第二章『悪意を追って』

第二章1 ドミトリー・ニコラツェフ 一

 気が付くと、見慣れた天井が俺を迎え入れた。度々殺風景だと言われる俺の部屋、その天井。

 片隅には天之尾羽張あめのおはばり生大刀いくたちが二振り仲良く並んで鎮座していた。


 どうやら俺は気を失っている間にこちらに戻って来れたようだ。ヴィクトリアはきちんと約束を果たしたということになる。果たしていなかったら荒事に突入するだけだったが。


 穏やかな朝の日差しが心地よくて二度寝してしまいたくなるのをグッと抑えて、起き上がると寝台の傍らに金の御髪おぐしまなじりに涙を湛えて、腫れぼったく赤くなっている。


「………………、」


 こんなんばっかだな、俺。ほんの少しだけ嫌気が刺してくる。何かしら戦闘がある度にこれではこいつに愛想を尽かされてしまいそうな気がして。もっと強くありたい、とそう思う。


「ごめんな……」


 彼女の涙を拭おうと手を伸ばすと脇から黒い影が伸びる。



「そこまでだ、小僧――」



 息が止まる思いだった。ドミトリー・ニコラツェフ。旧北法露西亜帝国の大英雄。なぜ彼が寮にいるのか? あの後一体何があったのか? その時の俺にはわからなかった。



 時は移って半刻後。身支度を整えた俺の姿は彩花寮にある応接間にあった。寮の応接間に二組陣取って、上座にアナスタシアとドミトリー・ニコラツェフ。下座に俺と爺さん、後大佐が並んでいる。


 端的に言ってこれが俗に言う、“親御さんへのご挨拶”というものなのだろうか?


 ……うーん、何かがおかしい。そう思うも寝起きだからうまく思考出来ていないのか? ……いや、うん、やっぱり何かがおかしい。


「――とまぁ、そういった事情もありアナスタシア殿下を私の管理下に置いた訳です」


 これまでの事情を掻い摘んで話し終わった大佐はお茶を満足気に啜った。

 大佐がこの大英雄同士の対話に同席したのはこの為だったのか。彼女はついでに俺にも逢魔ヶ刻への落下以降の経緯を小声で大雑把に説明してくれた。


 爺さんとドミトリーの激突で特異点が発生した後、アナスタシアと藤ノ宮の尽力によってどうにか仲裁、休戦させるに至ったらしい。このあたりはアナスタシアたちだからこそできた偉業だろう。特にドミトリーを止められたのは彼女だけだっただろうと思う。そういう意味では俺のあの時の行動は間違っていなかったらしい。


 その後、ドミトリーの声を無視してアナスタシアが寮に戻ってきたというのが大まかな事情。

 個人的にはかの国の大英雄をここまで連れて来ちゃってもいいのだろうか? と思ってしまうのだが。そもそも逢魔ヶ刻を見た時点で時すでに遅しか。


「――小僧」

「はい」


 ドミトリーに呼ばれ、思わず敬語を使って返事をしたら、隣の爺さんが面白く無さそうに鼻を鳴らした。


「貴様と殿下が恋仲だというのは本当か」

「……はい」

「ならばここでその愛を証明してみせい」


 この翁、何て要求をしてくれるんだ!? ……いや、向こうは愛情表現が直接的だという話も聞く。案外こういう要求も多い、のか……? しかし二人きりならまだしも衆目のある場所でそれをやれというのは些か情緒が欠けていないか?

