05 侑の気になる女の子

「みっくんおはよー……って、げげっ!」


 トーコの絶叫が聞こえる。


「み、みっくん⁉︎ ちょ、あんた、なんで真っ白廃人になってんのよ!」


 そう。俺は昨日と同じく目の下にクマ、プラス半開きの口、プラスよだれの池、プラス今日は某ボクサーのように全身真っ白の廃人と化している。

 透子は俺の肩をがっしりと掴み、思いっきり振ってくる。ああ、やめて。そんなことしたら……。


「透子。光稀の魂が」

「うわっ! どこ行こうとしてんのよ、あんた! 戻って来なさいよ!」


 俺の口から出て来た、にこにこした俺の魂の首を締め無理やり口の中へと戻してくるトーコ。俺の魂は「ぐえっ!」と悲鳴を上げ、二度死んだ思いをした。俺はいつかトーコに本当に殺されてしまうかもしれないと真剣に悩む。


「光稀、お前昨日から変じゃないか? なんかあったのか?」

「侑〜……、俺も侑みたいに背ぇ高くなってイケメンになりたぁい」

「はぁ? 何言ってんだお前」

「誰の前に出ても男らしくいたい〜。緊張とかしなくてずっしり構えてられる男になりたぁい」


 俺は白い涙を流す。もし俺が侑だったら、きっと好きな人の前でもシャンとしていられるはずなのに。

 どうやったら男らしくなれるのか、どうすれば自分に自信を持って堂々としていられるのか、年上女性に好かれるための心得……そんなことばかり調べていたら、もう朝の小鳥がちゅんちゅん鳴いていた。もう本当に情けないダメ男。世間のダメ男の中心はまさしく俺だ。


「俺を中心に世の中のダメ男が回っている」

「あっくん。みっくん絶対おかしいよね」

「うん、こんな光稀を見るのは初めてだな」


 世界の時間はそんな俺を気にも止めず、通常通りの時間にチャイムが鳴り、授業が始まる。

 新入学生のイベントも来週いっぱいは続くので、特別授業が多くて、試合の近い部活以外は全て基本的に休み期間となる。


 帰宅部の俺とは違い、侑は身長もあるのでバスケ部に入っている。こいつは顔だけじゃなくてちゃんと運動神経もいいので、レギュラー入りしていて、大学から推薦が来ているほどのバスケが上手い。全日本選手の人と比べると身長は小さいほうなのかもしれないが、それだけ実力が伴っている証拠だ。侑の試合をトーコと何度か観に行ったことがあるが、男の俺から見ても試合中の侑はクソカッコよかった。すげー興奮した。なんつーか、目が離せなかった。これは女子は間違いなく一発で惚れる。


 トーコは写真同好会に入っている。中学生の頃に突然写真にハマったと言い出し、高校に入ってついに同好会まで立ち上げた。一年生の頃はまだトーコ一人だった写真部も、今では五人にまで増えている。写真学科のある大学に行こうとしていると言っていたので、本気で写真が好きなんだと思う。こいつの写真を見たことあるけど、本当に綺麗な写真を撮る。こんなに小さくて、うるさいトーコからは考えられないほどピカピカ光るトーコの写真。近所のイベントのカメラ役を任され、トーコの写真が役場のホームページに載ることだってある。


 みんなやりたいことがある。夢があって、才能もある。侑もトーコも、それに響花さんも――

 平凡な俺には、みんなが眩しく見えてしょうがない。


「そういえば光稀。ウーロン茶代のおつり、ほれ」

 掌の三〇円を俺に差し出してくる侑。

「あ、良かったのに三〇円くらい」

「【frappéフラッペ】に相模まつりのチラシ置いてくれるらしーよ」

「さっすが店長。俺らのことになるとすぐ協力してくれるもんな」

 スマホをさわり、【frappé】の一角にチラシが置かれてある写メを見せてくれるトーコ。写メなのにクオリティたけぇな。【frappé】の店長はいつも良くしてくれるから本当にありがたい。

「ねぇねぇみっくんあっくん見てよこれ、アイドルのソウタ事務所辞めるんだって。知ってた?」

「ええ。やっぱこの前週刊誌ウェンズデーに撮られたのが原因なんかな」

「つーか透子、お前アイドルなんか興味あったんだ」

「女子高生カメラマンは視野が広いだけですー」


 俺たちのいつもの日常はこうやって過ぎていく。

 この三人で過ごせる時間はあと一年。そうすると、みんなバラバラとなる。大事に過ごさなきゃ。






「じゃあね、みっくん」

「光稀、お前ちゃんとチラシ配れよー」

「分かってるよ。じゃあまた明日な!」


 俺は二人に手を振ると、いつもの帰り道を歩く。今日は少し肌寒い一日だ。今日はやたらと車の通りが多い。俺は注意して道の端っこを歩くように心掛けた。一昨日見たパンダ猫はどこに行ってしまったんだろうか。次見つけたらすかさず写メを撮ってやろうと思っているのに。

 あ。もうすぐ響花さんの家だ。ど、どうしよう。寄ってみようかな。でも今日はワタアメもいないし、俺だけ行ったところで『何しに来たの?』と思われそうで怖い。そんなビクビクおろおろしている怪しい俺の背後から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「あの――」

