03 父さんとワタアメ
行きつけのカフェ【
「いらっしゃいませ」
「あ。泉ちゃん、こんにちは!」
俺らのひとつ下の後輩にあたる。訳あって高校を中退して【frappé】で働く女の子だ。
泉ちゃんは本当に一生懸命な子で、見ているだけで元気をもらえる。最初は仕事が出来なくて店長によく注意されてたのを見ていたんだけど、最近ではそれもなくなりすっかりカフェ店員が定着したところを見ると、まるで自分のことのように喜ばしい。俺らが来るといっつもパタパタ走ってきて接客をしてくれる。とても懐いてくれて、心から応援したくなる女の子だ。
「わあ、今日は三人一緒なんですね。何だか嬉しいです」
トレイで鼻から下を隠しながら「えへへ」と笑う泉ちゃん。
そんな泉ちゃんの視線は、いつも
「今日は何にされますか?」
「あたしはレモンティー。みっくんは?」
「んーそうだな。じゃあ俺はウーロン茶で――」
「はあぁ? みっくん、【frappé】まで来といてウーロン茶なの?」
「い、いいだろ別に。俺は今ウーロン茶の気分なんだよ」
「泉ちゃん、俺いちごシェイクで」
侑に名前を呼ばれた泉ちゃんは顔を真っ赤にして一生懸命オーダーを紙に書いていた。
女の子だとすげー可愛く見えちゃうんだなー。これが昨日の俺と比較すると……、ああ駄目だ。男の俺が顔を真っ赤にしてる姿なんて、お世辞でも『ナイスイケメンズ』とは言えない。自分でももはやフォローする言葉も見当たらない。残念な一八歳、越前 光稀。
「お待たせしましたぁ」
俺たちのオーダーしたドリンクがやってくる。ここはドリンクひとつにしてもいちいち手が込んでいる。レモンティーなんてお湯の入った透明なポットが出てくるし、いちごシェイクなんて本物のいちごが散りばめられていて彩りだけでも十分に楽しめる。俺のウーロン茶は……、そうだな。ちょっとおしゃれなグラスにストローが刺さっている。うん……、以上だ。俺はストローを口に咥え、ウーロン茶を吸い込む。喉が渇いていたこともあり、一気に半分まで飲んでしまった。
「ええッ。みっくん来て早々ヤバ。どんだけ喉乾いてたの?」
「うるせぇよ。ふぅ。これで俺の体は水分で潤い満たされた」
「まぁ元気になって良かったな。クマも無くなったし、朝よりは顔色も良くなった」
「ふぅむ。どれどれ」
「わ、おい……っ。ちょと」
トーコが身を乗り出して俺の顔をまじまじと見てくる。よく顔が見えるようにか、小さな手で俺の前髪をさらりと流す。ち、近い! こいつ本当に俺らとの距離感が近いというか、ゼロというか。俺らといつも一緒にいるからといって平然としてくるけど、こういうふとした仕草や動作にはドキッとしてさせられる。やっぱりトーコは女の子なんだと思わされる瞬間だ。
「ん? 泉ちゃん、どうしたの?」
「あああっ、いえ。特には、ないんですが……っ」
俺らがトーコに襲われている傍、泉ちゃんはドリンクを運び終えたにも関わらず侑の方をじっと見ていたらしい。侑に話しかけられて動揺している泉ちゃん。挙動不審だなー。めちゃくちゃ怪しいけど、あれはきっと昨日の俺とおんなじだ。はぁ。泉ちゃんだから挙動不審でも可愛いと思えるけど、俺なんかだと本当にどこぞの変態野郎にしか見えなかっただろうな。よく響花さんは悲鳴のひとつも上げなかったと思うとありがたい。
「こぉらぁ。聞いてるの、みっくん!」
「あいででで! ご、ごめんボーッとしてた」
俺のおでこにデコピンを食らわせてくるトーコ。何やら俺が考え事をしている間、何らかの話で盛り上がっていたらしい。
