第3話「心懸」

 以来、敷地の南にある離れで勉強に励む志明の邪魔をしないよう、父娘と里竪の三人は、母屋でひっそりと身を寄せながら、それぞれができることをした。

 里竪は力自慢を活かして薪割りをし、山に行き街に出て食材調達をした。都育ちの彼にあれこれ指南をしたのは杜鵑の父である。

 杜鵑はというと――。

「やっぱりお酢が強めの方がお好みみたい。きっとお疲れなんだ。なら夕食はお粥にしてみようかな。でもお米だけじゃあ……」

「相変わらず思い悩んでいるようだな」

 肩越し振り返ると、厨房の戸口に、ざるいっぱいの山の幸を抱えた里竪が立っていた。

「一日中勉強されてるのに、あんまり召し上がられないから心配で。この間も具合を悪くされてたし、栄養が足りてないのかと」

「だがこちらに来てから少爺の顔色は随分よくなられたぞ。温暖で空気がいいことはもちろんだろうが、食事がよいことが大きい。その証拠に、だいぶ食も太くなられたし」

「これで?」

 向かい合って立つ二人の間にある机には、半分ほど残った皿が数枚並べられていた。

 「うーん」難しい顔で腕を組む杜鵑に、

「そう焦らずとも。半月足らずでこれだけ事態は好転しているのだから。正直こんな田舎に来る必要がどこにあるのかと思っていたが、今は本当に来てよかったと思っている」

 励ますように声をかける里竪。彼の、志明あるじに対する思いやりと、自分への気遣いが分かるから、時折入り込む失礼発言を杜鵑はすっかり聞き流せるようになっていた。

「こんなに旨いものを召し上がれないのは、少々お気の毒だとは思うがな。どうも幼少の折から、少爺は椎茸が苦手なようで」 

 ああそうだ。私も子どもの頃は、避けたり飲み込んだりしてた……里竪の言葉に何度も頷きながら、杜鵑はふと疑問に思い当たる。

「でも大人になったら味覚は変わりませんか? 私も今じゃ椎茸は大好物ですし……」

 言いかけてハッとする。

 もしかしたら今の蔡家では、嫌いなものを好きにする工夫をするために、材料を余分に用意するゆとりがないのかもしれない。だから志明さまは、ずっと色々なものを嫌いなフリをしていたんじゃないだろうか。

 いくら勉学に身を投じているとはいえ、家の窮乏ぶりに気づかないお人じゃない。だからこそ、昼夜問わず筆を動かし、本を開き、経文を唱え続けているのだ。熱があっても、咳がとまらなくても。

「分かりました!」

 杜鵑は里竪がびっくりするほど声を張り上げた。なんとか力になりたい! その思いが声の強さになったことに杜鵑は気恥ずかしさを覚えたが、それを振りはらうように、机の籠を奪い取るように抱えあげると、

「これから私、色々挑戦してみます!」


 その日の夕食、杜鵑はよくよく煮込んだおかゆとは別に、複数の小皿を用意した。甘辛く煮た椎茸、茄子の味噌炒め、大根の甘酢漬け……どれも細かく切り、ほんの少量だけ。

 その品揃えを見た里竪は困惑を見せたが、

「箸休めです。おかゆに合うように濃い目の味付けにしてますとお伝えください」

 杜鵑はにっこり笑って、料理を並べた盆を里竪に突き出した。

 本当は直接説明したり、ご様子を伺えたらいいんだけど……。

 間違いは起きそうにないと笑っておきながら、「用心に越したことはない」と、里竪は杜鵑を主に近づけさせなかったのだ。


「あ!」

 あれは、洗濯物を取り込んでいたときのこと。突然吹いた風がさらった一枚を追いかけて杜鵑が離れに近づいただけで、「いつのまに!」という素早さで前に回りこまれた挙句、もの凄い形相で睨みつけられたほどだ。


 それから数刻後。

 里竪が持ち帰った皿を見て、杜鵑は思わず、

「椎茸が残ってない!」

 手を叩いて歓声をあげる。うるさいとばかり里竪に睨まれ、両手で口を塞いだものの、浮き立つ心で空が飛べそうだった。しかも、

「『美味しかった』と伝えるようにと少爺が」

 とまで言われ、その嬉しさで、それからしばらくの自分が記憶に残らないほどだった。

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