第3話 6月17日

律子は龍樹とひとつだけ同じ教養科目を取っている(もちろん学科は同じなので、必須科目はいつも一緒だが、全員一緒なのでグループで行動するので旨味がない)。

いつも、拒まれないかと心臓をドキドキさせて龍樹の隣に座る。

前期後期で時間割は変わるから、この授業も今日を入れて残り2回。

隣りに座ると言ったって、少しお喋りをしてあとはお互い授業に没頭するだけの不思議な時間なのだけれども。割と面白い講義で、真面目に受けていた。

そのためいつもあまり目が合わないのだが、なぜか今日は3秒くらいこちらを凝視した。髪を切ったことに、気づいてくれたのかな。

龍樹をこんなに近くに感じて、でも決して触れることのできない距離感に切なくなる。少し手を伸ばせば、確かにそこにいるのに。


帰り道はいつも一人だ。

少し強くなってきた日差しを窓ガラス越しに感じて、電車に揺られる。手提げの中には図書館で借りた文庫本と、母が作ったお弁当。

映画や小説で異世界の刺激を間接的に得て、平穏な日々を遅れればよかったはずだった。生活自体は前と少しも変わらないのに、この感情ひとつですべてが変わってしまうことの、なんて恨めしいことか。

恋愛って怖い。というか、ここまでどうにもならなさ、を味わったことが人生で今までなかった。自分は恋愛経験に乏しいことを初めて自覚したのだった。


1年飲み(サークルの大学1年生だけで集まる飲み会)に参加したのは20人足らずで、結局それはいつもと代わり映えのしないメンバーだった。

目の前に居ると話しかけたくなってしまって、余計なことを口走りそうだったから龍樹とは離れて座ろうとした。

だけど後発のエレベーターから降りたら席は埋まっていて、一緒に乗っていた龍樹と律子は致し方なしに同じテーブルに着いくことになった。

1つ置いて斜め前。今日は、一目惚れして買った新品のワンピースだし、慣れない化粧もした。美容院に行ったばかりなので、髪型も問題ない。

だけど、龍樹と目を合わせられない。

隣に座った桜子は、いわゆる可愛い女の子で、しかもその見かけに反してユーモアに富んだ性格だった。

彼女は親しげに、流れるような自然な会話で、龍樹や他の人を笑わせる。

龍樹が浮かべるおどけたような表情や、彼女をからかう時に見せる笑顔は初めて見るものだった。決して律子には向けられない。

律子はただ、曖昧で引きつった笑いを顔に張り付かせて、相槌を打つことしか出来ない。自分の発言で会話が途切れてしまうことや、場が白けてしまうこと、龍樹が呆れてしまうことが怖い。お酒をそそぐ時だって、龍樹のグラスだけ避けてしまう。

いつからこんなに弱くなったのか。

律子は意識しまくりなのに、龍樹はなんの気なしに話題をふる。

「おまえは猫をかぶるよな」

それは泊まった日の律子を指すのだろう。好きな男に愛されたいと思って、可愛く振る舞うのは仕方がない。しかし確かにそれは素ではない。

「それが地だもん」

膨れてみせる。あの2回の夜がなければ、龍樹は律子を普通の女の子として扱ってくれたのだろうか。最近律子に対する龍樹の態度は、女子に対する配慮や気遣いが欠けていた。(今思えばそれは、自分を好きな女に対するぞんざいさだったんだろう)

―冷たい視線。軽蔑の目。

それとも自意識過剰だろうか。結局今も、龍樹にとって自分はただの同級生なのだろうか。でもこの中で、というか彼にとって、一人暮らしの自宅に最初に泊まった女は自分しかいないという確信はあるのだ。どうせ可愛くないと思われている以上、正攻法で戦ったって勝ち目はない。だから自分の行動は正しかったと位置付ける。


居酒屋を出ると、龍樹の隣には桜子が自然と寄り添っていた。2人を取り巻く空気はとても似ていて、美男美女であり、お似合いだと、誰もが思うだろう。魅力的な友人を羨ましいと思うのと、嫉妬するのとは、どこが境目なのだろう。

律子は自分の表情を見られたくなくて、彼らの先を歩いた。自分は今、どんな表情をしているのだろう。

化粧はもう、落ちている。

ひとりきりで山手線の電車を待っていると、2つ下の妹から彼氏が出来たとメールがきた。

―いいな、告白してみようかな。好きです、付き合ってくださいって。

そんなの馬鹿げている。 龍樹は律子の想いを既に知っているし、どうせまたmixiに書かれるか、彼の友人との間で笑われるだけ。

告白してすっぱり諦められるならそれもいいかもしれないけれど、そんな感情だったらとうに捨てている。

どうしたらいいんだろう?

夏は目前なのに、ただ日差しだけが肌を焼き、自分は何も出来ない。


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