聖上 一

 音が無かった。一体どんな材質でできているのか無知な俺にはわからず、ひたすら遥か彼方まで続く回廊をアナスタシアと歩く。先導する爺さんと大佐は何も言わない。何を聞いてもただ「ついてこい」と言うだけで要領を得ない。ただ、その面持ちから察せられる雰囲気からとてもふざけたことはできないと踏んでそれ以上問うことは無かった。


 皇都大付属病院の地下。そこの霊安室にある隠し扉から続く薄暗い回廊。明らかに普通じゃないその造りはこの回廊が間違いなく尋常ではない場所に続いていることを否応が無しに予感させるのだった。


「傷が痛む?」


 不意に隣を歩いていたアナスタシアが労わる様に聞いてきた。


「いや、問題ない。殆ど完治している、お前の御蔭だ。それよりお前は随分落ち着いてるんだな」


 アナスタシアは顔色を変えることなく、誘われるがまま爺さんと大佐の後を追っていた。俺なんか困惑しっぱなしだというのに。すると彼女は少し考える様に薄紅色の唇に指を当てた後、


「私、知ってるから。こういうの」


 こういうのとはどういうことだろう? よくわからないまま彼女は俺の手を引く。


「大丈夫。ただ、少し驚くかもしれないけど」


 本当にどういうことだろう? されど、彼女はそれ以降口を開く事無く俺を先へと促すのだった。


 それから半刻程歩いた。代わり映えのしない景色にいい加減うんざりしていた所にようやく扉を見つける。重苦しい鋼でできた巨大な扉だ。およそ神格でもなければ開く事さえままならなそうな扉が俺達を認識したのか独りでに開く。その先には昇降機があり、軍服を纏った男が待ち構えていた。

 男は僅かばかり驚いて呪装銃を向けるもそれを大佐が制し、昇降機を動かすよう命じる。


 昇降機に乗り込むと機関が音立てて駆動し始める。下へ下へ、ひたすら下へ。昇降機は地下へと降りていく。いつか地球の裏側に辿り着いてしまうんじゃないか、とか馬鹿みたいなことを考えている、


「悠雅」


 爺さんが俺を呼んだ。それも凍り付く様な声で。


「なんだよ?」

「これからお会いする方に名乗る時、全ての名をお伝えしろ。良いな?」


 皇国人はみだりに真名を名乗ってはいけない。そういう風習が古来から続いている。すべての名を知って良いのは家族となるものと、主となる者だけに限られる。

 理由は真名を知られていると呪術師との戦闘に不利になるからだと言われている。安倍晴明の逸話なんかがその最たる例。


 つまり、これから俺が顔を合わせる人物と言うのは……。


「……わかった」


 返事と共にチンと間の抜けるような音共に昇降機の扉が開く。そこは一面赤い絨毯が敷き詰められた大きな部屋が広がっていた。

 部屋の奥には背の高い椅子が一脚。そこに一人の男が座っている。黒い髪を垂らす、白い肌の美丈夫だ。そして、その手前には一人の男がいた。


 杉山泰道。なぜこの男が平然とこの国を闊歩していられる?


