終章4 魔剣


 紫電一閃。クトゥルーの首を刎ねるべく十拳の祝とつかのはふりを振う。しかし、それは天叢雲剣で防がれてしまう。渾身の一撃をこんな小さな子供に!? ――と、平時なら思ってしまいそうだ。その程度には異様な光景と言える。


「クソッたれ……!!」


 悪態を吐く俺にクトゥルーは僅かに反応を示す。悍ましいほど醜悪な笑顔という形で。

 黙示録の獣の遺骸を削り出して作った剣がギラリと瞬く。その刹那、白、赤、黒、青の馬に乗った武人が空から降ってくる。


 拙い。俺は強引に邪神の腹を蹴り飛ばし、赤い馬の武人の突撃をいなす。しかし、そうしている間に残りの三騎士が俺を取り囲む。


 手足がしびれてきていた。九頭龍の毒が徐々に体を蝕み始めているのだろう。



「そんなナリでよく戦えるねえ、深凪悠雅みなぎゆうが



 キザイアが悦に浸る様に語り掛けてくる。



「ヴァースキの毒を食らい、左目を失い、ヨハネの四騎士からは今、絶望を叩き付けられようとしている。そんなになってまでなぜ他人の為に戦えるのかねえ。逃げてしまえば、万に一つ、生き延びる可能性があるだろうに」

「……じゃあ、てめえは、何のためにこんなことをしようとしているんだ? 都市、国、一つ滅ぼしてなんになる? お前にとって特になることがあるのか?」

?」



 女は心底言っている意味がわからないという調子で、



「面白いから国を滅ぼす。だから都市を破壊する。そして人を殺す。私の愉悦を満たせるのならばその逆だってありだ。今回はたまたま滅ぼしたほうが楽しくなると考えただけのこと」

「……そのたまたまで国が滅ぼされようとしてるってのか」

「気分などその時々だろう。だからこそその刹那に一番面白い事をするんだよ。いつ死ぬかわからない人生を自分の為に生きずしてその生に価値があるのかい?」

「そうか……なるほど、」


 別段驚きは無かった。端からこんなことをしようとしている人間に共感するつもりは無かった。ただ、決定づけたものがある。この女と俺は相容れない。水と油――それ以上に酷いものだ。互いの立場抜きに、思想、信条が相容れない。


 何とも下らぬ問答だった。



 刹那、赤い馬に乗った武人が巨大な剣を振り下ろしてきた。それを十拳の祝で受け止めるそんな俺の足元に青ざめた馬に乗った武人が引きつれた獣たちが群がって、食らいつく。その獣たちを黒炎で焼く。されど獣たちは無限に湧いて俺の喉笛を執拗に狙う。


 白と黒の武人も黙ってはいない。白の武人は矢をつがえ、黒の武人は黒炎を、天之尾羽張に込めた切断の祈りを減退させる。


 それでもなんとか拮抗できている。だが、このままではいつか呪力が切れてしまうだろう。


「――ここに生大刀いくたちがあれば……」


 もう一本、この場に神器があれば突破できるのに。天叢雲剣ならばあるがそれはクトゥルーの手の内にある。奴もそれがわかっているのか一向に近づこうとして来ない。


「くそ……」


 歯噛みしていると――



 何故か目の前に巨大な物体が突き刺さっていた。なんでこれがこんな場所にあるんだ?


 鍵。何故か初見時そう思ったことを俺は呑気にも思いだしていた。 長い柄と長大な刀身。青みがかった緑青ろくしょうはこの凄絶な戦いの場にあって、浮いて見える。


 呪物であると、皆が口にした、魔剣。



『何のつもりだ……貴様ァッ』



 アマ公が怒気を隠すことなく吼える。その矛先にいるのは俺ではなく、目の前に突き刺さる魔剣に対して。



『君ばっかりずるいよぉ……』



 そこに猫なで声の、男とも女とも取れぬ声音が脳裏に響く。



『僕だって主を待ち望んでいたのに。ちっとも迎えに来てくれないからこっちから来ちゃった』

禍津神まがつかみの狗めが。悠雅、そいつの言葉は無視しろ』

『嫌だよぉ……お願い悠雅。僕を握って』

『先代の主を黄泉にいざなった貴様など信用できるか!!』

『頼まれたんだから仕方ないじゃないかぁ』


「ぐちゃぐちゃやかましい!!」


 頭ン中で喧嘩してるんじゃねえ。ただでさえ血が足らなくてぼうっとしてるんだ。今は要らない情報に脳みそを使いたくない。


「握ってやるから力を貸せ」


 そう命じて、左手で鍵の柄を握る。すると途端、凍るような呪力が背骨の中を駆け抜けて鳥肌が立った。ああ、そうだこれは神器じゃない。正しく呪物だ。普段の俺だったら触れもしないだろう。そう思ってしまう程にこの呪物は邪悪極まりないものだった。


 だけど……ああ、何だ、これは? しっかりと握り込んでみて初めて分かった。天之尾羽張の時みたいに、何年も前からずっと握ってきたかのような、体の一部であるという錯覚を覚えるほどに。



『さあ、僕の名前を呼んで。僕の名は――』

「――【バルザイの偃月刀えんげつとう】!!」


 偃月刀に切断の祈りが染みわたる。生大刀の時と同じく呪力が根こそぎ搾り取られていく感覚。だが、突破口は見えた。


「い、くぞおおおおおぉぉぉぉぉっっ!!」


 赤い武人を押し返し、バルザイの偃月刀で首を刎ねる。同時に先ほどから鬱陶しい黒の武人と、青の武人の頭を割る。そして残る白の武人へと距離を詰める。白い矢じり顔面に向かって飛んで来るが、今更こんなもので俺を取れると思っているのなら心外だ。

 矢じりを口で受け止め、噛み砕き、狼狽えた様子の白の武人を切り捨てる。


 このまま禍津神の首を刎ねる。それで終い――その筈だった。



 直後、異変が起きる。否、すでに起きていた。


 ぎしぎしと何かが軋む音がした。それはこの世のものとは思えぬ音で、身を引き裂く様な衝撃を伴っていた。



「ああ、始まった……!!」



 キザイアがうっとりと顔を赤らめて、股座でも濡らしているみたいに。


 この異常な状況をキザイアは待ち望んでいた。それはつまり、俺にとって最も良くないことが起きる予兆でもある。

 俺にとって最もよくないこと。それは――


「……まさか、」


 そこに気づいた時には既にそれは始まっていた。奇妙な浮遊感が俺を襲う。逢魔ヶ刻に落下する時に近い感覚。しかし、一つだけ違うことがある。これは浮遊感ではあるが、これは落下ではない。この感覚は……浮上だ。


 空間が歪み、クトゥルーを中心に世界が隆起する。同時に、そらが割れ、潮の臭いが一気にきつくなり、割れた空から何かが零れ落ちてくるのが見えた。


「かい、すい――?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る