第4話 7月7日

冷房が効きすぎた大教室で、ぼんやりと講義を受ける。

この授業の試験はどうせレジュメの穴埋めだから、講義なんて聞いていなくても問題はない。

読みかけの本をぱらぱらめくる。

5,6列前には龍樹が居る。いつもと同じモノトーンの服装と少し長めの黒髪。

この授業は法学部必須科目なので、だいたい龍樹を発見することができるが、彼はいつも熱心に授業に聞き入っていた。寝ているところなんて見たこともない。 実際、龍樹も律子も法律サークルに入るくらいなので法曹を目指す真面目な部類だが、その中でも龍樹はさらに本気勢だった。

それに比較し、律子は今日もこうして、龍樹の後ろ姿をぼーっと眺めている。


一昨日、月曜日。大教室で自分の2つ後ろに座っていたのを一瞬見たのが1回。昨日、火曜日。彼は隣の教室で授業を受けているから、たまに階段か廊下で会えるけれど、一度も会えなかった。

今日、水曜日。一時間半、彼が視界に映る。だけど決して振り向かない。完全に思い込みだが、律子を拒否する後ろ姿。

通路側に座っているから通る時視線が合うこともあるけれど、迂闊には話しかけられない。多分この授業が終われば地下にある学食に行くから、いつもの通り、そこで2回くらいすれ違う。でもそれだけ。


明日、木曜日。二人とも授業はないから学校には行かない。翌日、金曜日。唯一龍樹と喋れる時間。でもこの授業は残り1回。絶望的観測。土曜日。サークルの日。この時間は龍樹を意識しないように努力する。なるたけ視界に入れない。

一言二言言葉を交わすときも有る。飲み会があるとその率は上がる。ささいな事を、数える。龍樹の一言一句に一喜一憂する。

物思いの半分以上は彼のことなのに、彼はきっと律子のことなんて考えもしないのだろう。

恋とはこんなに悩ましいものだっただろうか。毎日大学に行くたびに胃が痛くなり、頭は始終そのことで埋め尽くされる。

胸が締め付けられる、なんてものじゃない。


女子高校で過ごした3年間は自分で思っていた以上に、そういう感情に対する免疫力を弱めていたらしい。

(恋はするものじゃない、落ちて患うものだ。)

この一説は何の本からの引用だっただろうか。全くもってその通りだった。馬鹿馬鹿しい。


あと一週間で授業は終了し、そのあと学生は試験の日以外、基本的に学校に行かない。休みに入ったら龍樹の姿をしばらく見られないし、ましてや喋ることなんてできなくなる。

切なくて寂しいけど、なんの策も立てられない。思考回路が侵される。


そうこうしているうちにあっという間に金曜日になった。龍樹の横に存在できる最後の授業。何を喋ればいいんだろう。

「夏休みに龍樹に会いたくなったらどうしたらいいの?」

そんなこと俺に聴くなよと返されるだろうか。

真っ直ぐな好意を向けているつもりだ。龍樹は律子にこれっぽっちも興味がないくせに、好意を持たれる自分が好きなのだ。彼も彼で恋愛経験に乏しく、付き合う気のない女子に無駄に好意を抱かせたまま放っておくと始末が悪いことをまだ知らない。


講堂の入り口入ったすぐのところで、律子はぼけっと突っ立っていた。授業開始時間3分前になっても龍樹の姿はない。面倒くさくなって授業を休むつもりだったのか、単に寝坊したのか、それとも隣りに座られるのが嫌だったのか。

隣で受けられる最後の授業だったのに。切なくなって俯く。教授が来たので、仕方なく律子は近くの席に座る。自分が先に座ってしまうと、後から龍樹がわざわざ律子の隣に座るなんてことはしない。だからいつもこの授業はギリギリで教室に来て、5分前には必ずいる龍樹を探して隣を陣取っていたのだ。


チャイムが鳴った瞬間、ふと顔を上げると貴方が息を切らせて来た。ごく自然に、律子の隣に座る。 それはとても嬉しいことだった。

「外で昼食べてたら遅くなった」

授業後、レポート提出の話や、明日のゼミの話など他愛ない事を少しだけ喋る。

「夏休みは実家に帰るの?」

「うん、まあ一週間位」

ここ最近、控えめに話すようにしている。無意味な事を喋るな、と龍樹の視線が言うから。

「そういえば、花火大会に誘われた」

「地元の子?」

ゼミの子、だと龍樹は答えた。友人の知り合いだと言う。

「まあそのとき俺は実家帰るから無理なんだけど」

その話をなぜ、自分にするのだろうか。彼は律子の感情に、気づいているのに。

「いいなぁ、私とも遊ぼうよ」

ラブもコメディも無い夏なんてつまらない!私じゃラブは無理だけど、コメディならいけるかもよ?

頭がうまく回らない。言葉は勝手に滑り出る。 緊張すると、口から先に話してしまうのだ。だから嫌だったんだ、余計なことを喋らないようにしていたのに。


龍樹はやはり女の子にもてる。今更だけど痛感した。きっと律子なんて言い寄る女子のひとりに過ぎず、取るに足らない存在なのだ。

教室を出ると、隣の部屋で授業を受けていた桜子を発見し、龍樹はわざわざ彼女に声をかけた。龍樹が、進んで女の子に話しかけるのなんて見たことがなかった。

2人は仲良く笑う。律子は蚊帳の外。

きっと龍樹は、彼女みたいな人を好きになるのだろう。からかうと拗ねた顔を見せる、美人の女の子。趣味もそこそこあって、自分の話に興味を持ってくれる女の子。


桜子は、律子が龍樹のことを好きなのを知っている。だから気を遣ってこちらをチラチラ見るのだが、律子はいたたまれなくなってその場を何も言わずに立ち去った。


律子には、どうすることも出来ない。 放課後のゼミは、男友達と2人で出席した。

雨が降る。

意味もなく相合傘をして帰る律子たちを見て、龍樹は何か思うだろうか?


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あなたとわたしのやるせない恋 街子 @tokyomidnightlovers

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