第三章10 祭壇


 瑞乃の案内の元、私はひたすら幾何学的な建造物の街を駆け抜けていた。魔力切れを起こして立てない瑞乃を抱えながら。


 ずいぶんと軽い子ね。雪乃よりかは体は大きいけど、それでも道行く皇国人の娘たちと比べれば僅かに小柄に見える。太ももなんか悠雅の二の腕とそう変わらない太さしかない。彼女たちだけに言えることじゃないけど皇国人の女性たちはもう少し食べたほうが良い。アメリカ人みたいにぶくぶく太れとは言わないけどもう少し太くならないとぶつかっただけで崩れてしまいそうで怖い。



『後ろから深き者どもディープワンズがくるわよ』

「また!?」


 ちらと背後へと視線を送るとそこには無数の影。鱗もつ蛙男たちが私たちを追って走ってきていた。



「さいダンにいかせるな!!」

「われらのかみをまもれ!!」


 そう言われて止まるバカがどこにいる? あんたたちの言う神が一体何様なのか知らないけど私を見て第一声が“孕ませてしまえ”だったのを私はわすれてないんだから。けだものの奉じる神が一体どんなものかなんて想像するに易い。

 そんなもののために私の男は使わせない。あいつは――悠雅は、この国を守る英雄になるんだから!!


「邪、魔――!!」


 アーティスティックな尖塔を蹴り折り、そのまま荒れ狂う魚介の津波に向かって蹴り飛ばす。今、あんたらみたいな雑魚に構っていられる時間は無いのよ!!



「アナスタシアさん、前!!」


 今度は腕の中の瑞乃が前方を指さして。

 

 一際大きな怪物が尖塔の影から現れる。雪乃と宗一たちが食い止めてくれているあの怪物ほどではないがそれでも目測で一五メートルはある。流石にあれだけの質量相手に徒手空拳は分が悪い。……何があるかわからないから極力魔力は節約したいんだけどッ!!


「本当に鬱陶しい!! 貫いてピィエリューンの八子!!」


 青白い稲妻の蛇が走る。雷光を空間に焼き付けて。

 怪物の右腕を捥ぎ、足を喰らう。以前だったら勝てたかわからない怪物。だけど、第二階梯に至った私の祈りは一瞬にして巨大な怪物を地に沈めてみせた。


 だけど、不思議なくらい高揚感はなかった。


 ただただ、邪魔。ただただ、早く。


 このとろい足がどうしようもないほどにもどかしい。



「アナスタシアさん、あれです!!」



 やがて、瑞乃が遥か彼方を指さす。その先には無数に聳え立つ尖塔の中にあって一際目立つ高さと歪さを兼ね備えた建造物があった。


 確かに、あの建造物の辺りから色濃い邪悪な気を感じる。この街の中心。階層主が坐す場所。

 尖塔の根元にある緑青塗れの大扉を蹴り破る。そこには八つの鳥居が円を描くみたいに祭壇を取り囲む威容。そして、その中心の祭壇には赤銅の剣が突き刺さっている。封印を担うこの国の神器。


 そして、その根元には猿轡を噛まされ、手足を縛られた悠雅の姿。その傍らにはあの赤い剣を持った弟の姿があった。……キザイア・メイスンとラスプーチン、それに銀の黄昏教団らしき人影はない。いっそ、もたらされた情報がデマだったと思えてしまうくらいに。



