「本に挟んで忘れた押し花」

 久々の休日のこと、私はガレージの掃除をしようとしていた。排気ガスの微粒子が積もったガレージ特有の埃っぽい空気を吸っていると、しばらくして咳が出てきた。これが一番、嫌いだった。その上、咳には私が次第に年を取っていることを自覚せざるをえない年寄りくさいモノからまっていて、それが何より自分で自分をいらつかせた。

 このガレージの空気には前々から納得がいかなくて、今日こそは駆逐してやるぞと思っていた。けれど、ガレージに眠る家族の思い出に触れると、自然そちらに目が向かった。どんな家庭のガレージにも思い出というものが眠っているのだ。そう、つい目にしてしまい、昔を思い出してしまう魅惑の記念品であふれている。

 ガレージはまず、入り口に冬用のタイヤやジャッキが積まれていて、その奥へ進むのを阻んだけれど、息子が子供時代に使ったもうサイズの合わないスキーや、夏場に挑んで結局はあきらめたスケートボード……そんなものを見つけたりすると、私の心は若い頃の父親のそれに戻った。

 それから妻が若い頃に描いて、おそらく本人も忘れているだろう絵が見つかった。当時、彼女は自慢げに額に入れて見せてきたものだった。あのころは、額の方が立派じゃないかと私は笑って彼女をいじめてやったものだった。しばらく眺めていると、なるほど、今なら私も納得がいく作だと思った。

 かつては妻も私も若く、彼女があんなことになるなんて思ってもいなかった。しかし彼女との思い出は、もちろんずっと昔のことだった。今更思い出しても……。私はセンチメンタルになり、また彼女の絵を眺めた。しばらく掃除をしようとする手が止まってしまった。

 それから隣に、本が詰まった段ボール箱を見つけた。一冊なんとなく手に取ってみて開いてみると、しおりがはらりと落ちた。このしおりについても私は覚えていた。ふたりで草原に行ったとき、彼女が見つけたクローバーを押し花にしたものだった。

 ガレージのコンクリートに無惨に舞い降りて埃にまみれたクローバーを見て、私は思った。なんと人生は儚いものだろう! ときの流れは残酷だろう!

 あのとき愛した君はもう、いない。戻らないあの日の笑顔、二人の時間。私はずっと君を忘れはしない。私の心の押し花は、あの日にこのページに挟んだまま、そのままだ……。



「ねえあんた、今日こそはガレージの掃除をするって言ってなかったかい?」

 ──そうだね、ごめんよ母ちゃん。

 私は年老いて太り、ますます横暴になる妻にへこへこと愛想笑いをして、自分の空想旅行から生きた現実へと帰ってきた。

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