12 清々しい気持ち

 俺は、何か変なことを言ってしまったんだろうか。


 突然教室を飛び出した侑とトーコ。後ろ側にいたクラスのみんなも『どうした、あの二人?』となってしまっている。変な汗が俺の額や背中を濡らす。まずいことを言ってしまったのなら謝らないと。俺はさっきの一部始終を思い返してみるが、正直何がヤバイ発言だったのか全く分からなかった。いや、発言ではなくて態度か?『えへへ。ぽりぽり』と態度がまずかったのか。〝てぃーぴーおー〟というものをわきまえれば良かったのか。

 もうすぐ授業が始まる。そしたら戻ってくるかな。その時にとりあえず『ごめん』て言って謝ろう。


 しかしチャイムが鳴っても、授業が始まっても、二人は戻ってこなかった――


 二人が戻って来たのは、本日最後の授業が始まる前だった。俺はごめんと言おうとしたが、先に出たのは小さな驚きの声だった。

 トーコのメイクが全落ちしているのだ。しかも両目が真っ赤に腫れている。


「お、おいトーコ。大丈夫か?」


 俺はトーコの肩に手を置き尋ねると、トーコは小さく頷いた。

 俺はこの表情を見たことがある。――そう、この前響花さんの前で大泣きした後の俺と同じだった。


「侑。トーコ、いったいどうしたんだ?」

「……今は、そっとしといてやれよ」

「そ、そっか。ごめん」


 全く状況が理解できない。けど、間違いなく俺が原因なんだろうな。なんか空気の読めないことをしちゃったんだろう。俺は何だか二人に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 俺は二人のことが気になって仕方なかったけど、侑が『俺が何とかしとくよ』と言ってくれたので、とりあえず先に家に帰って来た。

 家に帰るとワタアメが走って来て俺に飛びかかってくる。


「あははワタアメ、くすぐったい」


 いつもと変わらないワタアメ。ちょっと気に病んでいる俺のことを察したのか、今日はいつもよりも俺にベッタリしてくれる。


「ありがと、ワタアメ。元気でるよ」


 この日俺は、いつもより早く入眠した。






 翌日――


「おはよー、みっくん!」

「おっ、お、おはよ」


 トーコはいつものトーコに戻っていた。

 トーコは教室に入るなり、俺の姿を見つけて走ってくる。


「朝から最悪だよー。マジ目ぇ腫れすぎてアイメイク大変だったし」

「あ、ご、ごめん」

「何でみっくんが謝んの? みっくんのせいじゃないよ」


 その言葉に、俺は正直ホッとした。トーコはいつも通りに戻ったみたいだし、俺のせいじゃないって言ってくれたけど、だったらいったい、何が理由で泣いたんだろう。


「光稀、透子おはよ」

「お、おう侑、おはよう」

「あっくん、おはよー。ちょっと聞いてよ、メイクがさぁー」


 侑はキウイミルクを飲みながら登場した。今日はいちごもバナナもなかったんだな。ちゃんと、俺にも挨拶してくれた。何も変わらない日常。昨日のアレは何だったんだろう。もしかしたら昨日のアレは夢だったんじゃないかと思えるほどに、いつもの二人だ。でも、何だか変な感じ。


「あ、そーいえば光稀。そろそろまつりの準備本格化してくるけど、バイトとの兼ね合い大丈夫そうか?」

「あ、ああ店長には話つけてるし大丈夫」

「悪いな」

「いいってことよ。あははは」


 普通に、戻ったんだよな?




 放課後のチャイムが鳴る。「じゃあまた明日ね!」と言いながら侑とトーコは部活へ向かった。二人はいつも通り、俺に接してくれたけど何だかもやもやする。とりあえずちゃんと『ごめん』て謝ろう。これ以上二人と気まずくなるのが嫌だった俺は、トーコの向かった写真部の部室に足を運んだ。

 写真部の部室と言っても同好会なので、空いている教室を部室兼活動場所として利用している。活動内容は、ただひたすら写真を撮って見せ合いっこしたり、展覧会に出品したりしているらしい。

 教室の前に来た俺はなぜか緊張してしまい、抜き足差し足でこっそり教室に近付いていた。いつもだったら堂々と行くんだろうけど、昨日の一件がどうしても頭に引っ掛かってしまっている。俺は足跡を立てないようにゆっくりと教室の引き戸に手を掛け、中を覗いた。


「――⁉︎」


 俺は咄嗟に隠れてしまった。心臓がドキドキ鳴っている。


 ――侑がいた。


 どうして侑が?

