第5回 #匿名短編コンテスト・過去VS未来編

物語の跡地

 震える指が寒さのためとは思わない。裏に毛皮を仕込んだ手袋を外して十数秒で血の気が消え去ったとしてもだ。吐く息はランタンの光の中に白くこごる。石を組んだ壁へ素のままの指を伸ばした。表面にはびっしりと細かな線たちが入り組んで刻まれ、乏しい明かりに影を震わせている。遠い昔の誰かが遺したそれが、文字であることは容易に想像がついた。



 氷に閉ざされて久しい、古い町だ。岩ばかりの山肌に張りついた民家はどこも、陶片くらいしか落ちていなかった。土にも埋もれず壁を崩れさせもせず、氷点下が一年中続く気候も保存には適しているはずだが。疑問は街の中心にあるこの塔によって解かれた。最上階より一つ下にある小部屋が墓場と化していた。骨は折り重なって、交じりあうように積み上がっていた。表面にナイフでそいだような傷が見えた。食糧は足りるべくもないのだから当然か。

 人々はここに身を寄せ合って生き延びようとしたのだろう。可燃のものはなく、陶器や石の道具類だけがぽつぽつと打ち捨てられていた。

 岩窟めいた階段を上がった場所が広間だった。中心に焼け焦げがある。焚火の痕と見受けられた。灰の様子を見れば、どうやら紙に類するものらしい。周囲に転がる毛皮の塊にはきっと人間が、人間だったものが包まれているはずだ。彼らの神は知らないが目を閉じて祈る。


 顔を上げたとき、壁の模様に気づいた。寄ってみて文字らしいと気づいたときには寒さを完全に忘れた。右の手袋を外してランタンとともに左手に握らせる。氷よりも冷たい石に触れる。震えるのはもはや指だけではない。歯がカチカチと鳴った。

 燃える物はなにひとつ残っていない。暖をとるのに使ったのだろう。書物があったならそれも使ったはずだ。壁に言葉を刻む風習があったのかどうか。家にはなかった。塔のほかの部屋にも。宗教的な意味があるとすれば、ここが聖堂であるとするならあるいは。だが、神を祀るにしては文字の大きさや配分が行き当たりばったりに過ぎる。しかも踏み台も使わずに手の届きそうな範囲にしかない。彫り方も深かったり浅かったり安定しない。尚早ながら、結論を透かし見た気がした。


 熱が背筋を駆け抜けた。読めないけれどここにあまたの文字がある。滅びに瀕して遺された文字が。解くべき過去が眼前に広がる。改めて祈りを捧げた。彼らの行いに、そしてわたしたちの神に。

 感謝いたします。新しき物語をわたしにお与えくださったことを。

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