懺悔 二


「どうした?」

「…………はあ、なんでそう普通に話せるんだよ。ずっと悩んでたのバカみたいじゃないか」


 今度は少しイラついた様子で、鋭い眼差しを俺に向かって。でも、同時に伏し目がちに。


「謝罪して済む話ではないけれど……色々悪かったね、悠雅」

「……、」


 そう言った彼の視線は俺の左目辺りに集中しているような気がした。


「ごめん。でも、やり方は間違っていたかもしれないけど、僕は後悔してないよ。僕はあの時、僕にとって一番やらなきゃいけないことをしたと思ってる。たとえ、そのせいで他の誰かが死んでも、悠雅には死んで欲しくなかったから。でも、結果的に悠雅を死に近づけたのは僕だった。それは本末転倒だった。だから、これだけは謝らなくちゃいけないって思った」

「……そうかい」


 クトゥルーの出現に伴い、俺の前で皇国の民が数人で死んだ。本来、その事について咎める必要があるはずだった。しかし、俺にはそれが出来なかった。こいつは俺の為にやった。死地に向かおうとする俺を引き留める為に。たとえ、それがやってはならないことだったとしても、俺には怒れなかった。


「……そこまで開き直られたら俺から何か言うつもりはねえよ」


 ……だから、甘いのだというのに。


「――僕の言いたいことはそんだけ。何か聞きたいこと、あるんじゃないの?」


 聞きたいことならある。真っ先に聞きたいことが。


「アナスタシアと仲直りできたのか?」

「え、そこ先に聞く?」


 強張っていたところが一気に脱力していくアレクセイ。言いたいことは何とはなしに察しは付くものの、俺としてはそこが一番重要なところだったんだ、仕方ない。

 そんな俺の心を読んだのかアレクセイは大袈裟にため息を吐いてみせると「元々喧嘩してたわけじゃない」そう切り出した。


「そもそも僕はバカ姉の根性が気に食わなかっただけ。姉さんが馬鹿な事言うのやめてくれれば僕としてはもういいんだ」


 家族を蘇生して罰してもらう。そうだな、俺もその言葉を発したのがアナスタシアでなかったらそう言っていたかもしれない。その程度には、彼女の望みは歪んでいた。


「それで、当の姐さんはどう思ってるの? まだ父上たちを愚弄するつもりなら塩にするけど?」

「私は……」


 隣に腰かけるアナスタシアは俺の左手を無意識なのかぎゅっと握りしめた。逡巡しているんだと思う。彼女はその願いを屋台骨にここまでやってこれた。だけど、アレクセイのそれはいきなりその屋台骨を抜けと言われているようなものだ。

 しかし、アレクセイはそれを許さない。


「アンタにこういうこと言える人間は僕だけだろうから言うけど。あんまり僕の友達を困らせるな」

「……、」

「皆、アンタを思い遣ってたんだ。ほんとうに、ほんとうに。だから、さ」

「わかってる。わかってるよ……私の願いは、間違いなく歪んでた。歪んだ願いは正さなきゃいけない。それが遺された私の進むべき道だから」

「なら、良い。悠雅、これで憂いは晴れた?」


 首肯するとアレクセイはさらに質問するよう視線で促してきた。そうやって促すくらいなら自分から言えばいいのに。


「……じゃあなんでキザイアたちと一緒にいた?」

「なんでちょっと“仕方ないなあ”みたいな雰囲気醸し出してるのさ?」

「俺は神父にも、牧師にもなったつもりは無いからな。懺悔されてもかけてやれる言葉がない」

「友達甲斐の無い奴」


 アレクセイは口を尖らせて勝手に、だけど訥々と語りだす。


「七月十七日、僕たち家族が処刑された後、僕は運良く助かった」


 処刑が終わった後、炎に巻かれながら偶然大天使アークエンジェルになれたこと。そのお陰で命からがら逃げのびたこと。その後、キザイアたちに保護されたこと。


 ヴァチカンにいるはずのアナスタシアが馬鹿な願いを抱いて皇国に渡ろうとしているという情報を掴んで先んじてこちらに乗り込んだこと。


 皇国に来て士官学校に通う傍ら、汚い仕事をしていたこと。


 俺達と出会う前から、出会った後のことを彼は一つ一つ教えてくれた。そして、最後に彼はそれまでぼやかしてきた、“とある男”について言及する。この一連の事件の裏で糸を引いていた黒幕と言える存在。


