すーぱー蕪(現代ドラマ)(3500字)

 

 ミセス・ユリは主婦である。同時に趣味で投資も行っている。


 好きな投資スタイルは売り豚。株価が下がって多くの投資家が悲嘆の涙に暮れる時、利益を得た売り豚はにんまりと微笑む。儲けと優越感によるダブルの歓喜は極上である。


 売り豚として名を馳せた投資家のひとりに、二十世紀初頭に活躍したジェシー・リバモアがいる。「ウォール街のグレートベア」と呼ばれた彼は、世界恐慌の引き金となった暗黒の木曜日の50日前、空売りによって1億ドル(現在の価値で4000億円)の利益を手にした、とウィキペディアに書かれている。

 ここで投資をやめておけば幸福な人生を送れたのだろうが、4度目の破産から6年後にピストル自殺してしまった。人生とは分からぬものである。


 もっともミセス・ユリはそこまで投資にのめり込んではいない。あくまで趣味である。趣味に注ぎ込んだ金は通常戻ってくることはないが、投資の場合は一部、あるいは全部、時には注ぎ込んだ額以上の金が戻ってくることもあるので、実に良い趣味だと自負している。


 ところでミセス・ユリにはもうひとつ趣味がある。家庭菜園だ。自宅の庭が無駄に広いので野菜や果実を栽培して食費の足しにしている。


「あれれ、もう9月になっちゃったわ。秋は何を植えようかなあ~、うふ」


 などと、大学受験を控えた娘を持つご婦人とは思えぬ若作りを装いながら、ミセス・ユリは本田技研工業の名機スーパーカブにまたがって近所のスーパーへ向かった。秋植えの種か苗を購入するつもりなのだ。


「やだ、何これ、蕪? すーぱー蕪? 初めて見るわ」


 スーパーのガーデニングコーナーで種苗袋を手にしてつぶやくミセス・ユリ。袋の表面にはでかでかとカラフルな飾り文字で「すーぱー蕪」と印刷されており、その下に小さく、


「あなたの趣味には最適の相棒。この種を手にした時、あなたの人生はバラ色になる。あ、でも別にバラ色の蕪ってわけじゃないよ」


 などと、某K出版社の小説投稿サイトで見かける下手糞なキャッチコピーの如き文言が書き連ねられている。


「買いだわ!」


 別に蕪を植えようなどとは微塵も思っていなかったのだが、種苗袋としては破格のB5の大きさと重量感、及び一袋税別20円という価格に釣られてミセス・ユリは購入を決めた。


「いや~ん、大きい。それに固い!」


 帰宅して種苗袋を開封した時の第一声である。断じて〇の〇〇を見て言ったセリフではないので誤解しないでいただきたい。


 蕪の種は通常小粒である。だがこの「すーぱー蕪」の種は直径が1センチある。しかも重い。更に固い。黒塗りのパチンコ玉といった風情である。


「時は来たわ。天に代わって栽培開始!」


 意味不明のセリフを吐きながら庭に出て露地に直播きをするミセス・ユリ。パチンコ玉仕様の種はドス、ドスと音をたてながら土にめり込んでいく。

 運の悪いことに一匹のミミズが種の直撃を食らって昇天した。先ほどの「天に代わって」というセリフはこれを意味していたのかと、ミミズは薄れゆく意識の中で合点したと言う。


 さて、撒いた種はグングン成長した。「すーぱー」の名は伊達じゃない。間引きもせず放置しておいたにもかかわらず、一カ月で葉の大きさが2メートルくらいになってしまった。

 蕪の葉は春の七草の「すずな」である。七草粥を食べる来年の正月7日まで放置しておく予定だったが、群生する巨大すずなの異様な光景を目の当たりにしたミセス・ユリは、


「抜いちゃえー!」


 早期収穫を決意した。旦那と娘を会社と学校に送り出した午前8時。さっそく畑へ赴き期待を込めて蕪を抜く。途端に拍子抜けする。


「いや~ん、小っちゃい。それにフニャフニャ」


 引っこ抜いた蕪を見た時の第一声である。断じて〇の〇〇を見て言ったセリフではないので誤解しないでいただきたい。


 小蕪でも実の直径は5センチほど。聖護院蕪などは直径20センチも当たり前。なのにこの「すーぱー蕪」の実は直径が2センチほどしかない。これでは蕪ではなく大きめのラッキョウである。光合成によって作られた養分のほとんどが葉に行ってしまったようだ。


