中学校2年生

 その少女はいつだって本に夢中だ。長く伸ばした髪はポニーテールにまとめて、彼女は分厚いハードカバーの本に視線を走らせている。閑散とした昼休みの図書室は読書する場所としてはベストなのだけれど、少女はときどきやってくる司書教諭に怒られていた。彼女は図書委員で、本来貸し出しの受付の仕事をするためにそこに座っていたからだ。たまにやってくる貸し出し希望の生徒の相手は、同じクラスで同じ時間帯の受付を担当する図書委員である僕の役割になっていた。それでも時に珍しく何人か一緒にくることもあって、そのときは小声で声をかけて手伝ってもらうようになっていた。彼女は前髪を少し邪魔そうにかき分けると、最小限の動きで貸し出しカードにゴム印を押し、それから小さな声で貸し出し期限を伝えた。そうして最短で貸し出し業務を消化するとまた手元に視線を戻してしまうのだった。

 僕は窓を開け放った。春先のさわやかな風が吹きこんできた。春一番だろうか。彼女もこんな気持ちのいい日くらい桜でも眺めて過ごせばいいのにと僕は思う。風に目を細めながら欠伸をして、それから室内に目をやった。陽光と影のコントラストが美しく図書室内を演出し、さらにはピンク色の花びらがそれに彩を添えていた。あちらこちらに余すことなく飾りつけられていた。僕は前髪についた花びらをつまんで、ため息をついた。もちろんそれは美しさに息をのんだわけではなかった。

 ちりとりに集めたピンクの群れを窓から捨ててカウンターの中に戻るとまだ掃除していないところがあったことに気が付いた。紺色のセーラー服の襟元にちょこんと乗っかったそれは可愛らしかったが、僕はやれやれと息をつくとそのひとひらをつまんで取った。


「……っ! なに?」


 急に顔を上げた少女に面くらいながらも、僕は指でつまんだ花びらを見せた。彼女がなぜかこちらに手を出してきたので、僕はその15センチくらい高いところで指を離す。ひらりひらりと翻って、花びらは白い手のひらに着地した。


「……押し花にでもする」


 そう言って、反対の手にあったハードカバーの真ん中あたりのページに花びらを閉じた。


「本に色が付くんじゃない?」


「私のだから、いいよ」


 それからまた静かに本を開いた。


「桜色にページが染まるのも素敵かもね」


「……ページ番号のところだけ桜色にする、とか?」


「いいね、それ」


 少女の思いつきに賛同の声をあげるが、当の本人は、ん、と短く返すだけでそっけなかった。それでも、花びらの位置をそっと変えたのを僕は見逃さなかった。


「ねえ」


「ん?」


「少し、近い」


 そういって彼女は本のしおり代わりに使っていたさわやかな水色の定規を自分と僕と椅子の間にあてた。少女の椅子の端に定規の端をぴしっとあてると、確かに僕の椅子は14センチくらいの場所にあった。


「あ……ごめん」


 なんで謝っちゃったんだろうと、自分のとっさの言葉に戸惑いながら僕は少し恥ずかしくなってすぐに椅子を15センチまでずらした。それから少女は何も喋ることはなかったし、昼休みが終わるまでの間にただ一人の生徒も図書室を訪れなかった。時折僕は横目で彼女を覗き見たけれど、垂れた髪に隠れてどんな顔をしているのかわからなかった。制服の襟からのぞくうなじとページをめくる細い指が、春の陽光を反射して妙に眩しかった。

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