20 奇跡の出会い

【SoL】ではまずカウンセリングを行い、わんこのカルテを作っていくらしい。カウンセリングではとても丁寧に念入りに、家族の要望やその日のメニューを決めていく。それだけじゃなくて、その日のわんこの体調や持っているアレルギーなど細かな相談もすべて聞いてくれた。


 そして施術室にワタアメが連れて行かれる。響花さんに抱っこされているワタアメは本当にいつも気持ち良さそうにしてる。なんてずるいやつだ。その後ろを俺はきょろきょろしながらついていく。

 施術室には見たことのない機械がたくさん並んでいた。ここでシャンプーするのかなと思わせる大きな水道や、ドライヤーやハサミなどを乗せた動くカート。その部屋の真ん中に位置する、響花さんの腰の高さほどあるテーブルにワタアメを乗せると、何かを取り出した。


「まずは爪切りからしようね、ワタアメ」


 そう行って響花さんはワタアメのもふもふを探り、爪を捜索する。


「爪綺麗に整ってるね~。光稀くんがやってるのかな?」

「あ、はい。あとは母さんも」


 また褒められた。やっぱり響花さんに褒められると、すごく嬉しい。

 しかしワタアメの爪を切っているだけだというのに、その仕事をする姿は本当に綺麗だと思った。真剣な表情から笑顔に変わり、そして集中した表情へと変わる。その繰り返しに、俺はワタアメではなく響花さんに夢中になってしまった。慣れた手つきでワタアメの爪を整えてくれる。一通り切った後はやすりで更に滑らかにしていく。

 お次は耳掃除。ぺろんとワタアメの耳をめくり、これまた見たことのない道具で耳を掃除していく。ワタアメ、気持ちがいいのかウトウトしている。耳掃除は俺やったことないけど、母さんがしてくれていたのかな。


「健康的なわんこのお耳はそれほど汚れないんだけれど……うん、ワタアメは綺麗だね」


 うう、響花さんが褒めているのはワタアメのことなんだけど、何だか俺が褒められているようですげー恥ずかしい。

 というかトリマーとしての響花さんから、目が離せない。本来であれば綺麗になっていくワタアメを見るべきなんだろうけど、働く女性ってどうしてこんなに輝いて見えるんだろう。本当にかっこいい。


「さて、じゃあバリカン行くよ」

「バッ、バリ!?」


 響花さんの口から『バリカン』という単語が出て、俺は思わず反応してしまった。そして響花さんはワタアメの足裏を俺に見せてくれる。


「ほら。毛がボーボーでしょ? 硬い小石とか異物から足裏を守るためにある程度の毛は残しておいた方がいいけど、伸びてる毛はちょっとだけ刈っちゃうね。全部刈っちゃうとツルツルしてフローリングで滑っちゃうし」


 俺はフローリングでツルツル滑って前に進まないワタアメを想像して「ぷっ」と吹き出してしまった。


「あははっ、光稀くん笑った」

「いや、そのっ。ワタアメの想像したら、あははッ!」


「いい笑顔だね。ホントひまわりみたいだ」

「……ッ!」


 俺は体をくねらせ笑っていたにもかかわらず、響花さんの言葉に変な体勢のまま体が硬直した。


「ずっと思ってた。光稀くん、名前の通り。本当に光り輝く笑顔を持ってる」

「え、と……。お、おと……は、さん」


「自信持って。光稀くん、キミすっごく眩しいよ。光稀くんはひまわりみたいにとても大きくて、暖かい人。あたしは、その笑顔に惹かれている人がキミの絶対近くにいると思う」


 な、なんだ……。なんだこの気持ち――

 抑えきれない。あなたへの想いが、溢れて止まらない。心臓が痛くて、苦しい。

 あなたはそうやって、いとも簡単に俺を夢中にさせるんですね。

 響花さんの何気ない言葉も、俺にとっては全部宝物だってこと、知っていますか?