「ちょっとガッカリだわ……あら、この小ひげ、青色なのね」


 蕪の先端にちょろりと伸びた細い根。それが見事に青色なのである。ミセス・ユリは直ちに株価チャートのローソク足を思い出した。下げは青色、上げは赤色で表示させている。


「青色……株価下落……今日は売りだわ!」


 蕪の根っこの色と株価の動きには何の関係もない。関係もないのにこんな連想をしてしまうのは投資を趣味とする者のさがと言えよう。


 ミセス・ユリはさっそく株価を調べた。身分不相応に高い値を付けている銘柄を物色。寄り付きで信用売りを注文。予想通りの爆下げ。大引けで買い戻し。


「やったあ! すっごく儲かっちゃった」


 大喜びである。今年チマチマと稼いできた総額を超える利益を一日で得たのだから無理もない。


 翌日もミセス・ユリは蕪を抜いた。小ヒゲの色は赤。


「赤色……株価上昇……今日は買いね!」


 さっそく先日の逆をやる。買った株は爆上げ。そして大引きで決済。またも大儲けである。そして次の日もまた次の日も、蕪の小ひげが青なら売り、赤なら買いで順調に利益を叩き出すミセス・ユリ。


「これはもう偶然なんかじゃないわ。この蕪、まさに『すーぱー』ね」


 種苗袋に書かれていた下手糞なキャッチコピー、


「あなたの趣味には最適の相棒。この種を手にした時、あなたの人生はバラ色になる」


 は、嘘ではなかった。きっと持ち主の趣味に応じて小ヒゲの色も、それが暗示する内容も違ってくるのだろう。ミセス・ユリの趣味は投資だったので、今回はこのような現象が起きたのだろう。


「ああ、もう残り10蕪しかないわ。新しい種を手に入れなくっちゃ」


 既に10回の投資を成功させ、かなりの利益を手にしたミセス・ユリ。残り10回もあるのだから、気合いを入れて頑張れば一生分の利益を稼げそうなものであるが、とどまることを知らないのが人間の欲望というものである。


 さっそくスーパーのガーデンニングコーナーへ行く。しかし「すーぱー蕪」は売られていない。店員にいつ入荷するのかと訊けば、

「そんな商品は仕入れていない」

 と言う。


「冗談はやめて。一カ月くらい前に購入したのよ。その日の売上伝票を見せてちょうだい」

 と事務室に押し掛ければ、購入したのは種苗袋ではなくチロルチョコになっていた。


「こうなればメーカーに直接注文よ」

 と、取っておいた種苗袋を確かめると「製造、販売:すーぱー蕪研究所」と書いてあるだけで住所も連絡先も書かれていない。ネットでググってもまったく引っ掛からない。


「新しい種の入手は不可能なようね。分かったわ。残り10蕪にあたしの投資人生の全てを賭けてやる!」


 ミセス・ユリは本気モードに入った。これまでの儲けを全てつぎ込み、高リスク高リターンな投資手法を繰り返す。絶好の繁殖環境下に置かれた細菌の如く、手持ちの資産は爆発的に増えていく。最後の1蕪となったところで証券口座の預入額は当初の538倍に膨れ上がっていた。


「いよいよ今日が最後ね。勝負よ」


 小ひげの色は赤。買いだ。ミセス・ユリはこれだと思った割安株に全財産を放り込んだ。


「う、嘘でしょ……」


 不安はすぐにやってきた。日経平均が下がり始めたのだ。昼前には全銘柄が下落し、ミセス・ユリの買った株はストップ安を付けてしまった。


「どうして、今日に限って、どうして……」


 売るに売れずそのまま持ち越す。次の営業日も株価は回復しない。日経平均が上げ始めても購入した株価は地を這ったまま。更には上場廃止の噂まで流れて来る。不安に駆られたミセス・ユリは全株損切りしてしまった。


「やっぱり、ただの蕪にすぎなかったのね……」


 ミセス・ユリは悟った。そう、蕪に特別な力があったわけではないのだ。ただ背中を押してくれただけ。これまでの投資成績は蕪のおげではない。ミセス・ユリの運と手腕と思い込み、それが19連勝という奇跡を生んだのだ。


「でも楽しい一カ月だったわ」


 538倍に膨れ上がっていた証券口座の資金は激減した。それでも当初の1.5倍の金額が残っている。十分再起できる額だ。


「よおーし、明日からまたガンバロー!」


 ミセス・ユリは自分自身に活を入れると、酢漬けにしておいた「すーぱー蕪」を口に放り込んだ。ちょっぴり苦く、そして甘い味だった。






 このお話とよく似た題名の作品「スーパーカブ」は、

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880317669

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