終章『綿津見の天』
終章1 彼の真意
アナスタシアが崩れ落ちるのを見て、俺はどこか安堵してしまっていた。長らく胸につかえていたものが無くなった。そういう感覚。
単に家族を呼び戻してはいけないと諭すだけでは彼女は理解はすれど、納得はしなかっただろうから。これは家族である光喜――いやアレクセイにしかできない事だったと思う。
死んでいった者達を呼び戻す行為。それを真摯に願う心を否定する言葉を俺は持たないが、その行為を否定する言葉を俺は持っている。なんとも矛盾に満ちた思考だが、それでも俺はその禁忌を真摯に願う者を否定できなかった。
「悪かったね悠雅」
こちらにやってきたアレクセイは俺の口に嵌められた猿轡を外しながら殊勝にも謝罪の言葉を口にしてきた。
「あの頑固者を諭すにはお前に言ってもらうしかなかった。俺では、どうしてもそこまでの繋がりがないから」
からりと転がる猿轡を横目に答えるとアレクセイは苦笑を湛えて、
「そうでもないと思うけど。姉さんはその程度には悠雅に惚れてるよ。僕はただ、自分の想いを、アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフとして言いたかっただけ。姉さんがみんなの遺言を聞いて尚、蘇生したいなんて言うようだったら本当に塩に変えてたよ。その為に悠雅のことを縛ったんだし」
「……お前なら俺をやれただろ」
「本気で言ってるんなら怒るよ?」
「事実だ」
「僕に悠雅はやれないよ。絶対に」
僅かに含みを滲ませて、彼は今にも泣きそうに。
「これからどうするつもりだ?」
「もちろん任務は遂行するよ」
「本気か?」
「むしろ僕としても、僕らとしても、そっちが本命さ」
「抗うぞ、俺は」
「……好きにしなよ。僕は都市と友の命をかけられたら、迷わず友の命を取る。僕は絶対に君を英雄になどさせはしない」
深紅の剣がゆらりと妖しく瞬くのが見える。
「これは黙示録の獣の遺骸からできてる。だけど、これだけではどうしても足りないんだ」
唐突に彼は語りだす。足りない、と。
黙示録の獣。七つの首に王冠を戴く赤龍。その遺骸から作り上げたその神器はそれ自体が強力な呪力を孕んでいる。だが、彼は言う。足りない、と。
何が足りない? この場に俺を連れてきた理由と関係があるのか? 何度聞いても答えようとしなかった、その理由に。
「奴の言っている事が最初、いまいちぴんと来なかった。単に貴い血が必要なら僕のを使えば良いんだから。でも、奴は悠雅でなければならないと言った。その理由をよもや、悠雅自身から教えてもらうことになるなんて思いもしなかったんだ」
一体何の話をされているのかわからず困惑する。改まって言う事ではないが俺はおつむが少々残念だ。優秀なこいつに教えてやれることなどそうない筈なのだが。
そうして首を捻っている間に彼はその答えを口にする。
「水天宮。聖上安徳。君たちの血は特別なんだ。龍の血を継ぐ貴い血。悠雅にも脈々と流れてる、聖上の血筋」
「!! ……何でお前がそれを知ってる?」
没落して久しい橘の血筋。数百年の間に極薄と言ってもいい程に稀釈されているであろうその血筋の末端に、俺も名を連ねていることを知る人間は少ない。長年幼馴染をしている宗一や藤ノ宮ですら知らない。知っているのは爺さんと姉ちゃん、後はアナスタシアだけだ。
いや、待て……、
「国か……?」
戸籍登録をした際に役所に全ての名前を告げている。現に特戦科に放り込まれた時の辞令にも橘の名も、
「そういうとこは察しがいいよね、悠雅は。自頭は悪くないんだろうな」
「やかましい。誰だ、お前の後ろにいるのは?」
「簡単に教えると思ってるの?」
瞬間、深紅の剣が振り下ろされる。
『あの剣にお前の血を啜らせるなよ。奴の狙いは――』
「わかっている」
頭に響くアマ公の助言に応えながら手足を縛る枷を強引に引きちぎり、眼前に迫る刃を白刃取りして見せた。
「っ……勘弁してよ。対神格用拘束具を腕力だけで外さないでくれない?」
「それなら強度を見直した方が良い。工房長辺りに頼んでみろ。あの人は良いものを作るぞ……!!」
「考えて、おくよ……」
彼らがこの深紅の剣に俺の血を吸わせて何がしたいのか、実際の所はわからん。だが、ろくでもないことだということは見当が付く。
実際、ウラジミールとやり合った時、アナスタシアの血に反応した神器から旧支配者という怪物が現れた。予測に過ぎないが、アレクセイ達の狙いもそれだろう。
させるものか。深紅の刃を挟み込む両手に力を込めて立ち上がる。
「……なんで俺の道を阻もうとするんだ? どうして俺を英雄にさせてくれないんだ?」
「君は、英雄になる為なら死んだって構わないって考えてる。そんなの、ダメだ。僕には耐えられない。それにさ、あんな不甲斐無い女でもさ、僕の姉なんだ。泣いてほしくない」
「泣かせるかよ」
俺は決めたんだ。この国も、この国の民も、アナスタシアも、全部守るって。それが英雄になる条件。あいつの男でいる条件だ。ならば引けるはずが無い。
そのまま深紅の剣を捻りこみながらアレクセイの腹を蹴り飛ばす。これでこの神器を奪い取る――筈だった。
しかし、アレクセイは男を見せた。手を緩めてなるものか、そんな気迫を感じさせる表情で吹き飛んでいった。深紅の剣を手放すことなく。
わずかに目を見開く。アレクセイは剣術や格闘術が苦手だ。勉強家で座学の成績は宗一や藤ノ宮と競い合う程だし、祈りの汎用性は宗一をはるかに越す。その手数の多さに俺は実技訓練では一度も勝てたことが無い。だが、剣術や格闘術の訓練では逆に一度も負けたことが無かった。
いつもすぐに痛いと言って竹刀を落としたり、降参してしまう。悪様に言えば根性の無い奴だった。だけど、そんな彼が剣を落とさなかったのがどこか新鮮な気がしたのだ。
「何笑ってんのさ? なめてるの?」
再度剣を振り上げて、一足飛びで飛びかかってくる。アナスタシアほどではないにしろ、それでもやはりどこか腰の入っていない動きは単調で、動きを読むのは易い。――故に、
劈くみたいな音がして、ふわり、深紅の剣が宙を舞う。
「なめているのはどっちだ。祈りも使わない、俺をぶっ倒そうという気迫もない。そんなんで俺に勝てると思ったのか?」
「……そんなこと、わかってるよ。だから縛ってたんじゃないか。暴れないように、傷つかないように、これが最後になるようにって」
こいつは優しい奴だ。根が余りにも、優しすぎるんだ。
元々そういう風に育てられたのだろう。そして、生い立ちがこいつをそうさせた。アレクセイ皇太子の生い立ちは少し調べた。体の弱い、病気がちな
命の儚さを人一倍知る男。だからこそ俺が死地に向かおうとする背中を引き留めようとする。ウラジミールの時もそうだった。こいつはあの場で一人だけ、柄にもなく声を荒げて引き留めようとしてくれたんだ。
だからこそ、俺はこいつに告げなければならないのだ。
「たとえ歪な生き方だったとしても、俺は誰かが傷つくくらいなら先頭に立って、巨悪に立ち向かいたいんだ」
「――――そうか、ならば、気張れよ。青年」
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