ぐるぐる凶器

遊木 渓

ぐるぐる凶器

 パイン材の可愛らしい家具に、チェックや花柄模様の雑貨。赤毛のアンの世界さながらの空間は、アロマな香りで満ちている。

 男にとっては居心地の良い場所とは言えないが、愛らしい女の子とデートしているのなら、何時間いても苦にはならない。

 が、今はデートどころか仕事。しかも野郎と一緒ならばさっさと終わらせて出て行ってしまいたいのが本音だった。

 はあ、と聞こえないよう小さな溜息を九条は漏らす。

 すると隣にいた野宮がふっと顔を上げ、「異世界ッスよね」と呟いた。

 ずっとイヤホンを耳につけているので聞こえなかったと思ったがそうでもないらしい。


 お前がさっさと推理すればこの異世界から出られるんだけどな。


 そう言いたいのをぐっと飲み込み、九条はせめてもの慰みにと美少女探偵のほんわかした笑顔を思い出した。




 例の検定試験が始まってから十年は経っただろうか。

 探偵検定。なんて冗談かと思っていたら本当だった。

 ご当地検定大流行だし、探偵検定も趣味の分野だろうと九条は思っていたのだが、いつの間にやら数十名の「探偵」を抱える探偵協会なんてものが出来上がっていた。

 まるで小説の世界だと驚いていたが、探偵業も世の中には必要なのだろう、そのまましっかり営利企業として運営されていた。とはいえ探偵は探偵、警察官の九条とは接点などまるでない。

 が、九条が刑事になった途端、探偵と組んで仕事をしろと上から命令された。そんなことが何度かあり、命令だからと仕方なく探偵と協力してきた。彼らはみなどこか変わっていて、なのに頭の切れが半端なく、推理の鋭さに舌を巻いてばかりだ。

 刑事が必要とされるのは調査のためというより、護衛みたいなもの。そう悟ってからは、九条はあまり口出しせずに探偵のやりたいようにさせている。とはいえ法に触れる恐れがあったり、危険なことに首を突っ込もうとするとセーブするのだが。


 今朝も殺人事件の調査を探偵と行うようにと言われ、九条は探偵協会のビルに向かった。誰と組むかは聞いていない。もしかすると、と期待を込めて玄関に足を踏み入れたところ、目当ての人物がまず現れて九条の気持ちは天へと舞い上がる。


「九条さん、おはようございます!」


 笑顔で挨拶してきたのは、探偵協会ナンバー1(と九条が思っている)の美少女・神無月理久(かんなづきりく)だ。

 いつもフリルや小さな花柄のふわふわした服を着ている。軽くウエーブのかかった長い髪、小柄で小さな顔。壊れやすい砂糖菓子みたいなこの少女が探偵だなんて、最初は信じられなかった。

 理久も何度か刑事とコンビを組んで活躍しているが、九条がその恩恵にあずかったことはない。たいていは頭が白いか禿げてるかのベテラン刑事と一緒で、九条は指を咥えながらその光景を眺めるだけだった。

 今日こそ神無月理久と組める、ラッキーだ。と九条が拳を握りつつ「おはよう」と口を開いたそのとき、横からぬっと長身の男が現れた。

 グレーのニット帽で顔を半分くらい隠し、耳にはワイヤレスイヤホン。だぶだぶのカーゴパンツをだらしなく履き、ポケットに手を突っ込んだまま。体は大きいくせに中身はまるで子どもという印象。九条の一番嫌いなタイプのガキンチョだ。

 九条が眉をしかめた瞬間、理久がほわんとした笑顔で、


「九条さん、こちらは新人探偵の野宮ヒカルさん」


 などと紹介したものだから九条はのけぞりそうになった。


 理久は九条のことも野宮に紹介する。野宮はイヤホンを片方だけ外し、頭だけぺこりと下げてきた。


「どうも……」


 苦々しい顔を崩せず九条が一言だけ告げると、野宮はまたイヤホンを戻し自分の世界に入る。


 今ここでこいつが出てきたということは……。


「九条さん、今日は野宮さんのこと、よろしくお願いしますね」


 理久はにっこりと天使の微笑を浮かべながら、九条が一番考えたくなかったことをさらりと言った。




 昨日の朝早くに郊外の道路脇で死体が見つかった。

 ガードレールの向こう側、木々の間に投げ出されるような形で一人の男が横たわっていた。横向きで寝ているようにも見えたが声をかけても返事がないので警察を呼んだ、と第一発見者は語ったらしい。

 被害者は香山ヒトシ、三十歳で市内の会社員。後頭部に鈍器で殴られたような跡があり、発見された場所が自宅とはまるで逆方向だったことから殺人事件の可能性が高い。何より携帯電話の発信・受信履歴とメールの履歴が綺麗に消されていたのだ。

 仕事の関係者たちはほぼアリバイが特定され容疑者は浮かんでこなかった。

 さらに調べてみると半年前に合コンで知り合った女性とかなり親密な仲になっていることがわかった。が、彼女は昨晩は家族で温泉旅行に出掛けていて鉄壁のアリバイがある。


 手詰まりと思いきや、香山は別の女性と長く交際していることが判明した。周囲には明かしていなかったが、会社で持たされている携帯の方に彼女の番号の履歴が残っていたのだ。

