第一章7 黒縄

 しかし、どうしたものか。ただっぴろい深紅の海の上、軍艦に取り残された形だ。どうやって戻ればいいのか見当がつかない。いつも使っている方法は使えない。裏技は博打要素が高すぎて危険。やるにしたって最後の手段だ。


「一先ず、瑞乃を休ませられる場所を探そう」

「そうだな」


 宗一の提案に賛同しつつ、瑞乃を抱え直す。これだけの出来事があって尚、未だ意識を取り戻さない彼女が心配だ。爺さんがキザイア・メイスンと呼んでいたあの女は一体何者なんだ? 一体瑞乃に何をしたんだ? それにアナスタシアや藤ノ宮、それに光喜は無事だろうか? 光喜はちゃんとアナスタシアと藤ノ宮を連れて退避したであろうか? 爺さんは心配いらないと思うが――いや、ドミトリー・ニコラツェフの事があったか……爺さんならば大丈夫だと思うが、早いとこ戻る方が良いだろう。向こうも心配しているだろうし。


 建物の中に入ってから、休める場所が見つかるまである程度時間を要した。先ず船員の寝場所を目指したのだが道中、魑魅魍魎ちみもうりょう共の奇襲に警戒せねばならず足取りがかなり遅くなったが最上階の一歩手前、それはそこにあった。中々豪奢な内装から、恐らく艦長の寝室だろう。

 瑞乃をベッドに寝かせ、かけ布団をかけてやる。


「――悠雅、お前の神器はよく口が回るのだな」


 不意に宗一がそんな事を投げかけてきた。そういえば、寮で大佐から天之尾羽張を返してもらう時にも同じような事を言っていたか。


「俺と違って知識が豊富だしな。正直ありがたいよ。それに簡単な呪術も使える。痒いところに手が届きすぎるくらいだ」

『当たり前だ。生きた年月が違う』


 そう言って、わざわざ宗一にも聞こえるように声に出して。


「もう何年くらい生きてるんだ?」

『この国の人間の癖にそんな事もわからんのか?』

「神話に年表なんてついてねぇの」

『嘆かわしい事よな。私が自我を持ったのは百二十万年以上前――正確には一二四三九七六年前になる。それ以前から剣として振るわれていた記憶もあるが私が私を自覚し、意志を持ったのはその頃だ』

「化石かよ……」

『せめて遺物と呼べ愚か者!!』


 何が違うというのか? 結局の所どちらも太古の物体だろうに、何て考えていると『私に対する敬意が違うわ』などと怒鳴られてしまった。

 そんなやり取りを外から覗いていた宗一は一言、


「仲がいいんだな」


 何処か気落ちしたみたいに、視線を落として。


「仲が良いというか、単に俺が小言を言われているだけだぞ」

『小言ではない助言と言え馬鹿者』


 喧しいわ。


「それでも羨ましいさ。俺の倶利伽羅くりからは、俺に問いかけに何も答えてくれない。どうしたら強くなれるのか、どうしたら俺は皆を照らす光になれるのか、どうしたら俺に力を貸してくれるのか。俺一人では、もう何もできないのに……」


 らしくないな、純粋にそう思った。質実剛健を旨とするこの男にしては随分と他力本願な言葉だと思ったのだ。気持ちはわからんでもない。俺が一人で先に第二階梯に至って少しばかり焦っているのだろう。しかし、それは――


『それは違うぞみなもと末裔まつえいよ』

「……どうしてそれを?」

『私を舐めるな。私は神器・天之尾羽張であるぞ? お前達の歴史など私から言わせれば瞬きする間に終わる程短いものだ。把握するなど易い』


 アマ公はそう言って前置いてから、


『そやつと話したいという話ならば別だが、お前自身が強くなりたいというのならそやつの存在は関係ない』

「何故ですか?」

『どうにも勘違いしている節があるから先に言っておいてやる。悠雅が国津神になれたのはこの男自身の素養と努力、そして深く重く祈った結果だ。私はこの男の祈りをひたすら受け止め、外界に出力し続けていただけに過ぎん』

「そう、だったのですか……?」

『そうだ。今の人間に我々の事がどういう風に伝わっているかは概ね察しは着くが、我ら神器とは本来神の祈りを受け止めそれをよりわかりやすい形で伝えるものなのだ。断じて祈りの強化装置やら増幅装置ではないと知れ。私達は神たるお前達に振るわれる剣であると同時に、共に歩み、嘆き、笑う、理解者であると心得よ――特に私の担い手としての自覚が欠けている悠雅、お前は自覚をしろ!!』


 なんか急に俺に矛先が向いてきたぞ。勘弁してくれ……。


『聞こえているぞ馬鹿者。私とお前は一心同体。心の中身も筒抜けなのを忘れたか?』

「はいはい、悪かったよ」


 アマ公は何やら態度がどうだとか姿勢がどうだとかまた小言を言ってきている。これでは本当に姑ではないか。

 とは言え、こいつの言うことも少しは聞かなければ。こいつがどう思っているかはともかくとしてこいつには幾度と無く助けられた。アナスタシアと逢魔ヶ刻に落下した時、ウラジミールと戦った時、忌鷹と戦った時。こいつがいなければ俺は今頃きっと息をしていなかっただろうしな。


『わかっているではないか』

「そうやってすぐに得意げになるとこ、お前の良くないとこだからな?」

『喧しいわ』


 こうして軽口を叩きあっていると宗一は腰に挿した件の神器を引き抜いた。


「お前は、俺と話してはくれないのか?」


 問いかけの言葉は受け止められることなく虚ろに消える。代わりに返るのはギラギラとした刃の輝きだけ。

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