終章7 星の王の落日
極大の刃が邪竜を串刺しにしながら真白い大地に墜落する。邪竜は閃光の剣によって純白の地平に縫い付けられて、苦しみ悶えていた。この白のみに埋め尽くされた世界はありとあらゆる邪性の存在を許さない。
この世界に捕らえられていること自体がこの邪竜・クトゥルーにとって害であり、毒である。故にのたうつ。ここから出ようと。俺を抹殺しようと。
だが、最早勝負はついた。身動きの取れなくなった禍津神へと近づいて、刃を振り上げる。
腹を裂き鼓動を続ける心臓を一閃。だくだくと、命の雫が零れ落ちる。撒き散らしていた邪悪なる神威は失われ、邪竜が絶命したことを確認する。
同時に俺もまたその場で崩れ落ちた。クトゥルーを撃破して安心したのか、単に呪力切れを起こしているのか、九頭龍の毒が回り切ったのか、それともその全部か。
少なくとも今の俺にこの異界を維持する余力は残っておらず、気がつけば潮騒の音が鼓膜をくすぐっていた。皇都港へと引き戻されたのだ。
皇都港から臨む太平洋から太陽が上る様が見えた。夜明け、黎明、黄金色の空。ああ、なんと美しいことか。いつの間にか日が昇る時間を迎えていたらしい。ずいぶん、長いこと戦っていたようだ。
「‟明けの明星、
地面のシミとなり果てた俺に面白がったような浮いた口調でキザイアはそんなことを聞いてくる。だけど、その質問の内容がいまいち理解できない。それにそもそも、答えることすら億劫だ。その程度には血も、呪力も失ってしまっていた。
「へばってて良いのかな? 私の首を刎ねるんじゃなかったのかな?」
こちらが動けなくなっていることなどわかりきっているくせに、女は俺を煽るように首筋を見せつけてくる。腹の立つ女だ。度し難いにも程度というものがある。
「――さて、そろそろ冗談を吐くのはやめておこうか。余り煽りすぎて、怒りを買って本当に首を刎ねられたくないからね。ほら、覚醒は君の十八番だろう」
キザイアはからからと冗談めかして笑いながら「それにそろそろ厄介な連中が来そうだしね」なんて付け加えた。
「ありがとう
ふらり、女は朝靄の中に溶けていった。結局俺はこの一連の出来事の下手人であるキザイアを捕らえることができなかった。クトゥルーとの戦いに注力せざるを得なかったとはいえ、あの魔女を取り逃がしたことは大きな失態と言えた。
次こそはあの首を刎ねねばなるまい、そう決意を新たにしているとキザイアと入れ替わるように別の誰かの気配を気取る。
からころとぽっくり下駄が地面を蹴る音。立ち込める朝靄の中にあって映える赤く燃えるような振袖を揺らして小さな少女が俺の前で立ち止まる。
「また、無茶をして……」
「わ、るい……大佐殿」
絞り出せたのは掠れた酷い声だった。
俺の言葉を受け取った大佐殿は軽くため息を吐いて、アナスタシアと藤ノ宮がこちらに向かっている旨を伝えてくれる。二人が無事なら宗一と瑞乃も無事であろう。
後は……、
「光喜は……無事、か?」
「ああ、無事だよ。さっき皇都大病院に運ばれていった」
「そうか……良かった」
「他人の心配よりも少しは自分の心配をしたらどうなんだ?」
「へへへ……耳が、いてえなあ」
腹部の損傷、大量の失血、九頭龍の毒。こうして息をしていること自体が奇跡みたいなものだと思った。「笑い事ではないだろうに」なんて大佐はあきれた様子で肩をすくめてた。
「今回は逃げる訳にはいかなかったんだ」
「今回も、の間違いだろう」
つくづく痛い所を突いてくれる人だ。だけど、
「ああ……そうだな。だからあいつは怒ったんだろうな」
クトゥルーとの戦闘を思い返す。
自己愛の欠落。クトゥルーとの戦闘中、逃げようとは一切思わなかった。だから、きっと、自分の命を身代わりに、或いは的にして斬りかかった。
自己が強すぎる癖に、自己をまるで慮っちゃいない。そういう戦い方だった。
きっと、ほかの奴らがこんな戦い方をしていたら、俺も止めると思う。死んでほしくないから。なんて矛盾に満ちた人間なんだろう? そう思って自身を嘲った。
「へらへらするんじゃない。馬鹿者」大佐はそう腰に手を当てて憤慨して、でもその後すぐに花の
「――おかえり、悠雅。生きててよかった」
不思議と顔がにやけた。別に何でもない言葉が妙に胸の内に染み入って温かくなるのを感じたから。
「―———————、」
それは不意打ちみたいに訪れた。時が止まった。そんな風に感じた。
全ての生物が、物質が、それの到来に凍り付いた。挙動は許されない。それの放つ圧が、決して許しはしないのだ。世界と言う器に、この体を除くすべてがそれで満たされているみたいで鳥肌がたつ。
がちがちと歯を鳴らして、眼球を動かす。
そこに、そいつはいた。軍服を纏う長身痩躯の男。そいつは切れ長の目と一文字に結ばれた大きな口。一言で言えば凶悪な顔をしていた。男はゆっくりと近づいて、俺と大佐殿を見下す。
「ようやくここまで来たか。
地獄から響いてくるような低い声。男は大佐殿の手首を掴んで、
「遊びは終わりだ、アヴローラ」
あ、ヴ、ろーら……? この男は何を言っているんだ? なんだ、あヴろーらって。大佐殿に向かって、言っている? だって、でも大佐殿の名前は
そんなことを疑問している間に事態は更に先に進む。それも、俺の予想から遥かに逸れた方へと。
「――まだです、まだ……終わっていません。お養父様」
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