと緑の斑模様で、何かのおもちゃのようでした。 そんな父を目の当たりにしても、父の言葉は理解できず、何故その言葉を私に伝えたのかは、未だにわからないままです。

 母は父が立派な墓石の下でゆっくりと眠りについても尚、子供のままでした。 家事は当然、自分の事すらも出来なくなり、アメリカの祖父母はこの年三度目の来日をしました。

 私は寮のある小中一貫の学校に転校させられ、母はよくわからない施設に入ることとなりました。 正直祖母の葬式辺りから毎日が年末のようで、私の頭は為すがまま、現実を実感する間も無く、いつの間にか歳を重ねているようでした。

 中学生になっても、母が迎えに来ることは愚か、姿を見ることさえ許されませんでした。 毎週送る手紙の返事は無く、電話をしても奇声を上げるだけでした。 それでも、学校に話し相手など居なかった私は、聞いていないのは承知で、懸命に話し掛けました。

「今日、小テストで百点だったんだよ。」

「ナップサックを作ったんだ。 母さんが好きなピンクのお花のにしたから、送るね。」

「母さんの作った、シナモンのクッキー。 また食べたいな。」 

 受話器の向こうから聞こえるのは、いつだってよくわからない奇声でした。

 でも、あの日。 私の住む町では記録的な大雨が降った、あの日。 珍しく、いいえ、初めてでした。 初めて、母のほうから電話が来たのです。

「海へ行くの。」

 それは、大人だった頃の声でも、いつもの奇声でもない。 私の知らない母の声でした。

「海が見たいの。」

 それはもう、子供は眠るような時間。 でも、受話器の向こうから微かに波の音が聞こえて、夜の海の匂いが届きました。

「海に居るの?」

 私がそう問うと、とても無邪気な声で、

「ロクショウサンだから、大丈夫よ。」

 そう言って、電話が切れました。 母の、最後の言葉でした。

 母の体は海の中ではなく、砂浜にあった流木に凭れ、血に染まった左手以外は本当に綺麗な姿で眠っていた、と聞きました(私が母に会えたのは、綺麗にしてもらって棺桶に入れられてからでした)。

 母が取った不可思議な行為は全て、幼くなった精神のせいで片付けられました。 母の葬儀は片手で間に合うほどの人数で、六畳ほどの室内で行われました。 母はすぐに骨になり、まるで何かから隠すように墓の中に入れられました。

 私を引き取ったのは、父方の祖父でした。 アメリカの祖父母も私を引き取ると言ってくれましたが、英語が嫌いなので、日本のほうを選びました。 もしも私が英語好きならば、もしかしたら、こんなちぐはぐな私をもう少し受け入れてもらえて、ちぐはぐなりに幸せに生きたかもしれませんね。 そればかりはもう、知るすべも無いことですが。

 少なくとも、祖父は。 父方の、あの美しい祖父は、穏やかで幸せな余生を過ごせたことでしょう。

 当時、私は中学三年生でしたので、とりあえずは寮でそのまま過ごし、高校は祖父の家から通える所へ進学する、ということで話はまとまりました。 けれど、祖父とは父の葬式以降一度も会っていなくて、母の葬式すら欠席し、引き取る話をしてくれたのも全て、お手伝いの緑さんでした。 その理由も知らずにいた私は、大好きだった祖父にどこか不信感を抱いていました。

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