第7話

『能力者』居住区、南通り。

記録資料保存館。通称——"記憶書庫"にて。

現在時刻、13時25分。


「これがBの棚の856番で、次がDの002……あ、"ぴーつー"さん。そっちのファイルくださーい」


腕に抱えた数冊の本を机に置いて、丁度Dの棚を整理していた人物、正確には等身大サイズの人形に声をかける。するとその人形の、パソコンモニターの形をした頭が振り返り、白手袋に包まれた手がびしりとキレのいい敬礼を作った。

俺は手にしたメモの内容と机に揃えた本のタイトルとを見比べながら、不足がないことを確認して小さく息を吐く。


これが俺の仕事であり、"記憶書庫"の役割だった。


街の誕生から今日までに起こったことの全て、また起こらなかったことの全てを記録し、資料として保存して。申請があれば、どんな相手にでも求められる情報を提供する。完全に中立で、完璧に平等な施設。


「これで全部、かなぁ。"うぉーくん"うぉーくん、ルカさんの予約時間っていつだっけ?」


そうカウンターに向かって声をかけると、時計頭の人形が予約帳を片手に陶器の指先で自分の顔(?)にあたる文字盤の長針と6を順に指し示した。もうすぐか、と返せば、どこか満足そうにうなづいてみせる。

ぴーつーさんやうぉーくんは、記憶書庫の主人——"館長"の能力で動く本物の人形だ。AIが備えられている訳でもないのに、ある程度は自分の意思で動いている。"館長"曰く、無意識のうちに読み取った彼らの残留思念から擬似人格のようなものを設定してしまっている、ということらしい。俺にはよくわからないけれど、それが心だというのなら、まぁ希望のある話といえるだろう。

物にも心は宿るのだ。

脳を代替する部品があれば。


少しぼんやりとしてしまっていたらしい。


いつの間にかそばに来ていたぴーつーさんは先ほど頼んだファイルを丁寧に机に置いて、体を屈めるとこちらを覗き込んだ。俺の額に手をやって、器用に頭を傾けてみせる。無機質な液晶が、わずかに光を反射している。

なんでもないですよと笑えば、彼は少しズレた俺のバンダナを直してこくりと一つうなづいた。よくもまあその重そうな頭が転げ落ちないものだ、と思うけれど、口には出さない。

と、次の瞬間。

柔らかな午後の風が、ふわりと館内に吹き行った。


やや古びた両開きの扉が軋むような音を立てて片方だけ開いて、隙間から砂色の髪が覗く。ぴーつーさんがぱたぱたと"お客人"の元へ駆け寄っていくのを横目に、俺は笑って言った。


「いらっしゃいませ、ルカさん」




「——あとはこっちが最近の"門"の通行履歴で、それがここ2、3週間で起こった傷害事件の概要です。他に必要な資料があったら言ってねー」

「あぁ、助かる。いつも悪いな」

「いえいえ」


ルカさんは席につくと、早速数冊の本を開いて机に置いた。うぉーくんが奥から淹れてきたアイスコーヒーを彼の邪魔にならないところへ置いて、静かに戻っていく。その背に「ありがとう」と告げたルカさんにうぉーくんはカウンター越しに頭を下げ、名簿の整理を再開した。

俺はルカさんの真向かいに座り、先ほど集めた資料たちを改めて見る。

外から街へと入るための"門"を潜った人物の一覧と、通った時間。加えて、最近活発に動いている組織や集団の概要。それらは、先日のトレインジャックの際にルカさんが閲覧予約を申し込んだ資料だった。普通に生活する分には必要のない情報、または"何を今更"と思うような情報ばかりである。

とはいえ、割と忙しい立場にあるルカさんがわざわざ直接調べに来るということは、それなりに緊急性のある問題なのだろうけれど。

その視線に気が付いたのか、ルカさんはちらりとこちらを見ると「気になるか?」と尋ねた。素直にうなづけば、彼はページをめくりながら口を開く。


「最近の会議で、"西区"の能力者が不審者に度々襲われてると報告があったんだ。また"東区"の連中と小競り合いでもしたんじゃないかって結論で閉会したんだけれど、それにしては説明のつかない点が多くてな。ちょっと調査中」

「ふぅん?」

「例えば——ただの喧嘩にしては似たような事件が連続し過ぎている、とか。争いに発展するまでの経緯が一切確認されていないこととか、一方で状況からは犯人の自己顕示欲がまるで伺えないこととか」


とん、とんとルカさんの指先が机を叩く。意識しているわけではなさそうだから、癖のようなものなのだろう。いつも嵌めているグローブが、今日は外されていた。

さらに二冊の文書を同時進行で読み取りつつ、俺への説明をしていても彼の作業速度が落ちることはない。


「それはなんていうか、不思議な話だなぁ。無差別手当たり次第っていうならそれなりに格好いい大義名分掲げてそうなもんだけれど」

「だよな。そして、そういう奴らは総じて自分の行為を正当化したがる」

「うん、ううん?だとしたら何かしら残していくよね。自分がやったって証拠になるようなもの。猟奇殺人犯が連続同じ殺し方をするのと同じ。あとは、手の込んだ方法をとるとか?でもそういうのはない、んだよね」

