夜遅い時間の空気はどの季節でも、昼よりわずかに湿りを帯びているように感じる。ひやりとした欄干に手をかけて足下を流れる水路を眺める。薄暗い街灯を反射するばかりで、深さも水の透明度もわからない。

「先輩、卒業したらどうするんですか?」

 四谷くんが水面に目をやったまま訊く。わたしはなんてことないように答える。

「就職。もう内定出てるし」

「意外ですね。なんかもっと面白いことになるのかと思いました」

「どんなだよ」

 わたしは思わず苦笑する。

「四谷くん、君にひとつ言っておこう。学生でいられるうちは楽しんでおくんだぞ。モラトリアムは終わってみると死ぬほど眩しい」

「まだ終わってないじゃないですか」

「すでに寂しいんだよ」

 わたしは彼が思っているような特別面白い人間ではないのだ。たぶん、自由が、学生特有の無責任さがそう見せていただけで。ポケットの中からレジュメで作った紙飛行機を取り出す。そっと宙に放つと、暗い水路を下流に向かってなぞるように飛んで行った。

「先輩。俺、一年の頃からずっと先輩に憧れてました」

「そうか、それはありがとう」

 感情がこもらないように、静かに言葉を返す。

「四谷くん、そろそろ戻ろうか。飲みももう終わる頃だ」

 あいまいに笑ってみせる。ほら、つまらない人間だろう?

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