「“杉山泰道すぎやまやすみち”。こいつには気を付けろ。こいつは正真正銘の魔人だ。表向きにはボリシェヴィキに忠誠を誓ってるラスプーチンも、魔女キザイア・メイスンも杉山の手下さ。キザイアたちに僕を保護させたのも、多分今回の為だと思う」

「なんですって!?」


 その言葉に反応したのはアナスタシアだった。そしてそんな彼女の反応に対してアレクセイは頷いて肯定する。


「今回の悠雅と瑞乃の奪還作戦。ラスプーチンを止める役目を買って出たあの男、奴は間違いなくラスプーチンを生かしてる」

「なるほど……」


 大佐位階なら戸籍を調べるくらいやれる。それなら今まで下についていたアレクセイが俺の出生について知っていたとしても然程驚きはない。

 だが一つ疑問があった。アレクセイを利用する為に保護したというのはわかるがここで捨て石にする為と思うと少し理由としては弱い気がした。旧北法露西亜帝国の皇太子を救い、保護する労力に見合って無いように思えてならなかった。そのことについて他ならぬアレクセイに問うてみるとアレクセイは心底苦い顔をして。


「あいつならやりかねない。あいつは、自分が楽しければそれでいいってやつだから」

「なんだかキザイアみたいな言い分だ」


 聞き覚えのある言い分に小首を捻る。似たような感性を持っているから共に行動しているのか。それにしても愉快犯にしてはやることなすこと一々規模が大きすぎる。勘弁してもらいたいものだ。


「この事は大佐殿には?」

「伝えてある。というか予想付いてたみたいな感じだった。相変わらず底知れぬ人だよ」


 不意に日陰に咲く彼岸花を思い出した。あの日見た彼女の横顔がどうしようもなく憂いに満ちた艶やかさを湛えていたから。


「――言いたいことは全部言えた。もう思い残すことは無い」

「なんだ? その今生の別れみたいな言い草は?」

「そのつもりはないけど。……うん、この国からいなくなるよ」

「軍やめるのか!?」

「ずっと不正入隊してたようなもんだからね。それに、僕は事をやらかし過ぎた。大佐から直々に“もう守ってやれない”と言われてしまった」


 アレクセイはバツが悪そうに笑いながら「まあ、そう言われなくてもこの国を離れるつもりではいたんだけどね」なんて付け加えた。


「折角……折角一緒になれたのに」

「そうですぞ、皇太子ツァレーヴィチ。やはりアナスタシア殿下も一緒に」

「それは無しだって言ったろ先生。僕の敵は姉さんよりもはるかに多い。一緒にいる方が危ない。それに、僕達はロシアに帰ろうとしてるんだ、危ない橋を淑女に渡らせる気?」

「露西亜に帰るのか?」


 思ってもみない一言に思わず食い気味に詰め寄っていた。今のあの国にとってアレクセイがどういう存在なのか、馬鹿な俺だってわかる。


 だけど、アレクセイは否定すること無く俺を見据えて。


「最後のツァーリの後継者として国の行く末を見守りたいんだ。民主主義だろうが社会主義だろうがそこに生きる人達が幸せならそれでいい。先生の言う通り、これからあの国が血に塗れて行くというのならその時は僕がレーニンを討つ」


 それが最後の皇帝の息子としての責務だからと言わんばかりに。

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