「連れて参りました」

「ほう、若いな。その若さで天津神に至ったものは中々おらぬだろう」


 奥の男は値踏みするように俺の顔を見る。


「いつぶりだろうな、新たな天津神の出現は。そなた、名を何という?」

「……橘比奈守深凪悠雅鍵時たちばなの ひなもり みなぎ ゆうが かねときと申します」


 爺さんから言われた通り全ての名を明かす。すると男は僅かばかり驚いたように、


諸兄もろえ? いや、佐為さいの末裔か。なるほど、彼も子孫から天津神が現れたと聞けば喜ぶだろう」


 口元を緩めて一頻り笑う。一体彼は何者でこの集まりは一体なんなのだろう? いい加減顔に出てきていたのか男は「済まない」と謝罪の言葉を吐く。


「普段中々知己を増やすことがないでな。ついつい聞きすぎてしまった。そうよな、自分から名乗るのが礼儀だった」


 男は椅子から立ち上がるとゆっくりこちらに近づいて来て、


「余は今上聖上。この国の元首である」


 思考がすっ飛んだ。疑問の言葉を胸の内に過ぎらせることすらできなかった。その言葉を呑み込み、理解するまでに時間を要したのだ。


「驚いたかい?」


 かくりと首を縦に振るのがやっとだった。爺さんの言葉に相当な大物が出てくると予想はしていたが聖上とは予想を遥かに上回る大物だ。精々首相か軍の大将位が出てくると踏んでいた俺は最早腰を抜かす寸前だ。


 次いで彼は俺の隣へと視線を移す。


「陽菜、彼女がお前の話をしていた?」

「はい。ロマノフ皇家の生き残りになります」

「お初にお目にかかります聖上陛下。わたくしはアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァと申します」


 言葉を失っている間にアナスタシアは自ら名乗る。


「多くは聞かぬよ。大変であったな皇女殿下」

「ご迷惑をおかけいたします」

「よい。かの国とは戦もしたがずっと交流してきた同盟国でもある。ニコライ殿の忘れ形見を預かるのに一つの憂いもない。だが、英国や独逸でなくてもよいのかな? それにそもそも御身は聖都の預かりだったはずでは?」

わたくしはこちらの悠雅と共にあることに決めましたので」


 ……驚愕に次いで羞恥。多分他者から見たら俺の顔はいい具合に百面相していることだろう。それを証拠に杉山泰道が陰に隠れて笑いを堪えている。爺さんは少し呆れているみたいだった。


「話には聞いていたがいざ本人たちの口から聞くと改めて驚いてしまうな。成婚される際は是非一報を」

「陛下。いい加減話を進めましょう」


 僅かに苛立った調子で促したのは他ならぬ爺さんだった。

 爺さんはやけに機嫌が悪い。俺を病室に迎えに来てからずっと。一体どうしたというんだろうか?


「怒られてしまったな、はははは。――さて鍵時まずは皇都、皇国の防衛、誠に大義であった」

「あ、ありがとうございます……」

「固くならずとも良い」


 そう仰られても早々簡単にはいかないのが実情。相手は聖上、国家元首だ。緊張するなという方が無理な話だろう。


「邪竜討伐及び神器・天叢雲剣の奪還、そして天津神への到達。以上の功績を以て佐為・橘家に朝臣あそんの返還と深凪悠雅鍵時に大公爵位を与える」

「……ありがとう、ございます」


 どうしよう、さっぱり意味がわからない。朝臣の返還という事は貴族に戻った、ということか? 名誉なことなのは重々承知しているが突飛すぎてあまりピンと来ない。


「本日付けで特務機関第八分室、神祇特別戦技科より解任。皇国陸軍大将位に任ずる」

「え、なっ、待ってください。それは困ります!!」

「なぜかな?」

「俺――いや、私は前線にいたいのです」


 特戦科から離れるということは逢魔ヶ刻に行けなくなるということ。それはあってはならない。俺は貴族になりたいんじゃない。英雄になりたいのだ。それがこの歳まで守り育て導いてくれた爺さんとの約束であり、恩返しだから。


「余もお前も含め、天津神は国防の要だ。簡単には前線に出せないんだがね」

「私から剣を取ったら何も残りません。この空っぽの頭に部下や金を渡した所で無駄にするのがオチ」


 不遜にもそう言ってのけてしまった。これは間違いなく不敬だ。聖上の面子を潰しかねない発言だから、罪に問われてもおかしくはない。

 だが、それでも俺は俺が目指すべきものを、居るべき場所を言う。きっと爺さんは怒るだろうけど、俺にとっては聖上の言葉より爺さんとの約束の方が大切なんだ。

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