 朝比奈さんがいるっていうのに、どうして……どうして響花さん――


「――えっ、光稀くん?」


 響花さんの手が止まる。

 俺は無意識に響花さんのエプロンを掴んで、引っ張っていた。

 はたから見ると、まるで子供がお母さんの服を掴んでいるような光景だろう。

 ただ普通の子供と違うのは、俺は恥ずかしさのあまり熱く火照った顔を隠すように俯いているということ。

 響花さんはもう一度、ぷるぷると手が震えている俺の名前を呼んだ。


「光稀くん?」

「あっ、あの! ご、ごめんな、さ……っ!」


 俺はそこでとんでもないことをしでかしていたのではないかと驚き、飛び跳ねた。エプロンを掴んでいた手を引くと、後ろに一歩後退りした。

 すると、響花さんの背中にあるわんこ用の大きな鏡に俺の顔が移る。俺、顔真っ赤だ……。困り顔に八重歯がむき出しになっている。女の子かよ。


「ん? 何かあった?」


 変な顔をせず、バカなガキだとも思わず、にっこりと微笑んで心配してくれる響花さん。優しい。本当に優しすぎます。


「悩み事があったら、お姉さんが話聞くよ?」


 ワタアメはパタパタとしっぽを振ってこちらを見ている。応援、してくれてんのかな。

 響花さんは俺の顔を覗き込んでくる。ち、近い。恥ずかしい。


「覚えてる? あたしの言葉」

「え、と……」


 ど、どのことかな。響花さんの言葉は全部頭の中の宝箱にしまっているはずなんだけど。


「重たい荷物はね、一人より二人で持つと軽くなるって言葉」


 その言葉。俺の好きな言葉。響花さんが俺に言ってくれた大切な言葉。

 俺の笑顔を太陽みたいって言ってくれた響花さん。俺がどれだけあなたの言葉に心踊らされ、喜んでいることか。でも、太陽のように眩しくて、ひまわりのように大きな心を持っているのは、俺じゃなくてあなたです――響花さん。


「……あ、あの」

「ん?」


「もし……、響花さんが、か、片思いしてて……それが叶わない恋だと知ってしまったとき……、響花さんは、ど、どう思いますか?」


 俺はなんて馬鹿なことを訊いているのかと思った。鏡に映る自分の姿が嫌で、下を向いた。それでも響花さんだったらどうするか、訊いてみたかった。


「うーん、そうだね。――大事にするかな」

「え?」


「その人を好きだと思う自分の気持ち」


 響花さんワタアメを撫でながら話を続けた。


「この地球にはね、本当にたくさんの人が住んでいるの。そんな中男女が出会い、恋に落ちる。それって当たり前のことかもしれないけど、とても素敵なことだと私は思ってるんだ」


 俺は俯いていた顔を上げ、響花さんの表情に見入った。


「その場所で、その時間に、その瞬間――そのどの瞬間もぴったりとタイミングが合って人と人は出会い、巡り合う。少しのズレがあるとなかったかもしれない奇跡の出会い。私はそんなタイミングで出会った人たちとの出会いを本当に大切にしている」

「奇跡の、出会い……」


 そう考えると、俺は相模原市の数ある学校の中で、あの学校に入学したからこそ侑に出会って、トーコに出会って、そして【frappé】で働く泉ちゃんに出会って、響花さんと出会った。

 そっか。これは全部、これまでの人生のタイミングが合っていたからこそ、出会うことができた奇跡なんだ。


「そう、人の出会いってそんな運命と偶然の巡り合わせなの。そんな中で誰かが誰かに恋に落ちるって、本当にロマンチックなお話じゃない? だからこそ誰かを好きになったこの気持ちは、大事にしたい。たとえ叶わない恋だったとしても、その人を好きになった気持ちに、嘘はないから」

「その人を好きになった気持ちに、嘘は、ない……」


「あはは、ごめんね。たくさん喋っちゃったよ」

「いえ。とても……とても参考になりました」


 やっぱり響花さんには、俺は色んなことを教えてもらっている。それは目先のことだけじゃない、この先の人生においてもすごく大事なことを勉強させてもらっているんだ。

 響花さん。俺は、あなたを想うこの気持ち――やっぱり大事にしていいってことなんですね。


「参考? へぇ~光稀くん。誰かに片思いしてるのぉ?」

「へっ!? あ、いや、あのっ!」


 しまった。変なこと言ってしまった。


「もうそこまで言っちゃったんだからそのまま恋の相談にも乗るよ~。さぁ白状しなさい」

「えええっ、えと、それはダメなんです、あの、ダメ!」


「いひひ。言わないとお姉さん襲っちゃうぞ~。ほらほら――きゃっ」

「響花さんっ、危な……っ!」


 俺に迫ってくる響花さんが何もない床に躓き、俺に向かって倒れ込んできた。俺は無心に響花さんの名前を叫んでおり、気付けば両手を伸ばし、迎える体制となっていた。響花さんが俺の体に密着する。俺はそのまますぐ後ろの壁に背中をぶつける。一瞬であり必死な状況。響花さんをうまく受け止められたか不安な俺の思考は徐々に動き始める。