「――時間がかかったじゃないか、姉上。戦知らずの瑞乃相手にさ。それで軍属が本気で務まると思ってるの?」

「……アリョーシャ、なんで悠雅と瑞乃を巻き込んだの?」

「相変わらず人の話聞かないね、貴女は。まあ、いいや……瑞乃はあの女の趣味だよ。あいつは他人が破滅していく所を見るのが好きなんだ」



 アリョーシャはからからと笑いながら「趣味が悪い女だろう?」なんて言ってみせた。続けて、



「悠雅は必要だった。僕らにとっても、僕にとっても」

「……どういうこと?」

「質問ばっかりだな。これ以上聞いて意味があるの?」



 アリョーシャは私に向かって赤い剣の切っ先を向けて、言い放つ。



「つまらない問答はやめようよ。僕たちの間に最早言葉はいらない」

「アリョーシャ……」

「東御大佐も随分無茶したようだね、姉上にその剣を託すなんて。クォデネンツ……それならこれに釣り合うだろうさ」



 からりと笑みながら、いつの間にか私の身長を追い越したアリョーシャは私を睥睨する。



「なんで構えない? まさか僕とは戦わないで済むと思った?」

「……私はアリョーシャ、貴方に罰して貰うために来た」

「罰? はあ? ……正気で言ってるの? 僕が“死ね”って言ったら死ぬ訳? じゃあ、

「貴方の気がそれで済むのなら。ただし、悠雅には何もしないで」


「――何ですか、それ」



 酷く冷たい声音が眼下から聞こえて、直後、私の腕の中から瑞乃が飛び出した。彼女は床に強かに全身を打ち付けて、それでもまるで痛みなんか感じてないみたいに私を睨み上げる。



「私にあれだけ言っておいて、自分は死んでもいいとかなんで言えるんですか!?」

「……私は、家族を見捨てて生き長らえてる。私は家族に罰してもらいたいの。その為だけに生きてるの」

「――っっ!! ……この女ァッ!!」



 烈火に燃ゆる眼光が煌めいて、瑞乃は長門の主砲を呼び出す。魔力なんかもう尽きている筈なのに。憎悪に満ちた視線を私に叩きつけて。



「いや、全くだ。その女は正真正銘のイカレだよね。でも、今は黙ってなよ、瑞乃。君は敗北者なんだから」



 瞬間、甲高い破裂音が響き渡る。放たれた鉛の弾丸。私は寸での所で瑞乃を抱え直して真横に転がるみたいに跳ぶ。


 弾丸をどうにか回避するも瑞乃は私の胸ぐらを引っ掴んで私を引き倒した。



「悠雅さんのことを私に対して、“私の男”だと言ったのは嘘だったんですか!? それで死んでもいい? 笑わせんな!! 自分の発言に責任持って下さい!! 貴女が死んで、悠雅さんがどういう行動を取るか想像つくでしょう!? 貴女が死ねば、理由はどうあれ小此木さんを――貴女の弟を殺しますよ!?」

「でも、だって……」


 私は償わなきゃいけない。そうでなければ、私は死んでいった家族に顔向けできない。



「無駄だよ瑞乃、そいつは自らを罰してもらう為だけに僕たちを生き返らせようとしていた大馬鹿者なんだから」

「それの何が悪いの……? 私は家族を見捨てて生き残ってしまった。償わせてよ、誠実でいさせてよ……!! そうでなきゃ、家族にも、使用人達にも、悠雅にも顔向けできない。こんな罪人を英雄になろうとしてる悠雅の隣にいさせちゃいけないの!!」


 悠雅はこの国の英雄になろうとしてる。悠雅の意志力ならいつかそれが現実になる日もそう遠くない。なのに、そんな彼の隣にいる女が罪人じゃダメだ。彼の英雄譚に汚点を残したくない。


 すぐにでも私の汚名をそそがなくちゃいけない。たとえ、



「じゃあ、私に悠雅さんをください!! 貴女の隣にいるより私が隣にいた方が悠雅さんが泣かないで済む!!」

「それは……、」


 嫌だ。そんな光景、見たくない。


 悠雅の隣に、別の誰かが立っているのなんて、嫌だ。私には耐えられない。


 だって、この世で私を一番愛しているのは悠雅だし、この世で悠雅を一番愛しているのは私なのだから。誰にも渡したくない。誰にもあげたくない。



 でも、だったら、どうすればいいの?



 悠雅を渡したくない。

 だけど、悠雅の隣に罪人はいちゃいけない。

 罪を雪ぐには私が死ぬしかない。

 そうなったら悠雅はきっとアリョーシャと殺し合うし、瑞乃はきっと私から悠雅を奪ってく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る