 そこに爺さんが口を挟む。


「くだらん事で時間を使わせるなよドミトリー・ニコラツェフ」

「くだらん、だと?」

「ああ、くだらん。我らは白人共と違って愛をみだりに語らんのだ。郷に入っては郷に従えという言葉を知らんのか貴様は?」

「知るものかよ黄色人種。言葉に表さぬ愛など自己満足のものでしかない。殿下をそんな自己満足に巻き込むつもりなら疾く死ねい」


 爺さんとドミトリー・ニコラツェフの視線が交錯した瞬間火花が散った気がした。あんたらがそうやって臨戦態勢に入るだけでこちらは胃がねじ切れそうになるので少し落ち着いていただきたい。

 というか大佐もアナスタシアも何でこんな中で優雅にお茶飲んでられるんだ? 肝が座りっているのか心臓に毛が生えているのか。


「なあ小僧、お前は身分が違い過ぎると思わんか」

「貴様は一体いつの話をしている? そやつは既にただの平民であろうよ」

「無礼者め!! 黙っていろミササギ。私は小僧と話しておるのだ!!」

「いや黙らん。貴様は己が何者か理解して言っているのだろう? そんな貴様を見逃すものか。単なる問答であるなら見逃しもするが貴様がやることでそれが恫喝になると心得よ!!」


 咆哮のぶつけ合いだけで特異点が開きそうな圧があった。

 俺は緊張のあまり軽い呼吸困難になっていて、ドミトリーの灰色の瞳を見ていることしかできないでいた。


「大体、お前の論理で言えば、この子も皇族の血統になる。没落して随分経つがな」

「この方は今年の初めまで皇族であった。重みが違う」

「語るに落ちるとはこの事だなドミトリー・ニコラツェフ。お前は今、彼女が平民であると認めたぞ」

「ユキヒト・ミササギぃ……!!」


 再び剣呑となる場で俺は完全に呼吸困難になっていた。二人の英雄は今にも己の得物を引き抜いて鍔迫り合いを始めようとしている。


 そこにアナスタシアが鋭く一言、


「ここで暴れないでくださいませ御老公方」


 こういう時、物怖じせずに言い放てる辺り、やはり王者の気風を持っているのだなと思わされる。大抵のことは努力すればできるようになる。だが、これはどうにもならない。努力では手に入れられぬものだ。

 爺さんはああ言うが、やはり彼女は皇女なんだなぁと思ってしまう。


ドミトリーミーチャ、私は悠雅の事をきちんと愛しているし悠雅もきちんと愛してくれてる。それではダメなの?」


 俺がそういう事を言うと赤面して殴ってくるくせに自分で言う時は本当にいつも真顔で言うよな、こいつ。……なんかずるい。


「殿下……貴女はロマノフ家の生き残り。そんな貴女を異国の地に、ましてや極東の地に留めるわけには参りません。更に皇国人と婚約するなど以ての外」

「私をロシアに連れ帰って貴方はどうしたいの、ミーチャ? 帝政ロシアは滅んだ。ロマノフ家は滅んだ。私が帰ったら……きっとまた酷い事が起きる。私はそれを望まない」

「酷い事にならもうなっています。はっきり言います。ロシアはこれからもっとひどいことになる。それを止める為には誰かが導かねばなりません」

「でもそれは、私であってはなりません――あの国は、もう私達の国ではないのだから」


 会話に空隙が訪れた。アナスタシアは真っ直ぐ、ドミトリー・ニコラツェフを見据えている。空色の大きな目で。その眼力に耐えかねて、やがて英雄は彼女から逸らしてしまう。

 彼女はこうと決めたら頑として己を曲げない。葛藤したり揺れ動いたり、ブレたりするけど結局元の道に戻ってしまう。己の中で決めた答えを目指すべく。


「――少し頭を冷やせドミトリー・ニコラツェフ」

「言われずともわかっておる……!!」

 彼はぐいとお茶を煽って一言「渋いな」と文句をつけて、宙を仰ぐ。

「殿下」


 幾許かして、ドミトリー・ニコラツェフは大きく息を吐きながら、


「御身がこの男に固執する理由は理解しました。納得はしていませんが。しかしもう一つ解せない問題があります」

「何?」

「御身がこの国に何を求めてやってきたのか? ここがどうしてもわからない。爺に話して下され」

「この国にある人体蘇生法を記した魔導書・八色雷鳴やくさのらいめい——ネクロノミコンを探すため」


 その一言でドミトリーは凍り付いた。驚きの余り間抜けな顔をしている程だ。

 そこには同意しているのか爺さんもこくこくと頷いていた。

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