第三章12 遺言


「クォデネンツ!!」


 そう叫んで、宝剣に淘汰の力を纏わせた私は軍靴でのっぺりとした床を蹴る。

 再度アリョーシャの剣の切っ先から一条の光が放たれた。普通光という物はあたたかな印象を覚えるけれど、それは余りにも冷たい殺意を帯びていて、何もかも、白く染め上げる。他の色の存在は許さない。必滅の光。


 しかし、今度は、逃げない。


 この審判に真っ向から立ち向かう。それが私からの貴方への返礼。


 純白の光と正面から激突する。


 光の槍の余波で皮膚が塩化し始めるも、それを治癒の力で対抗する。塩化速度と再生速度は――拮抗していた。とはいえ、塩化の激痛は気を抜いてしまえば一瞬で私の意識を刈り取ってしまいそう。

 ならば、悠雅よろしく膂力を以って捻じ伏せる。斬雷ならぬ斬光だ。


「はああぁぁぁぁぁっっ――!!」


 咆哮する。広がる光の海原。切れ、斬れ。切り闢け、我が活路。ここで命を落としてなるものか。もう、死んでやるものか。二度と死んでもいいなどと考えない。私は、逃げない。


 光の槍を切り払い、その先に待ち受ける驚愕の色に染まる弟の顔を臨む。


 魔剣と宝剣が、ついに切り結ぶ。


聖遺物の格が互角なら、祈りの純度もまた互角だった。



「良い顔つきするようになったじゃないか姉さん。自殺志願者の首を落としても達成感がないからありがたいね」

「べらべら喋ってると舌噛むわよ!!」


 左手を固く握り込んで、思い切りアリョーシャの右頬を殴り飛ばす。アリョーシャは床に倒れ込み、マスカレイドマスクが渇いた音立てて落下して、砕けた。

 今までマスクによって隠されていた顔面の上半分を私はようやく目の当たりにする。赤く爛れた皮膚と凹凸。痘痕あばた。そして、いくつかの弾痕と陥没した額。想像を絶する傷跡だった。

 だけど、決して目を逸らしはしない。名乗り出られるまで気づくことができなかった薄情者だけど、それでも愛しい弟の顔だから。それに、変わってないものもあった。


「やっぱり、アリョーシャだ」

「……そう言っただろ。何を今更、」

「青い瞳。お父様からもらった青い瞳だけは変わってなかった」

「だから何だってんだよ!!」

「貴方は私の家族。私の愛する弟のアリョーシャなんだって再認識しただけよ」

「あんたが僕たち家族に愛なんて言葉を使うなよ。寒気がする」

「ごめんね」

「なんで謝るんだよ!!」

「私一人だけ、逃げてしまったから……」


 ローマからの招聘があったのは私だけ。豊穣という希少な祈りを持つという理由で列聖した私を回収したがったローマの意思に便乗して逃げ出した。命が、惜しかったから。


 世間では私達は生きていることになっている。お父様とお母様はイギリスとドイツの王室に非常に強い繋がりを持つから。その両国への影響を考えてお父様だけを殺害したと発表している。だけど、あの時の空気を思い出すだけで身も凍る思いがする。ボリシェヴィキの人達から飛んでくる殺意が、本当に怖かった。


 だから、天啓だと思った。ローマから極秘で特使がエカテリンブルクを訪れた時、生きていいんだよ、って主が示されたのだと思った。



「姉さんにもあの地獄のような光景を見せてやりたいよ」

「……そう、」


 どうして聖女になんてなってしまったのだろう。


 ツァールスコエ・セローで自分にもできることがないのかと必死に祈っただけだったのに。どうして、こんなことになってしまったのだろう。



「あの時の叫び声を、怒号を、悲鳴を、本当に聞かせてやりたい。この痛みを、味合わせてやりたいよ……!!」

「……ええ、だから、貴方のその思い、そして、みんなの分の憎しみを私にぶつけて。私はそれを全て受け止めるから」

「憎しみ……だと? アンタが……なんで、どうして、みんなが憎んでるとか言えるんだ……?」



 アリョーシャはこれ以上なく顔を歪めて、



「アンタが……そんなんだから僕は――!!」



 彼は怒りに満ちた形相で私を睨んで、剣を振り被る。


 同時に放射状に真白い閃光が迸った。その閃光は私のすぐ横を駆け抜け、背後の壁を塩化させながら切断する。


身動き一つ取ることさえできなかった。その一閃の速度もさることながら、何よりその気迫にどうしようもなく圧倒されてしまった。



「なあ、姉さん……姉さんは本当にみんなが姉さんのことを憎んでると思っているのか?」



奇妙な質問だと思った。なんでそんな当たり前なことを聞くのか、わからなかった。


「……だって、そうとしか思えないもの」


 問いに答えるもアリョーシャはこちらに聞こえてくるくらい大きく歯噛みさせて、次の瞬間、



「母上の遺言を聞かせてやる」

「え……?」

「“生き抜きなさい”」



 今、アリョーシャは何を……?



「オーリチカ姉さんは“勉強嫌いを直しなさい”。ターニャ姉さんからは“もう大人なのだから他人を揶揄からかうのはやめなさい”」



 なんで? この子は……何をいっているの……?



「マリー姉さんは“大切な人を作りなさい”。影武者のアーニャは“恩返しができて良かった”」



 だって、そんな……そんなことあるはずが、



「そして、父上は…………“幸せになりなさい”」

「――嘘よ!!」

「嘘じゃない!! みんな、誰一人だって姉さんを恨んでる人間なんかいやしなかったんだよ!!」

「だって、私は一人で逃げた!! 一人で、安全な場所に逃げたんだよ!? みんなを置いて!! そんな奴を、みんなが許すはずない!!」

「許す許さないの問題じゃないんだよ!! みんな姉さんがヴァチカンに逃げてくれて良かったって……泣いて、喜んで……!! なのに、アンタは……一人でかつての敵国にやってきて、命を危険に晒した!!」



 アリョーシャは身を震わせて、怒って、叫んで、私を睨んで。



「だけどな、僕が許せないのはな。そんなことじゃあない。ましてや



喉が張り裂けんばかりに彼は叫ぶ。愚か者と呪うみたいに。



「――アンタが勝手にみんなの想いを捏造して、みんなを呼び戻そうとしてる事なんだよ!!」



 左頬に弾けるような痛みが走った。放たれた平手打ちはこの戦いの中で最も軽い痛みだった。けど、最も重い痛みでもあった。


 死ぬ。亡くなる。今生の別れ。


 神のみもとに旅立った誰かを呼び戻す行為。それが禁じられた行為であることは知っている。ミーチャにも、御陵幸史みささぎゆきひとにも、悠雅にも、そう諭された。だけど、それでも私はみんなに謝りたかった。


 ……恨まれていると思ったから。だけど、



「この遺言を聞いてもまだアンタは人体蘇生を諦められないか!? みんなの意思や尊厳を踏みにじるつもりか!?」



 アリョーシャの言うとおりだった。私は自分のことしか見えてなかったんだ。

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