第二章3 瑞乃の祈り

 続けて瑞乃みずのの話に移る訳だが、


「――未来の遺物、ね」


 ぼやくように零したのはアナスタシアだった。その声音からはどこか信じられない、といった感情が感じ取れる。それもそうだろうな、俺だって最初は信じられなかった。あの指令書紙切れ宗一そういち、ヴィクトリアの言葉が無ければ俺だって信じていなかったと思う。


「皇紀二六〇六年――西暦だと一九四六年。二十八年後ですか。近いようで遠いです。私はおばさんになってますねその頃」


 茶目っ気たっぷりに冗談を言う藤ノ宮であったが目は一切笑っていなかった。次から次へと新しい情報が舞い込んで脳みそがパンクしかかっているのだろう。おまけに宗一の看病もしないといけないときている。こいつそろそろぶっ倒れそうだ。


 とはいえ、俺に何か肩代わりできるかと問われれば何も出来ないので雑用するくらいか。


「雪乃、宗一の看病私が代わろうか?」


 俺が起き上がった以上俺に付きっきりになる必要もない。なるほど、ならばアナスタシアが宗一の看病をすれば藤ノ宮の負担も減らせるだろう。

 名案だ。うん。……少し、ほんの少し、もやもやするけど。ほんの少しだけだ。


「それには及びません」

「本当にいいの?」

「宗一さんのことは私がやります。これだけは譲れませんので」

「なら、私は雪乃のことを看ているわ」

「え?」

「貴女が一番頑張っているんだもの。力になりたいの」

「アナスタシア様……」

「雪乃……」


 藤ノ宮は感極まったように瞳を潤ませている様に見える。そしてそれを優しく微笑みながら見つめるアナスタシア。……なんだか甘い百合の香りが漂ってる気がする。なんでだろ?


「申し出は嬉しいのですが、それでは深凪様が拗ねてしまいますよ?」

「こいつは放っといていいの。こっちがどれだけ心配してたかちっとも理解してなさそうだし」

「ですね」


 じとっと湿った視線が突き刺さる。なるほど、こういう部分でもわかり合っているからこそ意気投合しているわけか。しかしながら言われっぱなしというのも少し癪だ。


「俺はあの場で最善の行動を取れたと自負している」


 ドミトリー・ニコラツェフを止められたのはアナスタシアだけだったと思うし、既に落下してしまっていた瑞乃を救い出すには一番近い俺が飛び込むのが一番だった。更に言えば結果として階層主と対峙しなければならなかった状況に陥った訳で。奴らとやり合うには第二階梯の祈りを持つ俺が必要だった。


