「夜汽車」
柱時計が十一時を打ちました。毎晩、九時にお父様とお母様におやすみの挨拶をする私は、その夜の計画に胸をときめかせていました。愛しい人が、私たちの仲を認めてくれない両親を出し抜こうと、駆け落ちを提案したのでした。
けれど本気で駆け落ちするつもりはありません。数日でも、一週間でも、私たちが本気で互いを思っているのだということを見せつければ、きっとお父様とお母様もわかってくださるはずだと。
ベッドからこっそりぬけだし、私が用意できる少しばかりのお金と着替えとお化粧道具をボストンバックに詰め込んで、前もって靴箱から持ってきた靴を履き、庭に面した窓から芝生に降り立ちました。
なんてドキドキする瞬間だったでしょう! はじめて両親に背いている私! しかもなんて大それたことを! 駅までの時間は何度も歩いて計ってわかっていました。けれど、私はいつもより早足になっていて、その計算も狂っていました。
切符を改札に出し、パチリと穴が空けられると、その音が私の中に響きました。しかし切符を切る音だけが私に響いたわけではありませんでした。時計の鳴る音も、ボストンバックのジッパーの音も、窓を開けた音も、芝生に降りた音も……。すべてが私の心に響きました。
そして思い出しました。彼にはじめてあったときのことです。私が友達と話しているときに枝を踏む乾いた音がして、振り向くと彼がいて私を見ていました。彼は本のしおりに鈴をつけていて、それが鳴る音が素敵でした。
私はホームに駆けていきました。時計は十一時十五分を指していて、あと十五分でこの辺りで一番の街へ向かう最終列車が出ます。
彼も待っているはずでした。私は彼の姿を探します。彼は二等車のところで機関車の吹き出す蒸気に飲まれて立っていました。私が彼の名前を呼ぶと、彼も笑顔で手を振りました。
「さあ、乗ろう。もうすぐ発車だ」
コンパートメントに私たちは落ち着こうとしました。といっても、大きい荷物は持っていませんが……。
「汽車ってこんな風になっているのね。はじめて乗るの」
彼は私に大事な話があると言いました。
「君につらい思いをさせないように僕はがんばって働くつもりだ。だけど、君も……覚悟はして欲しい。いいね?」
私は彼の言葉に、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づきました。そのとき、発車のベルがけたたましくなり、列車が動き出しました。
「私、そんなつもりじゃ……。ただ、お父様やみんなにあなたのことをわかってもらいたくて」
彼は悩ましい顔をして、髪をかきあげて言いました。
「僕をわかってもらう!? こんなことをしても僕はなにもわかってもらえないよ! 最終列車に乗った瞬間から、僕には帰りはないんだよ」
動き始めた列車のドアを開けて、彼は私をホームへ降ろしました。私は動く地面につまづきました。けれど、彼は降りてきません。
「降りて!」
私は彼に叫びましたが、彼は口を一文字に結んだまま私を見ていました。汽車の走る音は私には聞こえませんでした。ただ彼が睨んで、次第に遠ざかる姿が無音の中に浮かび上がりました。
※この物語は小説「十一の運命」の原案です。
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