小学校6年生
6年生の修学旅行は長崎に行った。二日目は長崎市内のフィールドワークで各班ごとに計画を立てて、観光名所を巡るというものだ。
その途中、グラバー園を出たところで見知らぬ坂道に興味をそそられて勝手に歩き出した僕は見事、一人で迷子になった。迷子だ、とすぐに自覚はしたけれども、集合場所のバスの位置もなんとなくわかる程度には方向感覚には自信があったから慌てることはなかった。石の階段が何かの試練みたいに延々と続いていく道の途中にもたくさんの普通の家があった。毎日のようにこの階段を登ったり降りたりしながら生活する人たちのことを思うと、なんだか外国にきたみたいな気分になってワクワクした。一番高いところまで行ってみたくなって僕は駆け出した。百くらいまで数えた段数は途中でわからなくなって、いいや、と数えるのをやめた。大きくカーブしながら登る階段の先にふいに一人の見知った女子が現れた。彼女はひとりぼっちだった。
「あれ、迷子?」
僕は思わず声をかけた。
「迷子なら、そっちもでしょ」
言われてみて、確かにそうだと思った。僕は立派な迷子だった。
「でも、道がわからないんじゃないの?」
彼女は不思議そうに首を傾げて、それから少し恥ずかしそうに顔をそむけた。
「……道、わかるの?」
すごく小さな声だったから僕は、えっ、て聞き返した。
「だから、道! わかるのっ?」
今度は少し怒ったような声だった。初めからそのくらい大きな声を出してくれればいいのにと僕は思った。
「……あっちに、バスだよ」
しどろもどろになって答えた。その途端、ほっとしたように彼女がため息をついた。そんなに不安ならなんでこんなところまで来ちゃったんだろうと僕は不思議に思ったけれど、聞いちゃいけないような気がして聞かなかった。
「いこう」
階段の先を目指していたことは、もうすっかり頭からなくなっていた。彼女の手を引こうと手を伸ばしかけた。
「待って」
ストップ、というように手がつきだされた。僕は途中まで手を出した中途半端な状態で身体を止めたことになった。
「15センチ」
彼女がつき出した手と僕の手の間は確かに15センチくらいだった。
「おとうさんがいつもいうの。決まりはちゃんと守りなさいって」
むすっとした表情でそう宣言した。僕は意味がわからなくて、ちょっと混乱していたけど、すぐに5年生のときの話だと思い至り、その記憶力の良さと律義さにびっくりして思わず感心してしまっていた。そうして僕がぼんやりしている間にいつの間にか彼女はよいしょ、と立ち上がって、パンパンと自分のお尻を軽くはたいた。
「いこう。道、わかるんでしょう」
うん、と僕はうなずいた。それからは5年生の教室にタイムスリップしたみたいに二人とも無口になって、何も喋らないままバスの近くに着いた。彼女は同じ班の女子を見つけて、なにも言わずに駆け出していって、それからは僕と彼女との間には何もなかったみたいな空気になった。お礼くらい言ってもいいのにと、僕はちょっとだけ思った。
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