 しかしそれでも彼女たち的には納得がいかないらしく終始口を尖らせていた。こっちだって結構大変だったんだから少しは労ってくれたっていいと思うんだが。


「後、驚きなのは瑞乃の神格化だよね」


 光喜の一言に一斉に瑞乃へと視線が集まる。


「現人神になったとなると呪術師としてもう生きていけないけど瑞乃的にオッケーなの?」


 一瞬静まり返る。なんというか、聞きづらいことを平然と聞きに行くな光喜は。

 しかし、そんな光喜の質問に対して瑞乃は何ともケロリとした様子でこう答える。


「ずっと教えてくれていた姉さんの手前、言いにくいですけど。……私はどちらにせよ呪術師としては終わってた人間でしたので」

「瑞乃……」

「まあ、こんなもんですよ姉さん……私は」


 申し訳なさそうに笑んで。今までの努力が泡になった自分のほうが辛かろうに。


「それで、瑞乃の祈りってなんなの?」

「実は私もよくわからないんですよね」

「わからない? ってことは少なくとも僕や宗一みたいにすぐにわかるタイプじゃないのか。悠雅みたいに媒介が必要になる類かな?」

「どうなんでしょう?」


 小首を傾げる瑞乃から光喜はこちらに視線を移して、


「実際に見た悠雅はどう思うの?」

「うーん、あの軍艦――長門が急に神器化したり、浮いたりって正直深く考えてなかったんだよな」


 浮くのは良い。そういう祈りだってわかるから。だが神器化したのは解せない。ここが一番意味が分からない。


「隊長、急に神器化ってあり得るもんなの?」


 話を振られると隊長は資料に視線を落としながら、


「そもそも神器を作るには二つ製造方法がある。代表的なのは祀り上げて作る方法か。ある一つの物体に何百万、何千万という人々の想念浴びせ続けることで作るのだが、この方法は恐ろしく時間がかかる上に何一つ確実性がない。すぐ神器化するものもあれば何百年かけても神器化しないものもある。それを踏まえて考えれば、“たまたま神器化した場面に居合わせた”というのは、まぁまずないだろう。天文学的確率過ぎる。それならもう一つの可能性だ」

「……まさか、」


 藤ノ宮が目を見開いて、何か信じがたいものを見るように瑞乃を見ながら、


「“神器を作る祈り”?」


 隊長は「然り」と頷いた。そんな祈り聞いた事ない。そう思ったがそこは學天則がくあまのりである。その疑問に対する回答を用意していた。


 そもそも、前例がない訳ではないらしい。北欧の“どゔぇるぐ”、希臘ぎりしゃの“きゅくろーぷす”に代表される製鉄の神性として伝承が残されている者達は神器を作る祈りを持っていたとされているらしい。もちろん皇国にもいたわけで“天目一箇神あめのまひとつのかみ”がそれにあたる。一番最近出現したのはかの有名な“千子村正”なんだとか。


「――その後の船の様子を見る限り、恐らく藤ノ宮瑞乃ふじのみやみずのの祈りは艦船に特化した祈りだと思われる。が、十分に破格だな。これで皇国は神器を乱造できるようになったわけだからな。これから厳しいぞ? あらゆる場所から命を狙われるだろう」

「隊長……!!」


 藤ノ宮が苛立ちを滲ませて睨むが隊長は素知らぬ顔で続ける。


「事実から目を逸らしてどうする。己の状況を己が知らずにいていい訳がない。はっきり言おう、その力は他国にとって脅威だ。木造の小型船舶に軍艦が沈められたとあっては泣くに泣けない。もしこの中で懸賞金がかけられるとしたら藤ノ宮瑞乃、お前が最高額の懸賞金をかけられるだろう。国津神よりも遥かに希少な力だよ」

「あまりそうやって虐めるなよ學天則」


 大佐がそう言ってようやく隊長は言葉を止めた。薄ら笑いを浮かべてながらも。

 つくづく人格が破たんしている様に見える。わざとなのか、素なのか、どちらなのか非常に怪しい。前者であっても後者であっても面倒な事この上ない。


「だがな瑞乃。その男が言っている事はすべて真実だ。これを上に伝えればお前は幽閉されるだろうし、いつ殺されるかわからない事態になるだろう。その上で、お前に一つ提案してやる――お前の命を私に寄越せ」


 実に剣呑な言い回しであった。しかし、彼女がそんなことを言う人間ではない事は皆、把握済みだ。比喩であるとわかっている。しかしそれは、


「私にも逢魔ヶ刻おうまがどきで戦え、ということですか?」

「そういう事だ。その代わり、お前のことは外界から一切守ってやろう」

「…………、」


 瑞乃は逡巡する。どちらにせよ、彼女は戦えと言っているようなものだから。ここで断っても外界からの敵が押し寄せる。受け入れても、逢魔ヶ刻の怪物たちと殺し合わねばならない。これ以外に選択肢の無い、二択。

 つい先日まで一般人だった瑞乃にとっては余りにも酷な二択に思えた。


「まあ、いきなりそう言われても整理がつかないだろうし、少し考えておいてくれ」


 そう言って彼女は「ただ、」と付け加えて、


「私の提案を呑んでくれるのだったら、悪いようにはせん。それにこちらなら、雪乃、宗一、光喜、アナスタシア、悠雅がお前を命を賭して守ってくれるだろう」


 そうなるのであればもちろん命を賭して戦うが、問題はそこではないと思えた。彼女が命のやり取りを許容できるか否か。そこにある。

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