第三章9 彼女の祈り

 床に叩き付けられると同時に瑞乃の祈りが消え失せ、長門は元の戦艦としての姿を取り戻し始めた。同時に落下が開始される。魔力が切れたんだろう。それもそうだ。まともに祈りも使いこなせてない状態で戦闘した挙句、いきなり第二階梯に至ったんだから長続きするわけがない。


 やがて長門は、幾何学的でアーティスティックな建造物を薙ぎ倒しながら、鋼鉄の巨大な船影はゆっくりとその大地に横たわった。



「……また、」



 ぽつり、甲板の染みとなった瑞乃がか細く零す。



「また、手から零れてく……」



 ……また言ってる。本当に、意気地がない。



「本当に好きなら、欲してるなら、私を出し抜こうっていう気概は無いの? ただ泣き叫びながら癇癪を起こして、私を殺そうとして、悠雅がアンタに振り向くと思ったわけ? みっともないにも程があるでしょう」

「…………、」

「少し考えが甘いんじゃない?」


 もし仮に私を殺せたとしても、アイツは瑞乃には振り向かない。むしろ、アイツは彼女の首を刎ねるだろう。断言してもいい。あのバカは、平気でそれをやる。その程度にはあいつは私を想ってくれている。


 ……なんてね。これは自惚れかな。でも、案外的を射ててる気がするのが怖いとこ。あのバカは、多分その程度には狂ってるように見えるから。

 そう思いつつも、自分も他人のことを言えるほど正気を保てているとは思えない。……質の悪いつがいよね、私達は。



「……………………私には、悠雅さんを振り向かせられるような魅力なんかないです。だからこうして、八つ当たりして、追いすがって、足を引く事しかできない。仕方ないじゃないですか、私の手は絶対に光に届いてくれないんですから」

「そこで諦める意味がわからないわ。寝込みを襲うくらいならできるでしょう?」

「……そうして、譲ってくれるような人じゃないじゃないですか、貴女は」

「そうね。それであいつが本当に、アンタにされるがまま抱かれたら、私はあいつをシメる。ボコボコにする。そうした上で、私の良さを改めて叩き込む」


 私以外に愛を囁く悠雅など見たくないし、私を捨てて別の女のところに行くような男はきちんと矯正してやらなくちゃいけない。鉄拳制裁よ、鉄拳制裁。



「私には何もしないんですか?」

「するわよ、一発殴って、それでおしまい」

「それだけですか……? 悠雅さんはボコボコにするのに?」

「十分でしょ。誰かを好きになるなんて仕方のないことなんだし。アンタが好きになったのがたまたま私の男だったっていうだけ。その場合、私という女がいながら拒絶できない男が悪い。だからボコる」


 いざとなったら去勢も辞さないわよ、私は。こう、スパッとひと思いにね。



「貴女は――アナスタシアさんは、光側だから、そうやって言えるんです。私は光と対極にあって、私は……光の届かない水底に沈んでいくしかないんです」

「どうしてそう決めつけるの? 光だとか闇だとか、私にはさっぱり」

「それが光の主張なんです。強い人。方向はどうあれ、前に向かって進んでいける人。私は絶対にそんなものになれない」



 彼女は薄く笑みを浮かべて「だからかもしれません」なんて言って、



「長門が私に同調してくれたのは」



 光が無ければ夜闇の海を航海できないから。灯台の光が無ければ闇を彷徨うしかないから。



「アナスタシアさんは私がどんなことを願って、祈りを発現させたかわかりますか?」

「………………人魚姫よろしく泡になりたくない、ってとこ?」



 答えると瑞乃は「とっても惜しいですね」なんて言いながら、茶目っ気たっぷりに舌をチロリとだしてはにかんで、



「正確には、、です。俗っぽい祈りでしょう? だけど、私はずっとそう願って生きてきました。そう祈った筈なのに、気が付いたら私は自ら進んで人魚姫になろうとしてた。……馬鹿ですね、本当に」

