第二章2 ドミトリー・ニコラツェフ 二
「……良いのかよ、教えて?」
「良いの。大佐には教えたし、ミーチャは……言わなきゃ聞かないから」
彼女は「ミーチャは強情だから」と付け加えて勝気に笑んでみせた。ところでその“みーちゃ”というのはドミトリー・ニコラツェフの愛称なのだろうか? 露西亜の愛称はってのはどうしてまぁ響きが愛らしいんだろうなぁ? パッと見は小さくて小汚いけど厳つい翁といった風貌なのだが。
ようやく硬直から舞い戻ったドミトリーはお茶を再び煽ってから、こちらを――正確には俺と爺さんを睨んできた。恐らくは俺達がアナスタシアに何か吹き込んだのだろうと考えての事だろうがそれは見当違いだ。彼女は端からそれについて知っていたしそれを巡ってうちの爺様とひと悶着あったくらいなのだから。
「御陵のご老公にもそこの悠雅からもお叱りを受けました。だからそのお二方を睨むのはやめてください。私の言葉に耳を貸してくれるのなら」
その言葉を受けてドミトリーはこちらに視線を叩き付けるのをやめるとアナスタシアに向けた。
「御身は何を口にされているか理解しておられるか?」
「…………、」
彼女は頷く。その様子を見つめていたドミトリーは酷く落胆したように肩を落とした。
「……わかりました、私は御身の意思を尊重致します。ですが、諦めません。絶対に」
彼は席を立って、一同に睨みを利かせた。“殿下の身に何かあったら殺す”と訴えるみたいに。
わかっているさ。それは俺が一番肝に銘じるべきだ。そう思う。
国を守る剣。民を守る剣。そして、アナスタシアを守る剣。そうあるべき、そうあらねばならぬ剣。貴方に追いつける日がいつになるかわからないが、貴方もまた俺の目標であるが故。
大英雄、ドミトリー・ニコラツェフ。異国ながらも護国にその生涯をささげた偉大な先達。俺はいつか貴方にも追い付いて見せると心の中で誓うと共に、退室していく彼の背中を視線で追う。
「――小僧」
「……何か?」
「“ウラジミール・アレンスキー”。知らぬとは言わさぬ」
「もちろんだ。知っている」
「奴の最期。教えてくれ」
「……、」
そうか、あいつはこの男の弟子と言っていたな。ならばこの男には告げなければならない。それがあいつの最期を看取った俺の責務だ。
「あいつは、ウラジミール・アレンスキーは笑って逝ったよ」
「満足していたか?」
「していた――あの時点で最善の最期であった」
あいつを本当に満足させるには、どうあっても俺では足りない。北法露西亜帝国という国が必要だ。でもそれは、もうとうの昔に滅びていて、新しい国号を名乗っている。だけどそれは、露西亜であるけれど彼の守りたかった露西亜ではないのだ。
「末期の言葉は……?」
「『私の戦争は終わった。お前達の勝ちだ』……と」
彼の散り際に放った言葉。勝った俺に送った
「――そうか……そうか、あやつは、やっと戦争を終わらせられたか」
ドミトリーはそう言い残して、改めて応接間を後にした。爺さんも彼の後を追う様に行ってしまった。
そうして、俺はようやく緊張から解放されたのだった。ぐてっと、こんにゃくか豆腐みたいに脱力する。ああ、本当に生きた心地がしなかった。こちらは病み上がりだというのに、なんなんだあの圧迫面接は? 米国なら訴訟沙汰だぞ。
「ちょっと悠雅、私の男がそんなだらしない恰好しないでくれる?」
「そうだぞ。仮にも上官の前であることを忘れていないか?」
「むしろお前らがなんでこうならんのか疑問で仕方ないよ俺は」
天津神、
「――それよりだ。宗一と瑞乃はどうなった?」
冷え切った緑茶と茶菓子のどら焼きを詰め込んでからそう切り出した。ずっと二人の安否が気がかりだった。特に宗一は腕を切断した。後遺症が残ってなければいいのだが。
俺の質問に答える前に彼女等は俺を会議室連れて行く運びとなった。
会議室の扉を開け放った瞬間、一斉に俺の元へと視線が集中した。室内には宗一を除いた実働部隊全員に瑞乃とヴィクトリアを加えた五人が集まっており、どうやら俺の圧迫面接を待っていた風であった。
「待たせてすまない。ずいぶん時間が掛かった」
大佐が一言謝罪を挟み、俺とアナスタシアは軽く会釈済ませて着席した。
「まずは宗一の容態を聞こう」
大佐が藤ノ宮に話をすると彼女はつらつらと語りだす。きちんとした正式な報告である為か詳細はまるで頭に入ってこないが宗一は無事に藤ノ宮とアナスタシアの力で腕を取り戻したらしい。本当に良かった。
しかし、良くないことが一つ。宗一が未だ目を覚ましていないということ。極度の精神摩耗ということ以外理由はわかっておらず、事情を説明したであろう瑞乃と聴取したであろう光喜が小首を傾げていた。そこについては俺が補足できた。第二階梯への到達だ。宗一は俺の時と同様に第二階梯に至り、そのままの状態で大暴れした。あのような暴れ方をすれば精神が焼き切れるのも無理はない。おまけに俺の時と違い、意識を失った上で暴走させていたものだから加減も自己防衛も働かなかったのだと思う。あのまま続けさせていたら、あいつは廃人になっていただろうな。
その辺りについては宗一の容態を看続けていた藤ノ宮も同様の見解に至っていた。「限界を超えた祈りの発露による精神摩耗は良い前例がありましたから」とかなんとか、俺の方に少しばかり視線を向け、含みを持たせて。喧しいわ、俺だって必死だったんだ。
まぁ、前回俺が無茶したおかげでそれの対処法も見つかっているらしく、早ければ今日明日中に目を覚ますとのことだ。
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