聖上 二
「――あははははははは!! いいねえ最高だよ
堪らず、一人の男が噴き出した。浅黒い肌をした男、
アレクセイが警戒しろと言っていた男。この一連の出来事の裏で糸を引いていた、魔人。
「いいんじゃないか聖上。東御亘が痺れを切らして出てきたんだ。逢魔ヶ刻をとっとと征圧してもらってもいいと思うよ私は」
とうみ……わたる……ってまさか、
「余としてはお前への保険を少しでも置いておきたいんだがね、織田よ」
「おだ……?」
織田だと? 聖上は杉山に対してなんでその名を……?
「ああ、そういえばお前たちにはペンネームしか教えていなかったか。いいだろう、我が真名、教えるに足る傑物であると認識した。我が名は【
「……は?」
素っ頓狂な声が出ていた。端的に言えば意味がわからなかったのだ。織田だと? 信長だと? この男、何をふざけたことを言っている? 織田信長なぞ三百年以上前の織田の殿様だろう? それをなんで? 同姓同名? それに今首領って……。織田の今の当主がなんという名前だったかは覚えていないが少なくとも信長などという名前ではなかったことは確かだ。
「どういう、つもりだ? また偽名を騙って何をするつもりだ……? こっちはお前にむかっ腹が立って仕方ないというのに」
皇都を、皇国を滅ぼそうとした真なる敵。軍の中枢に入り込んだ間者。この国の病巣。
しかし彼は普段浮かべている薄ら笑いを忘れた様にきょとんと、まるで不思議なものを見ているかのような調子で。
「偽名も何も信長本人だ。一五八二年に本能寺で光秀のせいで死にかけた信長よ」
「ふざけるな、人間が三百年も生きられるものかよ!!」
そう反論した所で彼は合点がいったように手を打ち鳴らすと今度は爺さんに向かって一言、
「御大、自分の弟子に何も教えていなかったのか。天津神に寿命がないことを」
「――――、」
一瞬、意識に空隙が生じた。その程度の衝撃はあった。天津神に寿命がない? 本当に、本当に、この男は何を言っている?
「こいつは面白い。三百だの四百だのはまだ天津神の中ではひよっこもいいとこだぞ。御大もいい加減臭いものに蓋をするのはやめて真名を教えてやったらどうだ?」
思わず視線を爺さんに向ける。表情に色は無い。光を映さぬ目はそれでも俺へと注がれていて、
「【
やまと、たける……、
「……本当、なのか……爺さん?」
「嘘を吐くような男に見えるか?」
「…………いや、」
……だが、でも、だって。正直、理解が追い付いていなかった。
だってそうだろう? いきなり目の前の人間に自分が歴史の教科書やら神話の中で語られる人物であると言われても普通冗談か何かだと思うはずだ。少なくとも本人だと思う人間は十人に聞いても十人全員が違うと思うし断言するだろう。
この場にいる人間は誰一人として彼らの発言に疑いの声を上げない。そうであることを知っているみたいに。いっそ全員でふざけているとネタバラシしてくれたほうがまだ真実味がありそうだった。
しかし、それこそ有り得ない。俺を嵌める理由も、意味も全くないから。
「混乱しているようだな。今は信じられずともよい」
爺さんの、聞きなれた声音の御蔭なのか昂っていた感情の波が徐々に落ち着いてきた。それと同時にどこか安心している自分がいることに気が付いた。やっぱり、どうあっても俺は爺さんの弟子であり、爺さんに憧憬を抱く男らしい。
それに爺さんがかの有名な英雄神本人だというのならその崇敬は更に深まるというものだ。
「教えずにいて済まなかったな。教えても信じてもらえぬと思っていたし、教える必要もないと思っておった。天津神にはそう容易くなれるものではないからな」
「……でも、俺はなったよ。俺はあんたに近づけたか?」
そう問うと、爺さんは今にも泣きそうに笑って、「ああ、近づいたとも」そう言って頭を撫でてくれた。でも、なぜだかちっとも嬉しそうに見えない。そんな気がした。
「じゃあ、聖上もずっと生きておられるのですか?」
「いや、余はきちんと明治生まれだ。聖上位を継ぐ際に先代から祈りを譲渡してもらっているに過ぎぬ。だからこそ、身一つでその域に達することができたお前達を尊敬してやまないのだがね」
聖上はそう言って、人好きする柔和な笑みを見せた。
「――さて
「期間とは?」
「逢魔ヶ刻の征圧まで、ということにしておこうか。以降は皇国の防衛に努めよ。陽菜、それまでの間はお前に一任する」
「拝命致します」
大佐は恭しく頭を垂れる。改めて大佐の底知れなさを実感する。こんなちっちゃいナリなのに、聖上と向き合っても全く物怖じしないというか動じないというか。俺なんかよりも全然立派な人だ。
なんて考えているとアナスタシアが「ところで」と切り出す。
「なぜ陛下は彼のような男を懐においておられるのですか?」
彼女の視線の先には自称・織田信長の元へと注がれている。
彼女の意見には俺も同意だった。何故このような危険な男を手元に置いておくのか? 聖上自身この男を危険視している口振りだった。なのに、聖上は危険視はすれど排除するつもりも殺すつもりもないようなのだ。
「ふむ、この男を殺さねばならない――最もな話だ。此度の事は余としても看過できぬしその意見には賛同しよう。だが、この国の腫瘍を切り取るまでは生かさねばならぬ」
「それは逢魔ヶ刻ですか?」
「……それよりも酷いものだ」
逢魔ヶ刻よりもひどいもの? そんなものがあるというのか?
「それは一体何で――」
「お前達は気にしなくていい」
俺の問いかけを遮るように爺さんが口を挟む。
「これは私達がやり残した問題だ。お前達に背負わせるつもりはない」
「……俺はあんたの跡を継ぎたいんだ」
「ダメだ、これだけは」
「俺だって天津神になった。ひょっとしたら手伝えることだってあるかもしれない」
「言っているだろう? これは我らの問題だ。お前がしゃしゃり出る必要はない」
「それは東御亘が関係しているのか?」
「くどいぞ」
平行線だった。どれだけ問い詰めようとも爺さんは話そうとしない。爺さんの頑とした態度に合わせて話そうとしてくれていた聖上も口を閉ざしてしまった。
爺さんのこうした態度は天津神になったとはいえやはり俺自身が未熟な存在だからなのだろうか? そう思うと自分の中の腹の底の辺りがぐらぐらと沸き立つ感じがした。
追いつかなければ。早く、早く。
――やがて聖上から解散の旨が言い渡され、俺とアナスタシアは大佐に連れられてその場から退去することになった。
余りにも濃厚な時間だった。情報量の多さに俺の脳みそは悲鳴を上げている気さえする。何より、爺さんたちが頑なに隠し続ける、皇国に潜む何か。それに、自称信長が口走った東御という名。
嫌な予感がする。
ざわざわと、ぴりぴりと、剃刀で皮膚を舐められている、みたいな。何か得体の知れぬ何かが喰らいつこうとしているように思えてならない。――だから、俺は聞かねばならなかった。これだけは、
「――なあ、大佐。
「そんな事を聞いてどうする?」
「もしあの男がこの国に仇なそうっていうんなら――」
「大丈夫。大丈夫だよ、悠雅。あいつはこの国に何かしようとはしていない。あいつは……救世主だからな」
大佐はそう言って、とっとと先に行ってしまった。それも、さっきの爺さんと同じ様に今にも泣き出しそうな笑みで。
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