 俺は高鳴る心臓はそのままに、もう一度教室を覗いた。


 窓際で俯いて立っているトーコと、トーコに向かい合うように机に浅く座っている侑。何か喋っているみたいだけど、声が小さくてよく聞こえない。侑は何か言った後にトーコの頭をぽんぽんと撫でてあげている。それが嬉しかったのか、へにゃっと笑うトーコ。そんな二人の奥の窓から見える夕焼け前の午後の空が、二人を淡く美しく包み込んでいる。

 引き戸を握る俺の手の力が抜けていく。そういえば、前トーコが言っていたな。――形に残したいほど、素敵な瞬間。それってまさにこのことじゃないか? 俺は人差し指と親指でエル字を作ると、両手で写真のフレームの形を作り出し、その中心に二人を入れてみた。

 こいつら――こんなにお似合いだったんだな。


「――じゃあまたな。部活頑張れよ」


 侑の声がそこだけハッキリと聞こえたので、俺はまた咄嗟に隠れてしまった。か、隠れる必要ないじゃないか。いやでも、あんな二人の姿見せられたら邪魔できないじゃん。

 俺のことは気付かずにバスケ部の部室へと向かう侑。完全に姿が見えなくなった後、深呼吸をすると「よし!」と気合を入れてトーコのいる教室へと向かった。


「トーコ」

「え、みっくん? どーしたの?」


 きょとんとした顔で俺のことを見てくるトーコ。俺がさっきまで扉のところから見ていたことは、気付いていないような反応だ。


「あ、あのさ」

「ん?」


「ごめん、トーコ!」

「えっ、え、ええっ、なになに⁉︎」


 俺は九〇度腰を曲げて謝った。突然俺が頭を下げたもんだから、トーコは混乱しているような声を上げている。


「その、昨日……。俺、鈍感だからよく分かんないんだけど、トーコが泣いたのって、たぶん俺のせいなんだろ?」

「ぁ……」


「朝はいつも通りに二人は俺に接してくれたけどさ、俺の方が、何というか、もやもやするというか……。だからとりあえずちゃんと謝ろうと思って。本当にごめん」


 俺は一度頭をあげて説明をすると、もう一回直角に頭を下げた。


「だからさ、何が悪かったのか教えてほしい。ほら俺、言われなきゃ分かんないしさ。ここで教えてくれなきゃ、またトーコを泣かせるんじゃないかって思うと、何か気が気じゃなくて」

「みっくん……」


 トーコが困った声してる。俺は頭を下げたままだから表情とか見えないけど、また俺変なこと言っちゃったのかな。


 すると「みっくん」と言いながら、俺の視界にトーコが現れた。トーコはちょこんとしゃがみ込んで、下から俺を見上げている。


「顔上げてよ。本当に、みっくんのせいじゃないんだよ」

「え? じゃあなんで……」


「これはねぇ、もう完っ全に自分の責任!」

「はぁ?」


「そう。完全にタイミング逃して、肝心な時になるとビビりまくって勇気が出なかった自分のせいなのよ」

「んんー? ど、どういう――」


「まぁでもみっくんの矢印は、絶対あたしが向きを変えてみせるんだから」

「俺の矢印? いったい何のことだよ?」


 気のせいだろうか?

 トーコの顔が赤くなっているような……。


「はいはい、帰宅部はさっさと帰るー! あたしは今から忙しいんだからねっ」

「わわっ。押すなよー」


 俺はトーコに背中を押され教室を出た。


「みっくん」


 名前を呼ばれ、後ろを振り向く。

 そこには両手を後ろで組んだトーコが笑いながら俺の方を見ていた。さっき侑の前でも見せていた、あのへにゃっというトーコらしくない柔らかい笑顔。


「ありがとね」


 その言葉をもらえて、俺は心の底から安堵の息をついた。


「じゃあ、また明日ね」

「うん。また明日な。部活、頑張れよ」


 心がスッキリした。最後のトーコの台詞はよく分かんなかったけど、とりあえずちゃんと謝れて良かった。今日はいい夢を見れそうだ。ああ、もやもやが晴れたらお腹空いてきちゃったな。コンビニ行こうか、【frappé】行こうか。


 俺は下駄箱へと向かうために階段を降りた。


 ん?

 気のせいだろうか。

 さっき、あそこに侑がいたような。


 そんなわけないか。侑が部活に行ってたの、この目で見たしな。やっぱり今日はコンビニで甘いスイーツでも買おっと。【frappé】はまた今度。バイト代節約もしなくちゃだし。


 家路に向かう俺の足はとても軽々しく感じた。

 俺のお気に入りの赤いスニーカーから羽が生えたような、そんな感覚。


 ああ、春風ってすっごく気持ちがいい。

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