「道を間違うことだってあるでしょ、人間なんだし」

「……殿下もですか?」

「私なんか間違えっぱなしよ」


 なんなら生まれてこの方ずっと間違えてるかもしれない。祖母や親戚には男ではなかったことを嘆かれたし、いくつになってもご覧の通りの気性だったものだからお母様から直々に『姫らしくない』と叱られることがよくあった。


 ……それに何より、ヴァチカンに召し上げられた後は特に酷い。間違いばかりだ。やり直すことができるのならやり直したい。



『薄情ね、貴女』



 不意にクォデネンツの機嫌の悪そうな声がして、ああ、と思い出す。放り投げてそのままにしてしまっていたんだった。


「ごめんなさい、放っておいて」

『別にそれはいいけど、今貴女が内心過ぎらせたこと、絶対にあのリトル・マーメイドに言うんじゃないわよ』


 この宝剣は何を言っているんだろう?



『呆れた、本気で言っているの?』

「…………?」


 ちょっと、何言ってるのか本気でわからない。なんでそんなこと言うつもりはそもそもなかったけど、



『貴女、ここで死んだ方があの男の為になったかもね。少し同情するわ』

「……どういう意味?」

『貴女は罪深いわ、本当に』



 私が罪深いことなんか百も承知だ。今更誰かから指摘されるまでもない――そう返してやるとクォデネンツはさらに呆れ返ったみたいに『そういうことではないんだけどね』なんて涼しく答えた後、黙り込んでしまった。



 クォデネンツを鞘に収めながら、瑞乃を見遣る。


 人魚姫になりたくない。女なら誰だって通る願い。愛しい人と添い遂げたいと思う真摯な思い。


 何が俗っぽいものか。その祈りは、純粋で美しい。そうでなければ第二階梯になんて至れないだろうし。


 それにしても、思ったよりも負傷してしまった。私自身第二階梯に至ったおかげで怪我は癒やせど癒しの力は魔力を大量に消費する。後もう何回も治癒はできない。

 だけど、彼女をこのままにもできず私は瑞乃を治癒し始める。



「……なんで、私を?」

「放っといても死にはしないだろうけど、怪我人放って先に進める程冷酷になれないのよ」

「…………どうして殺してくれないんですか」

「人魚姫になりたくないんでしょ? ……だったら殺してなんて言うものじゃないわ。私は、風の精になんてさせるつもりはないから」


 童話は童話。現実じゃない。私の目の前で死人なんて出させない。


「理由はどうあれ、私はみんなを裏切りました。敵の手に落ちて、貴女を……殺そうとしました。きっと、貴女を殺したら……次は、多分、姉さんを……」

「だからなに? アンタはまだそうするつもりでいるの?」


 だったら、と拳を握る。死なせない。誰一人として。もういやなの。周りの誰かが死ぬなんて。


「……私に、生き恥を晒せ、ということですか?」

「生き恥晒して生き残れるなら晒すのが賢明よ」


 死んだら、もう後には何も残らないのだから。何もできないのだから。そんなもので命を拾えるのならいくらでもかくべきだ。少なくとも、私はそうする。

 ……それで家族が取り戻せるのなら、安いものよ。


「それに、何より悠雅の居場所まで案内してもらわないと」


 キザイア・メイスンはいつの間にか姿を消して影もない。悠雅とアリョーシャに繋がる手掛かりはもうこの子しかいないんだ。血反吐を吐いていても案内してもらわないとね。その程度には残酷よ、私は。



「悠雅さんは……祭壇にいるはずです」

「祭壇……」


 祭壇と言われると悠雅とウラジミールが戦った場所も祭壇だった。聖遺物の力でその層の主を封じ込めている場所。黄泉比良坂よもつひらさかを封じている場所。


「案内しなさい、その祭壇とやらに」





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