 その相手は香山の中学の同級生・三木サトエ。三木は一昨日の夜遅くまで自分の店で仕事をし、マンションへ戻ったと主張しているが、証明する者が誰もいない。

 香山の心変わりに腹を立てて殺害。実にありそうな展開なのだが、三木を逮捕するには重要な証拠が欠けている。情況証拠だけでは立件さえも危うい。

 さらに凶器も発見されていなかった。かなりの重さの鈍器なのは確かだが、ガラス瓶であれば割れてしまうだろうし、木片であれば傷跡に破片がついているはず。鉄パイプにしては傷が大きすぎる。

 逆に言うと、凶器が見つかれば犯人が特定できそうなほど特殊な物と考えられた。


 九条が車を運転しながら助手席の野宮に事件の説明をすると、野宮は軽く頷いて「事件の資料は読んでおいてるッス」と呟くだけだった。

 あまりの憎々しさに九条は続く言葉が出てこない。

 相手が探偵でなければ車から放り出しているのに。




 三木はカントリー風の雑貨を扱う店を経営していた。ログハウスのような外観で、周りに小さな花やハーブが並んでいる。植木鉢の間からお出迎えするリスさんやウサギさんたちと目が合った瞬間、九条は回れ右をして帰りたくなった。

 九条は昨日は香山の職場に赴いていたので、三木に会うのは今日が初めてだった。飾り気のない茶色のエプロンを付けた小柄な女性で、香山と同じ三十歳には見えないくらいの童顔。話し方はおどおどしていて、一緒にいて気が休まるタイプじゃないなと九条は勝手なことを思う。最も警察に殺人の疑いで捜査されれば怯えるのも仕方ないだろう。

 ――もちろん三木を疑っていることは本人に言っていないが。


 九条は店に入って三木に簡単に自己紹介し、野宮のことも紹介しようとしたときだった。女性客が二人入ってきたので、三木が「すみません」と接客に行ってしまう。仕事の邪魔をするわけにはいかず、仕方なく九条と野宮は所在なく店の中をうろうろするのだった。


 ダイニングテーブルの上には食器やらホーローの鍋やらが所狭しと並んでいる。花柄に葉柄に水玉に妙な凹凸……センスが良いのか悪いのかさっぱりだ。

 野宮は人差し指ですっとテーブルの表面を撫でた。傷防止のためだろう、ビニールクロスが敷いてある。


「こまめに掃除してるんすね」


 自分の指を見ながら野宮が言う。お前は口うるさい姑か。


 木製のフリーラックの上にはカードだのスタンプだのサインペンだの、下の段には飾りのついた髪ゴムやボタン、やたらと小さな財布……およそ実用には役立ちそうもない物ばかり並んでいる。

 どの段にも細かい絵柄の布が敷いてあるが、目をこらして見ると猫やら熊やら動物ばかり。店の雰囲気作りのためなのか、それとも三木の精神年齢の低さのためなのか。

 野宮は布に興味があるのか、端の方をめくって裏側を覗いていた。否、もしかすると探偵活動を始めているかもしれない、と九条は無理矢理考えてみたりする。

 が、すぐに野宮は興味を失ったようで、別の棚の縫いぐるみをつつき始めた。九条は聞こえないようにため息をついた。


 店の商品に飽きてきたので九条は三木の方を窺う。

 客が選んだ小物はプレゼント用だったようで、三木は包装を始めた。するとぬっと大きな影に遮られ見えなくなる。

 野宮が不躾なくらいに堂々と三木の目の前に立ちはだかっている。

 九条は「おい」と野宮の肩を掴んで下がらせた。

 三木は戸惑った顔をしていたが、野宮が離れたのでほっと安心して再び包装を続ける。


「仕事の邪魔をするな。あまり機嫌を悪くさせたら話がしづらいぞ」

「はあ……」


 野宮は叱られた小学生のように額をかりかりと掻く。しかしでかい図体でそんなことをされてもちっとも可愛げはない。


 包装が終わり品物を受け取った客が出て行った。

 さて話を聞いてみようと九条が一歩踏み出したときだった。野宮が大股でずんずんと三木に近づいてゆく。


「おい……」

「三木さん、あなたが香山さんて人を殺したんですよね?」


 ぎょっとしたのは野宮も三木もほぼ同時だった。

 アリバイとか凶器とかまだ全然調べてないだろうがと言いたいところだったが、「突然何を言うんだ」と九条は窘める。


「だって凶器は……」


 凶器がわかった? もう推理できたって言うのか?


