ヒツジがシツジの冬休み(童話)(4800字)

 一.前編



 ボクは小学三年生。スッゴイお金持ちの一人息子さ。

 住んでいるのは東京じゃなく北海道だけど自宅の敷地は五十万坪。

 東京を初めてとして四十七都道府県全てに豪華な別荘がある。

 自家用ジェットは五機。ニンテンドースイッチは十台保有。もちろん全てのソフトが揃っている。羨ましいかい。


「べ、別に羨ましくなんかないさ」


 ああ、そこの君、無理して強がらなくてもいいよ。君が思うほどボクは幸せじゃないんだ。父さんが超多忙でね、滅多に家にいない。広い屋敷にいるのはボクと母さんだけ。使用人は一人も雇っていないんだ。


「金持ちがケチっていうのは本当だね。それじゃ君の母親は家の掃除だけで一日が終わっちゃうだろう」


 ああ、そこの君、早合点はやめてくれよ。使用人はいないけど使用マシンはうんざりするほどいるんだ。最新鋭人型AIロボットたちが屋敷の雑事を全て処理してくれるから、母さんもボクも自由気ままに自分の時間を楽しめるのさ。


「それならやっぱり幸せなんじゃないか。羨ましいなあ」


 そうだね。一カ月前まではそうだった。だけど今は違う。母さんが死んじゃったんだ。

 数億ドルの治療費と数百人の医師の尽力も不治の病には勝てなかった。ボクはすっかり落ち込んでしまったよ。

 屋敷に大勢いる人型ロボットは人間そっくりだけど人間じゃない。父さんは滅多に帰ってこない。広い屋敷の中で生きているのはボク一人だけ。生命の密度が希薄な空間は心の密度も希薄にする。まるで胸の中にポッカリ穴が開いたような気分だ。


「今日から冬休みか」


 クリスマス、大晦日、お正月。冬休みは短いけれど夏休み以上に楽しいイベントが目白押しだ。けれども今年の冬休みは例年と違って楽しめそうにないなあ、そんな風に思いながら空虚な日々を過ごしていたある日、


「おまえのために執事を雇うことにしたよ」


 父さんから連絡があった。屋敷に一人でいるのは精神衛生上良くないと判断したみたいだ。もちろんロボットなんかじゃない。生きている執事だ。


「ウワー、やったね!」


 柄にもなくボクは歓声をあげてしまった。それくらい豪邸の一人暮らしは寂しかったんだ。

 そして今日はその執事が家にやって来る日。ボクはワクワクしながら到着を待っている。あ、呼び鈴の音。そして出迎え専用AIロボットの声。


「お坊ちゃま、執事様がお着きになられました」

「はーい、今行くよ」


 ボクは玄関に駆け付けた。そこには黒いスーツを着た羊がいた。


「初めまして。ヒツジです。本日より執事の任に当たらせていただきます」

「へっ……」


 ボクは絶句したよ。だって羊なんだよ。確かにロボットじゃないけど人間でもない。羊が執事なんて聞いたことがない。

 いや、待てよ。外見は間違いなく羊だけど、羊の皮を被った人間という可能性もある。「ヒツジです」と挨拶したけど、それは名前かもしれない。ここは確認しておく必要がありそうだ。


「えっと、ヒツジさんは羊に似ているだけで、本当は人間だったりするのかな」

「いえ、私は人間ではありません。正真正銘、羊です。ああ、それから私を呼ぶ時は、さん付けではなくヒツジ、もしくは執事で結構です」


 なんてこった。本当に羊じゃないか。父さんは一体何を考えているんだ。


「ちょっと待ってよ。羊に執事なんかできるわけないだろう。羊の知能なんて猿以下なんじゃないの。犬みたいに芸ができるわけでもないし、猫みたいに愛らしくもない。何の役にも立たないじゃないか」

「それは偏見というものです。現にこうして言葉を喋っているではありませんか。私はオーストラリアで育成された超エリート羊でございまして、世界有数の執事養成スクールを優秀な成績で卒業しております。日本語、英語の他に五カ国語を理解でき、調理師免許、救命救急士の資格を取得し、また秘書検定一級、珠算検定五段、羊毛検定Aランクの腕前でございますれば、執事としての職務遂行に支障をきたす恐れは皆無かと思われます」