「だからー、来月の相模まつり、みっくん行くの?」
「あ、ああそれは母さんが行くって張り切ってるけど」
「まじで? 俺んとこの家、役員になってっから、俺も準備やら当日の屋台手伝いで駆り出されんだよね。と、いうことで光稀も手伝ってよ」
「うえ〜まじで言ってる?」
「大マジ。今年人手が足んねーんだってさ。手伝ってくれたらなんと……、屋台の食べ物、タダで食えるぜ」
「⁉︎ 行くっ!」
「だとよ透子。お前はどうする?」
「んんんー。仕方ないなー、じゃあ透子ちゃんも手伝ってあげるよ」
結局食べ物であっさり釣られてしまった単純な俺。
〈相模まつり〉は、地元相模原市の中では割と有名で大きなイベントのひとつだ。広い公園を貸し切って、屋台に溢れ、大勢の人が集まる中みんなで催し物や食事を楽しむ。
「だったらさ、早速だけどチラシ配りやってくんね? ほい」
侑はかばんの中からチラシをどっさり取り出した。如何にも今日俺が手伝いを了承すると分かっていたかのように。
「なっ、なな、なんで、侑――」
「ん? だってお前は、食べ物をチラつかせると目を輝かせてすぐに〝うん〟って頷いてくれるだろ?」
にやりと笑う侑。その悪魔のような笑みを、俺は何百回見て来たことか。ほんと、学習しないな。ワタアメの方がお利口で賢く見えてしまう。ん? ワタアメ?
「悪りぃ! 俺そろそろ帰らないと。ワタアメの散歩の時間だわ」
「あ、みっくん⁉︎ んもー!」
俺は五〇〇円玉をテーブルの上に置いて店を後にした。トーコのキリキリ声は、【frappé】の扉を閉めると同時に消えてなくなった。
走るたびにキーホルダーが音を立てて揺れているのが伝わる。その音はまるで、ワタアメが『早く早くっ』と言っているようにも聴こえた。
「ただいまっ!」
自宅に到着した俺は、真っ先に家の中へと入っていく。何の変哲も無いよくある二階建ての普通の家。この家で、俺は母さんと婆ちゃんと妹の三人で暮らしている。いつもの場所に自転車がなかったから、母さんはまだ帰って来ていないんだろう。妹も部活に忙しいみたいだ、まだ靴が無い。
息切れした俺に向かってワタアメがめちゃくちゃ尻尾を振って駆け寄ってくる。
「あーごめんなワタアメ、遅くなっちまった」
顔中を舐められる俺。「あはは」と笑い声を漏らしワタアメを撫でながら自室へと向かう。
ところでワタアメの由来だが、ふわっふわ、もっこもこのこの真っ白な毛並み。これを綿あめと言わずして何と言う。もちろん名付け親は俺だ。
「光稀かい?」
「あ、婆ちゃんただいま」
階段を上がる途中、婆ちゃんが俺に気付いて声を掛けてくれた。
「今日はあの日じゃったね。これ玄関に置いとくから、持って行っておやりよ」
「サンキュー」
俺はワタアメと一緒に自室へ行き、私服へ着替える。ちょっと緩めのジーパンに黒いティーシャツ。指定のカバンから白いヘッドホンを取り出し、首に引っ掛ける。スマホと音楽プレーヤーをポケットに突っ込み、再び階段を駆け下りた。そんな俺の後ろをワタアメも尻尾を振りながら追いかけてくる。
婆ちゃんが玄関に置いてくれたお花と線香、そして散歩用グッズの入った小さなかばんを持ち、俺はワタアメと家を出た。
いつもの散歩コースをワタアメと歩く。俺はヘッドホンを耳に当て、音楽に乗りながらいつもの角を曲がる。ワタアメも分かっているのか、先陣を切って、俺を誘導してくれているようにも見える。すげー尻尾振ってて、可愛い。
角を曲がって少し歩くと、墓地が見えて来た。多くの人たちが眠っているそこに、俺たちは慣れた足取りで入り、何の迷いもなくあるお墓の前に立った。〈