 九条はごくりと喉を鳴らす。

 と、野宮は「ストップ」をするように大きな手の平を見せてくる。


「っと、ちょっとだけ待っててください。ここいいところなんで」

「あ?」


 ぽかんと間抜けた顔の九条には目もくれず、野宮はイヤホンを包むように両手で耳を押さえ何度も頷いた。曲のリズムに乗っているのかと最初は思ったが、まるで人の話に相槌を打つかのような緩慢な動きだ。

 探偵という連中は変わり者ばかりで九条は慣れたつもりだったが、野宮は特にひどいかもしれない。九条はいらいらしながら野宮が話し出すのを待った。

 ちらりと三木の方を見ると、どうしていいのかわからないような様子で、目をうろうろさせている。こんな人種に免疫がなかったら仕方ないよなと九条は思う。


 数分後、ふうと息をついて野宮はイヤホンを外した。


「えっと、まず凶器なんスけど――」


 野宮は真横にあるテーブルのクロスを軽くめくり「これ」と指差した。……そこにある物は一つだ。


「このテーブルを持ち上げてとか言うんじゃないだろうな」


 九条は頭痛を起こしそうなのをこらえて眉をしかめる。


「あー……そういう可能性は考えなかったッス。俺の言いたいのはこっち」


 野宮が指でつまみ上げたのは透明のビニールクロス。


「それを丸めたって言うのか」

「けっこう近いけどちょっと違います。……ね、三木さん?」


 振り向いて三木を見やると、真っ青な顔で目を見開いている。


 ――確実にビンゴだ。


 九条はそう確信したものの、どうやってビニールなんかで殴れるのか意味がわからない。


「こういうのって元々巻いてあるのを切り売りしてもらうんス」

「そんなことくらい知ってる」

「で、巻いた状態の物ってかなり重いし固いッス。俺、ホームセンターでバイトしてたから知ってるんですが」

「巻いた状態?」


 はい、と野宮は頷いてまた三木の方へと向いた。


「三木さんは巻いたままのビニールをそのままどこかで買ったんですよね。テーブルとかに敷くのに自分でカットするつもりで。香山さんとどんな関係でどうなっちゃったかは知らないんですけど、巻いたビニールを持ち上げて殴ったらけっこうな衝撃で、香山さんは亡くなっちゃったんじゃないんスか?」


 三木は青ざめたままぶるぶると震えている。今にも泣き出しそうな様子で、野宮の言うことは図星らしい。


「香山さんの死体は別のところに運んで、あとは血のついたビニールが残った。んで、証拠をなくしちゃおうと三木さんは一生懸命カットしたんですね。たぶん一晩中かかって」

「カットした? 全部か?」

「だと思いますよ。三木さんの右手、けっこう腫れてますし。ちょうどハサミの柄が当たるところが」


 ほら、と野宮は三木の手首を掴んで掲げて見せた。親指から人差し指にかけて赤く腫れている。


「さっきハサミを使うの見て気がついたんス」


 野宮がぱっと手を離した途端、三木は崩れ落ちるように床に座り込んだ。


「……すみません……すみませんでした。わたし最初はそんなつもりじゃ……」

「あー、話は署の方で詳しく聞きますので、とりあず現場保存」


 これ以上店の物に触れるなと野宮に指示し、九条は電話で鑑識を呼んだ。




 応援に来た警察官たちに三木を引き渡し、血痕やルミノール反応を調べる鑑識に邪魔にならないよう九条と野宮は外に出た。

 近所からわらわらと野次馬が集まってくる。好奇心のこもった視線に居心地悪さを感じながら九条は車の鍵を出した。


「推理ご苦労だった。初めてなのにお手柄だな」


 送っていく、と野宮を車へ促すと、はにかむようにぺこりと頭を下げた。


 鑑識はこれから大変だろうがな――。


 三木は殴った後のビニールクロスを全部使うため、店の物だけじゃなく自宅のいろんな場所にカットしたクロスを敷き詰めたらしい。どの場所に香山の血液が残っているのか、三木本人でさえも見当がつかないだろう。


「よくビニールなんかに気づいたな」


 車を発進させながら九条はぽつりと呟いた。


「ああいうのって埃がつきやすいんスけど、三木さんのお店のビニールは全然綺麗だったんで。掃除してるつもりでも細かいところまで毎日はしないだろうと思ったんス」

「そして手の腫れか」

「はい」


 推理と言うより山勘か。

 そんな台詞を九条は口に出さず飲み込む。


「そういやお前、ずっと何聴いてたんだ? 話を中断するほどいい曲なのか?」


 へ? と野宮は自分のイヤホンのコードをつまんだ。


「これ、音楽じゃないです」

「じゃあ何なんだ」


 今はやりの語学学習だろうか。九条はちらっと隣席に目をやった。


「落語ッス」

「落語?」

「はい。俺、笑遊亭小蛸師匠の昔からのファンで、気に入ってる話は何度も聴きたくなるんス」


 前を見て運転してるので野宮の顔は見えない。が、声色だけでうきうきした様子が感じ取れた。


「じゃ、さっき止まったのは」

「クライマックスのところ。小蛸師匠の一人五役は何度聴いても絶品ッス!」


 ――本当に頭痛がしてきた。


 こんな人種にこれからも付き合わなくてはいけない我が身を憂い、九条は深い深いため息を遠慮なくついた。




   ――了――

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