横浜駅SS(ショートショート)(900字)


 早朝の日差しが眩しい横浜駅の構内を歩く。


 徹夜明けの頭の中は、深山に立ち込めるかすみのようにぼんやりとしている。寝不足だけでなく数日間に渡って蓄積された疲労が、私の思考力を鈍らせているのは間違いないようだ。


「それにしても人が多いな」


 まだ始発の時間でもないのに横浜駅構内には多数の人影が行きかっている。そのほとんどはスーツ姿の男たちだ。私と同じように朝帰りなのか、逆に始発で出社するのか、いずれにしても彼らが猛烈な企業戦士であることだけは間違いないだろう。


「あいつ……何者だ」


 私は少なからず驚いた。正面からひとりの男が歩いてくる。グレーのスーツに黒の革靴。構内を歩く他の男たちと変わりない姿。しかし、ただ一点、刮目かつもくせざるを得ない特徴があった。その男は口に小さなホラ貝を咥えていたのだ。


「何故こんな場所でホラ貝を……どう見ても普通のサラリーマンだが……」


 私はぼんやりとした頭で考えた。音は聞こえてこないから吹いてはいないのだろう。だが右手に持ったホラ貝を口に当て、斜め四十五度上方を見上げながら歩いている姿は、いつ吹き始めておかしくない印象を与える。


「近付いてくる、男が近づいてくる、このまま知らぬ振りをしてすれ違おうか」


 私の歩く速度が鈍った。男は構わずこちらに向かって歩いてくる。やがて私から数歩の距離まで来た時、口からホラ貝を離し右手を下ろした。その時になってようやく私の目は真実を捉えた。


「……ふっ、ははは、わははは」


 私は大笑いした。男が右手に持っているのはホラ貝ではなく栄養ドリンクの瓶だった。ラッパ飲みしている姿を見て、徹夜明けの鈍った脳が、男はホラ貝を吹いているのだと勝手に認識してしまったのである。


「……」


 突然笑い出した私を尻目に、男は無言ですれ違っていった。


「早く帰って寝よう。これ以上脳を働かせると、どんな妄想を仕出かすか、知れたものじゃない」


 私は改札口へ向けて速足で歩きだした。





 このお話とよく似た題名の作品「横浜駅SF」は

 https://kakuyomu.jp/works/4852201425154905871

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駄文集 沢田和早 @123456789

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