第2回 #匿名短編コンテスト・食編

石を食む乙女

 もとより砂漠を越えるなんて不可能だったのだ。さしたる装備もなく、隊列を組むこともなく。いっそ死出の旅のつもりで踏み入れて、乾いた砂と散るなら本望だった。

 だから、貴重なはずの水を頭から注がれている現状はひたすら解せなかった。相手が若い女一人だってこともだ。褐色の肌にくすんだ淡い薔薇色の髪は豊かに波打ち、瞳は髪よりも数段暗い。

「お、目覚めたな」

「……何者だ」

「困ったね。僕に決まった名はないんだよ。そうだな、今はローズとでも名乗っておこうか」

 女は自分の名付けに満足した様子で、背嚢から取り出した何かをコリコリと噛んだ。薄い結晶が寄り集まって丸くなったような形状で、周囲の砂漠と似たような色をしている。

「物欲しそうに見られても、君には食えたもんじゃないだろうよ。砂漠に産する永遠に枯れない花、君らが砂漠の薔薇デザート・ローズと呼ぶ鉱物だ」

「わたしは、あなたと同じ生きものを知っている……」

 石を食む乙女。すべてが満たされていた頃、わたしの傍らにいた彼女のことは鮮明に記憶している。結局は伯父のモノにすぎず、最後はどこぞの金持ちに買われていったが。

 しかしいま目の前にしている女とは印象がまるで違う。もっとこう、儚げで優雅で、洗練されていた。

「わたしの知っている子は、白い肌をしていた。髪も目も透き通るような空色でアクアマリンしか口にしなかった」

「それはおそらく、単一石種シングルの子だね。金持ちが囲って同じ種類の宝石ばかり与えるんだ。僕らは食べたもので容姿が変わってゆくから。何年も続ければ、人間好みのオンナノコの出来上がりってわけさ」

 ものを食べさせてはならないときつく言われていた理由がやっとわかった。事業に失敗して落ちぶれた我が家から彼女が消えた本当の意味も。

 金が尽きれば手放すしかない。人間どうしの関係よりもずっと脆弱なのだ。彼女とて、生きるためには多くの石を与えてくれる資産家のもとにいなくてはならない。

 ならばこの女は何だ。いっそ荒々しいほどの風貌に、自由そのものの口調。砂漠にわたしたち二人以外の姿はなく、つまり彼女を囲う主人はいないわけだ。強い日差しに肌を輝かせ、砂嵐に髪をなびかせる。落ちる影さえくっきりと濃い。

 察したように彼女は片眉を上げた。

「僕に主人はいないよ。野良で雑石ミックス。なんでも食べるし何処へでも行く」

 証明とばかりに足元の砂を掬って飲み干した。とたん、瞳に砂の色が混じる。もとの暗い薔薇色とは溶け合わず星のように散らばっている。

「砂なんて、味も素っ気もないけどね。宝石の方が味は上等なんだ。だからああいう子達のことも理解はしているよ」

「あなたたちには決まった姿というものがないのか」

「ないよ。でもそれは君たちだって同じじゃないか。食い物は生き物をつくる。生命の仕掛けこそ違っても変わらない真実ってやつだろう」

「わたしたちにとって肉体は取り替えられないものだ」

「これ以上は平行線だろうな。僕からしたら人間が老いるなんて、肌の色が変わる以上の神秘だし」

 唐突に差し出された手を思わず取る。力強く引き上げられ、砂の上に立つ。肌は意外にも温かく柔らかだった。アクアマリンの彼女はいつも冷たい指をしていたのを思い出す。

「僕はオアシスまでの道を知っているが、どうだい? ついてくるならそれでよし、野垂れ死にたいなら捨て置くまでだ」

 さっさと歩き出した彼女ローズの背を追う。石を主食としながら、やたらと生命感に溢れているのに興味が湧いた。一度救われてしまったなら、さっきまでの死んでしまいたさは既にどうでもよかった。


「目や髪や肌は、食べた石の色をうつすのか」

「そうだね」

「その髪は砂漠の薔薇デザート・ローズじゃないだろう。あなたが口にしていたものも、砂よりすこし白いくらいだった」

「君が元気にお喋りしているのは良いことなんだろうな。助けたのを後悔しそうだが。髪はたぶん紅石英ローズクォーツだよ。安く手に入ったんでたまの贅沢に齧っている」

 ぼやきながらも、出して見せてくれた。研磨されていない薄紅色の小石に歯型がついている。

「歯が丈夫なのだな」

「君らとは作りが違うよ。僕なんかはパンの噛み方がよくわからない。あんなぶにぶにしたもの」

 見た目こそ似ているが、わたしたちと彼女たちの間には限りない差異があるようだった。硬い石からしなやかな身体が作られるというのは不思議で仕方ない。一挙手一投足が気になってローズから目が離せなかった。


「着いたよ。案内はここまでだ」

 オアシスまでは案外近く、陽はまだ傾きはじめたばかりだ。市場バザールの人混みの中へ消えていこうとするローズの背嚢に手をかける。

「まだ何か用事があるのか? 悪いけど金は無いよ」

「違う。もう少し、一緒に旅をしてくれないか。行くあては無かったんだ。ただ今は、あなたの行く先を知りたい。あなたに許されるなら」

「僕は構わない。何をしてあげられるわけじゃないけど」

「あぁ、世話はかけない。行く先で日々の仕事でも見つけるさ」

 ローズは頷くと、にっと笑ってみせた。

 市場には様々の店が並ぶ。彼女が覗くのは当然ながら石を扱う場所だ。黒い岩に緑の粒が付着したものを見比べている。

「それは?」

「火山の石だな。母石は美味くないが、かんらん石が付いている。削いで食べても良さそうだ」

「かんらん石……ペリドットか」

「詳しいね。だが、こいつは宝石にはならないもんでペリドットとは呼ばない。ほらあっちが磨けば宝飾に使えるやつだ」

 指すほうには、緑の群生した大岩がある。最後にローズが手に取ったのは安価なものだった。

「気の遠くなるほど昔、このあたりは火山地帯だったそうだ。ああいう石が出るのもその名残だな」

 皮の厚い果物を歯でこそげるようにかんらん石を食う。左目はきらめく翠に変じつつあった。髪の一房も黄緑を帯びている。

「容姿が変わってゆくのは不思議だな。いつまでも見ていられる気がする」

「すぐに飽きるさ」

「そんな訳はない。そうだ、いつかあなたにペリドットを贈ろう。かんらん石でなく。そうして移りゆくところを見たい。生き物としてのあなたを」

「気が早いな。会って一日なんだが」

 好奇心と好意の間でゆれるわたしを、彼女は拒絶しなかった。生まれ変わりゆく髪が乾いた風をはらむ。

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