「だ、だけど、だけど……」


 違うよ、ボクが期待していたのは賢い羊なんかじゃない。ちょっとおバカでも人間の友達が欲しかったんだ。羊の蹄じゃゲームのコントローラーを操作できないし、一緒にジンギスカンを食べることもできないじゃないか。屋敷にいるロボットと大して違わないじゃないか。


「ボ、ボクはおまえを執事とは認めないからね!」

「あ、お坊ちゃま! どこへ行かれるのですか」


 ボクは玄関の外へ駆け出した。家にやって来た羊も、羊を執事に雇った父さんも大嫌いだ。もうあんな屋敷には戻りたくない。ロボットと羊しかいない家なんて人の住む家じゃない。広いだけの屋敷なんて飽き飽きだ。


「こうなったら東京の別荘へ行こう。あそこは他の別荘と違って管理人の家族が三世代十人で暮らしているんだ。今日からボクは東京人さ」


 決まった。ボクは顔を上げて新しい明日に向かって走った。空から雪が落ちてきた。そう言えば明日はクリスマスイブだったな。今年のイブは東京で賑やかに楽しむことにしよう。



 二.後編



 ボクは大樹の下で震えていた。もう日が暮れて辺りは真っ暗だ。雪の降り方がひどい。払っても払ってもすぐ体が白く覆われていく。


「こんなに敷地が広いなんて……」


 大きな誤算だった。ボクはまだ屋敷の敷地の中にいる。敷地面積五十万坪、そう、この広大な敷地の中でボクは迷子になってしまったのだ。これまで玄関から歩いて外出したことはなかった。必ず車を利用していた。だから建物の外に広がる広大な庭の実体を全く知らずに今日まで過ごしてしまったんだ。


「これはもう庭じゃない。原野だ」


 舗装された道に沿って走っていけば外に出られる、その考えはすぐに打ち砕かれてしまった。一本道ではなかったのだ。

 両側に立木が並ぶ舗装道は何度も分岐を繰り返した。三叉路、四叉路の交差点に差しかかるたびに、どちらへ行ってよいのか迷いながら適当に走る。そうして選択した道のほとんどは行き止まりになり、引き返さざるを得なくなる。

 そんなことを何度も繰り返すうちに戻るのが面倒になって、そのまま深い森の中を進み始めてしまった。


「大丈夫。まっすぐ進んでいればきっと敷地の外へ出られるはずだ」


 その考えもすぐに打ち砕かれた。まっすぐ進めないのだ。森の中には池、湿地、崖などが存在し、そのたびに迂回を強いられる。やがて方向感覚がマヒし、自分がどちらへ進んでいるのかわからなくなってくる。

 そうこうしているうちに雪は激しくなり、積もり始め、日は暮れ、暗闇で周囲が見えず、体が冷え、腹が空き、気力が尽き、ボクは大樹の下に座り込だまま動けなくなってしまったのだ。


「きっと侵入者防止のためにいくつも分岐を設けたんだろうな。『絶対に庭を散歩してはいけない。カーナビ装備の自動車に必ず乗りなさい』と言っていた父さんの言葉の意味がようやくわかったよ」


 今頃わかっても手遅れだ。ボクはもう諦めていた。ポケットにあるのは電子マネー機能付きキャッシュカード一枚だけ。せめてスマホでも持って飛び出せばよかった、と悔やんでも後の祭りだ。ああ、眠たくなってきた。雪を払うのも面倒くさい。寝よう……


 * * *


 変だな。妙に暖かいぞ。それにこの肌触り。何かモフモフしたものに包まれているようだ。


「気が付きましたか」


 遠くで声がする。聞き覚えのある声だ。ボクは目を開けた。羊の顔があった。今日着任したばかりの執事だ。


「お、おまえ、ボクの居場所がどうしてわかったんだ!」

「私は執事。雇用主の現在位置特定など造作もないこと。気分はいかがですか」

「へ、平気だい!」


 強がって周囲を見回す。屋敷の部屋ではない。簡易テントの中に寝かされているようだ。一般の自動車が入れるような場所ではないので、執事の羊は歩いてここまでやって来て、倒れているボクを見付け、テントを張ったのだろう。