俺の父さんは六年前の今日、事故で亡くなった。俺がまだ一五歳、中学二年生に上がってすぐのことだった。俺と妹と父さんの三人で、父さんの知り合いの叔父さんが運営するペットショップを訪れていた時、そのペットショップにわき見運転をしていたトラックが突っ込んで来て、店は崩壊。その時に俺と妹を庇ってくれたのが父さんだった。すごい衝撃的だった。ガラスの破片が父さんの背中全体に刺さり、真っ赤な血がどくどくと流れていた。周りでは人の叫び声、動物たちの鳴き声、誰かが苦痛を訴える声、中学生だった俺にとって地獄のような光景を目の当たりにして、唖然としてしまった。その後父さんはすぐに病院へ運ばれたけど、もう息をしなくなった後だった。
その後、仮店舗でペットショップを再開した叔父さんの元を訪れた時、唯一あの事故で生き残った犬がこのワタアメだ。父さんの代わりと言っては何だが、今ではすっかり家族の一員。だが、妹――、
俺はワタアメを抱っこして父さんの墓の前で手を合わせる。
父さん――、俺あと一年で高校を卒業するんだ。大黒柱の父さんが居なくなってから、母さんはパートをいくつか掛け持ちして何とか家の家計を支えている。俺は特に目標とすることもないから、卒業したら働きに出ようと思っているんだ。少しでも家を支えて、父さんが守ってくれていたように、俺も家族を支えようと思う。あの家族には男手が俺しかいないからね。何とかやってみせるよ。俺たちを守ってくれた父さんみたいに立派な男になれるか分かんないけど、自分なりに精一杯努力してみようと思ってる。
あ。あとさ……、俺……、すげー綺麗な人、見つけちゃったんだ。こんなガキからしてみれば高嶺の花すぎて、全然釣り合わないけど、頭からあの人の笑顔がずっと離れないんだよね。また報告しに来るよ。じゃあまたね、父さん――
「ワタアメ行こ」
俺は八重歯をむき出しにしてニカッと笑うと、ワタアメと一緒に、父さんの元を後にした。
「だいぶ暗くなってきちゃったな。急がないと。みんな帰ってきてるかな」
俺は思いの外長居してしまっていたことに気付いて、家に向かう足取りが自然と早くなる。
空はオレンジ色から黒い星空へと変わろうとしている時だった。この瞬間の空模様はとても綺麗なグラデーションになる。
「うわ〜、今日も綺麗な空だなワタアメ」
俺はワタアメを抱き上げて、頭の上にちょこんと乗せた。ワタアメもこの美しさが分かるのか「くぅん」と鳴いて大人しくしている。と、その時――
「光稀くん?」
それは聞いたことのある声だった。声を聞くだけでボボボッと音を立てて無意識に体温が上がったのが分かった。その異常事態にさすがのワタアメは俺の頭の上でジタバタしている。
ずっと聴いていたくなるほど透き通った声。この、俺の思考をストップさせてしまう癒し
「お、響花さん……っ⁉︎」
「あー、やっぱり光稀くんだ」
俺は全身に鳥肌を立て、大きく跳ね上がる。膝はガクガクと笑い出し、ちょっとでも気を抜くと地面にへたり込んでしまうんじゃないかというくらい力が入らない。顔面真っ赤になり、眉毛を垂らして、相変わらず口は半開きとなる。
空を見ていて全く気付かなかったが、目の前には昨日俺が一目惚れをした、あの響花さんが立っていた。
うう、父さん。響花さんに会っただけでこんなに心臓が痛いなんて。俺はどこか病気なんだろうか。
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