「喩えが物騒だけど、まぁそういうことだな。他に考えられるとしたら?」


彼のついでにうぉーくんが淹れてくれた自分の分のカフェオレをストローで掻き回して、俺は考える。四角い氷が擦れ合って音を立てるの横目に、背もたれに体重を乗せて。

ふと目をやった窓の外で、工場から煙が昇っていく。春の青い空が、その部分だけグレーの煙に侵食された。


「いち、奇跡的に偶然が重なっただけ。に、報復を恐れている。さん、実はまだ見えていないだけでちゃんと法則性がある。そして、よん。

目的以外は本当にどうでもいい——大義を果たすためならどんなことだってする。1番めんどくさいタイプ。俺としては、4番を推すかな。……ああそれで、その資料なのか」


合点がいった、とうなづけば、ブラックのままでコーヒーを飲んだルカさんが小さく笑う。

今彼の手元に開かれているのは、"街"で現在も活動している組織の一覧と"門"の通行履歴だった。

きっとルカさんも、俺と同じ結論に至ったのだ。だから、いち早くその目的と集団の全容を看破するために動いている。

ただし、この資料館で毎日を過ごしている俺は、普段西区で働いている彼よりも早く情報を手に入れていた。


「でも、ルカさんの探し物はそこには無いでしょ?組織一覧は一ヶ月前、通行履歴の方は昨日の夜に更新された筈だけれど」

「……そうみたいだな。ここ最近はどこも大人しくしてるみたいだし、それらしい人、あるいは荷物が街に入った形跡もない。また1から考え直しだ」


ぱたんと資料を閉じて、ルカさんは1つ溜め息を漏らした。その様子を見ながら、俺は大変そうだなぁなんて内心ひとりごちて。

カフェオレを1口飲み、そこでようやく思い出した。


「——あ」

「ん?」

「ほら、この間のトレインジャック。あの人、2週間前に"革命軍"っていうに入ってた」


脳裏に浮かぶのは、『遠隔感応』で読み取った犯人の過去。

やけに鮮明に彼の脳に残っていたその記憶は、確か古びたバーの中で刻まれていた。


薄暗い店内のカウンターに腰掛けて、1人の青年が酒瓶を傾ける。それを彼は苛立ち混じりに見つめていて。


「姉ちゃんの復讐か、復讐ねぇ」


青年がそう笑うと、胸の底から重苦しい感情が湧き出した。衝動のままに摑みかかると、青年は喉を鳴らして笑う。


「いいんじゃねぇの?やれば。してやれよ。姉ちゃんの敵討ち。その方が面白い。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺せ。どいつもこいつも、人間サマだろうがカミサマだろうが殺せばいい。これからオレらは革命の徒になるんだから」


俺は、否。彼は本能的な恐怖を覚えて青年を突き飛ばして。なおも狂ったように笑いながら、青年は起き上がる。背後のカウンターに背を預けて、それから、芝居掛かった演技で片手を広げてみせた。

——ああ。そして最後に、青年はこう言ったのだ。


「そんで、お前も死ね」


「2週間前なら、最後の更新日の後だ。資料には載ってないよね」

「……それだな」


呟いて、ルカさんは残りのコーヒーを飲み干した。椅子を引いて立ち上がり、腕時計の針を確認する。何処へ、と尋ねれば、トレインジャック犯の収容施設と彼は答える。


「まだ生かされているかはわからないけれど、まぁ1人でも生きていればそこから辿れる。今ならまだ面会時間にも間に合うだろ。ありがとなハルト、助かった」


いえいえ、と手を振ってから、そういえばあの青年についてを伝え忘れていたことに気付く。普段頭を使わないでいるとこれだから困る。

俺は慌ててルカさんを引き止めた。


「リーダーらしい人は白髪の青年でした。身長はカグラさんくらいで、フード被ってたから顔までは視えなかったんですけど」

「了解、覚えておく」


彼はうぉーくんへご馳走様でしたと礼を述べて、足早に出入口へと向かう。

その背をぼんやりと見送っていると、ルカさんは扉に手をかけたところで振り返った。


「ハルト」

「はい?」

「あの一件で、お前がテレパシストだってことと、犯人の過去を見てることはもう相手にもバレてる。口封じのために、……いや、たとえそうじゃないとしても襲われる理由は十分ある」


気をつけろよ、と告げて、ルカさんは資料館を出て行った。ああいう人だから、みんなに頼りにされているのだろう。そりゃあ俺と同い年には見えないよなぁ、なんて一緒に歩いていた際散々「弟さんですか?」ときかれたことを思い出していると、資料の整理に励んでいたぴーつーさんに手招きされた。

そういえば、仕事が残っているんだった。

俺は一息にカフェオレを飲み干して、二人分のグラスをカウンターに戻しに立ち上がる。




そして。

ルカさんの警告の重さを俺が思い知るまで、あと、9時間。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水槽の街 あふたーのーと @After_Notes

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