「へ!?」


 ついにお巡りさんに職務質問をされてしまうのか、人生終わったと神に向かって祈りを捧げたところで、どこかで聞いたことのある声だと気付く。


「あ、やっぱり光稀さんでした。間違ってたらどうしようかと思っちゃいましたよ」

「い、泉ちゃん」


 ふにゃっとした柔らかい笑顔を見せてくれる泉ちゃん。本気で逮捕されると思った俺、どんだけビビってるんだろうか。

 今日の泉ちゃんはバイトが休みなのか、かわいいワンピースを着て、髪をセットしていてとても女の子らしい。泉ちゃんは守ってあげたい女子代表みたいな可憐さがある。誰かさんトーコとは大違いだ。


「泉ちゃん、今日バイト休み?」

「そうなんですよー。だから今日は私がおうちの食事当番なんです」


「じゃん」と言いながらずっしりと食材の詰まった買い物袋を二つ見せてくる。


「こんなに買ったの? ひとつ持つよ」

「ああ、ええっ! そ、そんな!」

「気にしないでよ。あ。侑じゃなくてごめんね」

「きゃあああああ、みっ、光稀さん~」


 俺がちょっと意地悪を言った後、泉ちゃんはきょろきょろ辺りを警戒し、頭から湯気を出しながらすっかり小さくなってしまった。泉ちゃんの反応は本当に分かりやすい。侑の名前を出しただけで、いっつも顔が赤くなる。ん? 今『お前がそれを言うな』って聞こえたような……。


「光稀さんだめですよぉ。侑さんにばれたら大変じゃないですかぁー」


 いっつも侑にあっつい視線を送って、周りにモロバレなのに何を今更……、という気持ちは心の中にとどめておく。実際侑の気持ちはどうなのか聞いていない。泉ちゃんの気持ちに気付いているのかすらも分からない。こんなに可愛い子が熱烈な視線を送っているのに、気付かないほど侑は無神経ではないと思っているんだけど。ただ俺が余計なことをして、二人の仲を拗らせるようなことはしたくない。――


「大丈夫だよ。侑には何も言っちゃいないってば」

「ほ、本当に? 本当? ……うにゅ~」


 か、かわいー……。涙目上目使い、反則すぎる。

 響花さんという人がありながら、不覚にもドキッとさせられた俺がいる。


 泉ちゃんはこれを自然に無意識に無自覚でやってしまう、何とも危なっかしい女の子。【frappé】で男子から手紙を渡されていたり、声を掛けられているところを何度も目撃している。


「あれから変な人たちは大丈夫?」

「はい。あの一件からあの人たちは出入り禁止になって、それ以来来ていません。それだけじゃなくて、店長がシフトの組み直しをしてくれたり、まだ人通りの多い時間に上がらせてくれたりとっても気を利かせてくれているんです」

「そっか、よかった。安心したよ」

「はい、あの時は本当に……、ありがとうございました。特に……侑さんにはとっても感謝しています」


 泉ちゃんの顔がぽっとピンク色になる。

 あ、これは――、恋をしている女の子の表情だ。


 それは俺たちが高校一年生の秋頃。いつも通り三人で【frappé】でカフェタイムを堪能していた時、可愛い子が働いているねって話をしていた。たくさんの客に笑顔を振りまいて、一生懸命働いている女の子、それが泉ちゃんだった。

 その時に、えらく泉ちゃんに絡んでいる男の人がいた。ずっと泉ちゃんに話しかけて、独り占めしているように見えた。お盆を持ちながらおろおろしている泉ちゃんはとても困っている表情をしていた。するとその男は泉ちゃんの腕を掴んで自分の方へと引っ張り始めた。嫌がる泉ちゃんの腰に手を回し、無理やり自分の方へ引き寄せようとしている。

 さすがに我慢ならなかった俺は立ち上がり、男の元へ行き『おいやめろよ!』と声を出したのだが――そんな俺なんかよりも先に、いち早く男から泉ちゃんを救出したのが侑だった。『やめろよ、おっさん』と言いながら、泉ちゃんの腕を引っ張り、侑の大きな体の後ろへ隠し守ってあげている。


 その一件から、泉ちゃんは侑にすっかり恋に落ちてしまったという。

 何度か告白をしようと試みていたが、恥ずかしがり屋の泉ちゃんはなかなか行動に起こせず、遠くから見ているだけでいつももじもじしている。


「でも侑さんは本当にモテモテだといいますし。【frappé】に来る女の子たちからもよく侑さんの名前を聞くので、競争率はかなり激しいかと思うんです……」


 なぬ。侑のやつ、本当にモテまくっているようだ。うう、それなのにあっけらかんとしている何ともずるい男。


「ううー光稀さん~、知っていたらでいいんですぅ。侑さんって誰か気になる女の子とかいないんですか~?」


 侑の気になる女の子、か。


「こ、好みのタイプでもいいんです! 私できるだけそれに近付けるように頑張りますので!」

「そ、そうだなぁ。ああ、最近ドラマで話題のヤマモト チビコって女優が……」

「それって天才子役って言われている五歳の女の子じゃないですかぁー!」


 誤魔化して話を逸らしたこと、気付かれていないだろうか。泉ちゃんは「あうー」と言いながら俺の服を引っ張っている。ごめんね、泉ちゃん。


 俺と泉ちゃんの明るい声は、その後もいつもの帰り道で明るくこだましていた。

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