「どうしてこんな場所で休憩しているんだよ。ボクを見付けたのならさっさと屋敷に連れて帰ればいいじゃないか」

「ここから舗装道までは歩いて行かねばなりませんが距離があります。お坊ちゃまは少々お疲れのご様子なので、体力を回復されてから出発しようと思っております」

「こんな森くらいどこかの国の陸軍から払い下げてもらったランドクルーザーなら平気で走破できるだろう」

「我が邸宅の森は環境省指定の自然保護区域になっておりますので車両を入れることはできません。歩いて舗装道まで行くしかないのです。ご協力のほどお願いいたします」

「ふ、ふん。勝手にしろ」


 ボクは毛布に頭を突っ込んだ。毛布? いや違うぞ。ボクの体を包んでいるのは毛布じゃない。これは……これは羊毛じゃないか!


「まさか!」


 ボクは羊の執事の黒いスーツに手を掛けた。上着、ベスト、シャツをまくって現れたのはピンク色の地肌だ。


「おまえ、自分の毛を刈ってしまったのか!」

「はい。お坊ちゃまの体は冷え切っておられました。私が持参した防寒具は簡易テント一式のみ。このまま放置すれば低体温症になる危険もありましたので、自ら己の体毛を刈り、お坊ちゃまの体温保全に努めたのでございます」


 一体どうやって自分で自分の体毛を刈ったのかちょっと疑問に思ったものの、羊の執事の親切な行動はボクの心を大きく動かした。だからと言ってすぐに素直にはなれない。


「バ、バカだよ。おまえはバカだ」


 ボクはそう言って羊毛の中に潜り込んだ。すると美味しそうな臭いが漂ってくる。途端に腹の虫が鳴きだした。そうだ、朝ご飯を食べてから何も口にしていないんだっけ。ボクは羊毛から頭を出した。


「えっと、何か料理でもしているのかな」

「はい。ジンギスカンを作りました。ちょうど肉が焼けたようですね」

「ジンギスカン……まさか!」


 ボクは羊の執事のスーツに手を掛けた。ズボン、パンツをはぎ取って現れたのは大きな絆創膏を貼ったお尻だ。


「おまえ、自分の尻肉を削ぎ取ってしまったのか!」

「はい。お坊ちゃまは二食抜いておられます。私が持参したのはバーベキューコンロと木炭のみ。食材はありません。舗装道まで歩く体力を回復していただくために、自らの肉を削ぎ取りジンギズカンにしたのでございます」

「ボ、ボクのためにそこまでしてくれるなんて……」


 ボクは言葉を詰まらせた。嬉しかった。ボクのことをここまで考えてくれる羊の執事に心から感謝した。もし家に来た執事が人間だったとしたら、とてもこれだけのことはしてくれなかっただろう。


「ありがとう、ヒツジ。君は紛れもなく世界一の執事だ。これからボクのために働いてくれ」

「有難きお言葉でございます」


 ボクは羊の執事の胸に飛び込んだ。それから出来立てのジンギスカンを頬張った。スゴク美味しかった。


 * * *


 それからボクと羊の執事は最新鋭AIロボットに囲まれながら毎日仲良く暮らしている。超強力毛生え薬を処方してもらったおかげで、羊の執事の羊毛は一月もしないうちに元通りになった。削ぎ取った尻肉もすっかり完治している。


「お坊ちゃま、本日の夕食はジンギスカンでございます」

「やったね! 羊肉最高!」


 あの一件以来、ボクはジンギスカンが大好物になってしまった。今では週に三回は食べている。でも、どんなに高級な羊肉を使ってもテントの中で食べたあの味が再現できないんだ。やっぱり削ぎたてを焼かないといけないのかな、と最近は思っている。


「お坊ちゃま、近頃私を見る目が少し違っておりますね」

「えっ、そうかな?」

「はい。何やら獲物を狙う狼のような目付きです」

「気のせいだよ、気のせい。はっはっは」


 そう、気のせいだよ。誰も君の尻肉なんか見ていないよ。ああ、羊のお尻ってどうしてあんなに丸々して、どうしてあんなに可愛くて、どうしてあんなに美味しそうなんだろう。ふっふっふ、ジュル……





 このお話とよく似た題名の作品「オバケがシツジの夏休み」は、

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054883930252

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