中学校2年生
中学二年、三学期の終業式も終わり、解放感にあふれた教室でふいにその知らせはもたらされた。クラスメイトの驚く声に困ったように微笑んで、少女はすらすらと別れの言葉を述べた。HRが終わって、涙声の女子に囲まれながら、彼女はやっぱり曖昧に微笑んでいた。
それはあまりにも急な出来事で、急過ぎて、その速さに追いつこうとするように僕の心臓は痛いほど鼓動を速くした。それなのに、昨日まで15センチ離した椅子に座って本を読んでいた彼女がすごく遠い存在になってしまったように思えて、僕はその場から動けずにいた。遠慮したように去っていくクラスメートの姿が目に入るけれど、それもどうでもよかった。自分の心がぐっしょりと雨に濡れた砂のように重たくなっていくのがわかった。情けない自分を嘲笑おうとするけれどそれさえうまくいかない。心臓が高鳴るのは、次の動作を素早く行うための予備動作じゃなかったっけ? しっかりしろ、僕の心。
「こら、しっかりしなさい」
その言葉を聞いてやっと身体が動いた。ゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちなくゆっくりと顔を上げると、彼女の怒ったような困ったような顔があった。
「男でしょ。しっかりしてよ」
さっきみんなの前で話していたしっかり者の彼女とはまるで違う声。ぎゅっと心臓がつかまれるような息苦しさを感じた。ふいに彼女が泣きそうな顔になった。
「泣きそうな顔してる」
彼女はそういった。その文の主語が僕なのか彼女なのか、よくわからなかった。あるいはその両方なのかもしれないと僕は思った。そう思ったとき、彼女は顔を背けた。そうだ、いつも僕よりも彼女の方が先をいっている。僕よりも彼女の方がずっと先に物事を理解して、ずっと先に心が動いているんだ。僕はそんな彼女を見てられなくて彼女とは反対の校庭の見える窓際に向けた。窓からは旧校舎にある図書室の窓も見えた。それらの光景もあといくばくもしないうちに夕焼けに赤く染まるだろう。僕らはもう、昨日までのように図書室に並んで座ることはないだろう。
「ねぇ」
僕は振り向けなかった。
「ねぇ、こっち向いてよ」
声は震えていた。勇気を振り絞って、顔を上げると彼女はいつものように少し怒ったような顔をしていた。でもそれが怒っているのではないことを僕はもう知っていた。
「やっと向いてくれた」
そういって彼女は強がるように頬を膨らませた。
「ねぇ、私にいいたいこと、ない?」
恥じらうような笑顔が愛おしかった。震える体を抱きしめたかった。もっと一緒にいて本を読む姿を眺めたかった。でも、僕が言えることは一つだけしかない。
「……好きだよ」
「……うん!」
その一言を確かめるように彼女はうん、うん、と何度も繰り返した。笑顔でうん、うん、と何度も頷いた。その笑顔は僕が今まで見たどんな笑顔よりも美しくて、でもその瞳から溢れ出るように涙がこぼれた。そのしずくをすくおうとして僕は手を伸ばした。その爪先に水色のものが触れた。
「ダメ。15センチ」
彼女はまた怒ったような顔で僕をじっと見て、それからすぐに表情を和らげて、いたずらっぽい瞳を僕に向けた。定規がくるりとひるがえったかと思うと、僕の鼻先に突きつけられた。
「あげる」
「どうして? 大事なものじゃないの」
「うん、そうだよ。そうだけど」
指先ではじかれて定規は宙を舞った。屈折された光が薄暗くなりかけた教室内を乱反射する。僕は慌ててそれをキャッチする。
「私にはもう必要ない。だから君が持ってて」
僕が顔を上げて改めて彼女の顔を見た。いつの間にか教室には夕日が差し込んでいて、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
「次会うときにはね……私にはきっと、必要のないものだから」
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