告白
アナスタシアがアレクセイを連れて宗一達に挨拶をしに行った後、その場には俺とドミトリー・ニコラツェフだけが残された。てっきり彼も二人と一緒に行くのかと思っていたが何故だか彼、ドミトリーは腕を組んで灰色の瞳で俺を見下ろしてくれているのであった。正直居心地が悪くて仕方がないのだが。
「小僧、お前、第三階梯に至ったか」
「は、はい……」
「そう畏まるな。そこに至った者を最早弱者等とは呼ばん。貴様は私とも、ミササギとも対等だ。……でも、そうか、なってしまったのか」
妙な言い回しだと思った。それではまるで、ならない方が良かった、みたいに聞こえる。
「それはどういう……?」
「私からそれを説いても信じられるかわからん。それこそミササギ辺りから説明を受けるだろうし、今は大人しくしている事だ」
そうやってもったいぶられるとますます気になってしまう。ちょっと視線で促してみる訳だが彼は話はこれで終わりだと言わんばかりに林檎を齧る。
「ああ、これは自分の為に買ったものだぞ。お前には別にきちんと用意してある」
がさりと音立てて紙袋に詰め込まれた山盛りの林檎がこんにちは。そんな乞食みたいな視線を送ったつもりはないのだが、彼はぶっきらぼうに林檎を一つ放ってくれた。
「この国の林檎は中々旨いな。農家の執念を感じる」
「は、はあ……」
どういうつもりなんだろうか? よくわからない。しかし、ドミトリーはうまいうまいと林檎を齧り続ける。本心であろうが一番重要な部分には霞がかかっている気がした。
それからしばらく林檎を齧りながらドミトリーを観察していると。彼は俺から背を向けて、
「お前とアナスタシア殿下のことを認めるつもりはない。これはどうあったって曲がることはないだろう。だが、お前になら殿下を預けてもいい。他ならぬ殿下がそれを望むのであればその思いを汲まねばならんからな。だから、これからお前は命にかえても殿下をお守りするのだ」
「言われずともそうするつもりだ」
「その言葉、
ピシャリ。引き戸が閉まる。
ドミトリーとしても歯痒い気持ちだったのだろうと思う。ずっと守ってきたアナスタシアを得体の知れない馬の骨に、それもかつて敵国であった皇国の人間に預けるのだから。……だが、うん、少しばかり面映ゆい気持ちだ。
少なくとも、あの護国の大英雄にアナスタシアと一緒にいてもいいと言われたんだ。嬉しくないはずがない。
「――やっぱり、あの人と居てもいい言われて嬉しいんですね」
「うおおっ!? って、なんだ瑞乃か……余り驚かせるな」
驚き過ぎて傷口開くかと思った。彼女は一体いつこの病室にはいってきたんだろうか。やれやれと布団を被りなおすと彼女は口を尖らせて少し拗ねた様に顔を伏せる。
「どうした?」
「……いいえ、何故だか勝負する前から不戦敗させられそうで」
その言葉の意味するところを俺は断片的にしか把握していない。あの時アナスタシアに言い放った言葉をそのままの意味で受け止めたらの話だが。
なんだって彼女がそんな思いを抱いたのか俺に思い当たる記憶はなかった。ただ、あの時アナスタシアとの会話で見せた彼女のあの顔は間違いなく本気の顔だったと、そう思う。
「悠雅さん、」
ならばこちらも本気で相対しなければならないだろう。
「好きです。貴方をお慕いしております」
愚直なくらい真っ直ぐ、何のひねりもない愛の告白。彼女は少し変わり者だが、勇気も度胸もあるいい女だ。独り身であったなら、即受け入れて小躍りしていたことだろう。しかし、今の俺にはアナスタシアがいる。だから、
「済まない。俺には誰にも代え難い
この思いはきっと生涯変わることは無い。
そう思えてしまうくらい俺はアナスタシア以外の人間が俺の隣を歩く様を想像する事ができなかった。この想いを他人に言えば“重すぎる”と揶揄されるかもしれない。