「あいててて……、み、光稀くん、ご、ごめ――」

「いえ、響花さんこそ、大丈夫で――」


 俺たちは二人で顔を見合わせ、動けなくなった。


 その顔の距離は、お互いの息がお互いの顔に当たるほど近付いていた。響花さんの長い睫がぱちぱちと上下に動いており、ぷるんとした唇がすぐ目の前にある。

 俺は壁を背にしゃがみ込んでおり、その上から覆い被さるように響花さんが壁に片手をついている。そして更に俺の片手は響花さんの壁についていない方の手首をしっかりと掴んでおり、もう片手は響花さんの細い腰に手を回していた。

 ワタアメは心配そうにこちらを見ているが、高いテーブルから飛び降りることができずに、その場をぐるぐると回っている。

 さすがの状況に響花さんの頬が染まる。「あ……っ」と声を漏らし、恥ずかしそうに俺から目を背ける。瞬きすることを忘れた俺の瞳は、そんな響花さんからずっと目を逸らさずに見つめ、手首を握る手に自然と力が入る。俺より八歳も年上の女性が俺の上に覆い被さり、顔を赤らめ恥ずかしがる姿に、俺の心臓は飛び出しそうなほどに高鳴った。


「ご、ごめんね光稀くん……」

「あ、いえ……俺の方こそ、すみません……」


 響花さんはゆっくりと俺から離れていく。小さな声で謝ってきたから、なぜか俺も謝ってしまった。

 その場にぺたんと座り込む響花さん。俺が掴んでいた手首をぎゅっと握りしめ、未だ顔をそっぽに向けている。さっきの状況を振り返り、すんごい密着状態だったことを思い出した。俺は「あわっ⁉︎」と悲鳴を上げ、噴火したように顔が爆発する。「み、光稀くん!?」と心配してくれる響花さんを他所に、俺は顔の穴という穴から煙を上げているのを自覚していた。


「お、俺っ、響花さんに何てことをぉ!」

「違うよ、光稀くん! あたしがおっちょこちょいだったから!」


 やはりなぜか自分に責任を感じ、煙を噴き出しながら必死に土下座をする俺。そんな俺を慌ててなだめる響花さんと、相変わらずそこに参加できずにテーブルの上でぐるぐる回っているワタアメは「わんっ」とそこで、一声吠えた。






「ほんっとーにごめんね」


 俺に向かって両手を合わせ、詫びる響花さん。でも、さっきは本当にやばい状況だった。あれはま、まさにぎゃ……逆壁ドン。あああっ、思い出しただけでも全身が火照って、心臓がまじでやばい。

 あの後響花さんはワタアメの施術の続きを始めた。俺は心の涙を流しながら失態の反省をしていたが、響花さんも何やら落ち着きのないようにソワソワしているようにも見えた。引き続きワタアメのシャンプー、カットを行い、ブローまでとても手際よくしてくれた。すべて終わったワタアメはまるで本物の綿あめのようにふわっふわに仕上がり、俺は感動のあまりその体に顔を埋めてうりうりと顔を動かした。


「それで、お詫びと言ってはなんだけどね」

「いえそんな、お詫びだなんて」


「いいのいいの。あのね【SoL】がオープンしてまだ一年経っていないんだけど、いつも来てくれる常連さんに向けて今後何かイベントをやりたいと思っているんだ」

「イベントですか。いいですね」


「でしょ? それで夏は夏らしくバーベキューでもしようと考えているんだけど、いきなりぶっつけ本番もだと段取りとか分からないから、よかったら勉強も兼ねて一緒にやらない? バーベキュー」

「えっ!? い、いいんですか!?」


 とても嬉しい響花さんからの提案。なんとバーベキューのお誘いだった。【SoL】の常連さん向けのプレイベントとはいえ、これは本当に嬉しい。


「費用はお店で持つから気にしないでね。良かったらこの前まつりで紹介してくれた光稀くんのお友達も呼んでおいで。え、っと……侑くんに透子ちゃんだよね」

「は、はいっ。あいつらも絶対喜びます。ありがとうございます!」


「もちろん他にも誘いたい人がいたらぜひ誘って。あんまり増えるのは予算の関係もあるけど、あと二人くらいなら大丈夫だよ」

「じゃあ他の子にも声を掛けて、また連絡してもいいですか?」

「もちろんだよ」


 嬉しい。響花さんと会える時間がまた増えた。ああ、あそこで躓いてくれてありがとうございます。泉ちゃんとか来るかな。誘ってみよう。


 あれ?


 俺は店の外に視線をやる。もうすっかり暗くなって街灯が街を照らしていた。

 店の外の大通りに、見たことのある二人の姿が歩いているのが見えた。


「あれは――侑と……泉ちゃん?」

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