「ドライブ」

 朝の八時に、私はつまみでチューニングする旧式のカーラジオに苦戦していた。その日、私はどうしても時間までに広大な田園の先にある取引先に行かなければならなかった。

 ガソリンも十分、バッテリーだって問題なかった。けれどパンクするのは予想外だ。この道を週に何度か、もう十年以上走っているけれど、こんなこと一度だってなかった。

 JAFを待ってはいられなかった。私は近くの集落に走っていき、車を買してくれるように頼んで回った。みんな早朝の仕事が終わった後で、家にいた。けれど資産である車、とりわけ街から離れた農村に暮らす人々にとっては簡単に貸してくれるわけもなかった。

 私は歯ぎしりしながら、けれど急いでいる様子以外にはできる限り真っ当な人間として振る舞い、次々民家を回っていった。

 ただ一人、老婆だけが私の願いを聞いてくれた。車庫からオンボロの、しかし村にあるにしては型がいい真っ赤な軽自動車を出してきた。

「二万だね」

 ──に、二万! 円も?

 ──ドルでもええよ。まあ、手頃だろう? どこらまでいくんだね?

 ──X街まで……。

 ──じゃあ片道一時間だねえ。滞在中はまけておくから、往復で四万でいいよ」

 私は有り金を見事に渡すことになってしまった。

 しかしガソリンメーターもそこそだし、エンジンも調子がよさそうだった。(老婆はガソリン代について何も言わなかった)。

 ただ、老婆の趣味は三十年前で止まっているらしく、装備は貧弱ではあった。それでも、すぐそこには私の車が乗り捨ててあるし、道はいつも通るところだし、問題などなかった。



 時間はだいぶ押していた。けれど、間に合わない訳じゃない。私はいつものラジオを聞いて気を落ち着けようと、つまみを回していた。格闘の末に、なんとかチューニングは合った。

 ラジオでは朝の占いコーナーが陽気に行われていた。

「……へ、なにがラッキーカラーは赤だ。ずいぶん高くついてるじゃないか」

 目の前の田園の下に広がる赤いボンネットを見ながら私はつぶやいた。

 街に入るとラジオはまた不安定になった。窓から手を伸ばしてアンテナを手で伸ばしても、つまみを微調整しても選局できなかった。

 道を走りながらギリギリしていた私は、自転車走行可の歩道を走らない老人の自転車がよろけてきたのに気づかなかった。そしてその老人の自転車に軽くかすってしまった。

 ──なんてことだ! いったいなんて日なんだ!

 私はすぐに車を止めて後ろを振り返った。赤い──それはそれは紛れもなく赤い血が老人の頭部から流れていた。私の中でも赤い血がスッ…と引いていた。

 その後、私は仕事どころではなくなり、とにかく病院や警察へ連れ回され、なにがどうなったかわからなかった。

 やっと我に返ったのは、あの車を貸した老婆の話になったときだった。

 警察署で私は聞かされた。

「あんた、とんでもない人から車を借りたもんだね。自賠責すら入ってないよ」

 私の悪夢はこうして始まった。始まったばかりだった。

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