それでも、俺の隣にいるのはあいつ以外考えられない。
「……もう少し、悩んでくれてもいいんじゃないですかね?」
「悪いな」
「言い訳もしてくれないんですね」
「それが俺からお前にしてやれる精一杯の誠意だ」
きっとこういうことに慣れているやつは彼女を傷つけないように上手く返答するのだろう。だけど、生憎と俺は慣れてもいなければ口も上手くない。
だから、こうして俺は瑞乃を泣かせてしまっている。
きっとこの光景を他人が見たら軽蔑されるだろう。何せ殺人鬼みたいな強面の男が可憐な少女を泣かせているのだからな。
「急に泣いてしまってごめんなさい」
袖口で涙を拭いた彼女は務めて笑顔を作って見せた。
思いを遂げられない。その苦しさは、心にどれだけの重圧を強いるだろう? 色恋の経験がほぼ皆無に等しい俺が思い悩むことすらおこがましいのかもしれないが、彼女がその重圧からいち早く解放される事を祈らざるを得なかった。
「お前は自分で思っているより遥かにいい女だ。だから、必ずいつか幸せになれるよ」
「……何ですか、それ。慰めてるんですか?」
「慰めとは少し違う、多分。俺はお前に幸せになってほしいんだ。だから、これはきっと“願掛け”みたいなもんだ」
瑞乃が幸せになれますように、これから涙を流さずに済むように。そう、祈りを込めて。
「…………り………いな」
何か口の中でつぶやく。俺はその言葉を聞き取ることはできなかったが、彼女は精一杯の笑顔を作って、
「アナスタシアさんに飽きたら私の所に来てくださいね。いつだって待ってますから」
なんてとんでもないことを口走って病室から走り去ってしまった。
「――アンタもうちょっと上手く振れないの?」
しれっと戻ってきたアナスタシア殿下は俺をゴミクズでも見るような目で見下ろしてくださっていた。そういう性癖を持ち合わせた好事家なら喜んで受けたがりそうな妖艶さをもった鋭い眼差しであるが残念ながら俺はその手の性癖も願望もないのでただただやめて欲しかった。
「おい、あの子すんごい良い笑顔だったけど何言った? 言え。包み隠さず言え」
怖い。怖いですよアナスタシア殿下?
「大したこと言ってねえよ。ただ、誠心誠意振って、瑞乃が幸せになれるようにって願掛けしただけだ」
「おい本当か?」
「嘘をついてどうする? というかそのドスの利いた声音やめろ。怖い」
「ほらー、瑞乃ってば私とは毛色の違う愛らしさがあるじゃない? 男だったらそばに置いておきたいと思っても不思議じゃないなーって思ってさ」
「俺に間男みたいに器用な真似が俺に出来ると思っているのか?」
「微塵も思えないわね」
自認しているとはいえひどい言い草だ。とはいえ、それだけ俺を知っていてくれていると思ってしまうあたり、惚れた弱み、というやつなのだろうか。
「アレクセイはどうした?」
「今雪乃達と話し込んでる。ミーチャが来てすんごい今緊迫してるわ。すごいわね、あの二人、ミーチャに凄まれて一歩も引かないんだから」
「何と……」
俺は第三階梯に至った今でも恐ろしいというのにすごいなあの二人は。そういえばあの二人は爺さんを除く第三階梯にも何度か会ったことがあると言っていたか。俺と違って大貴族であるあの二人はいざという時の肝の座り方が違うのだろうな、なんて考えていると引き戸を三回ほど軽くたたく音がした。噂をすれば影だろうか、旧知の友の来訪に僅かに頬を緩ませながら「どうぞ」と許可を出すと、そこには予想とは違う人物が立っていた。
「爺さんに大佐……?」
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