第一章6 開かれる特異点

 天津神について、詳細に語られている書物は少ない。当たり前だ。天津神という存在は聖帝を除けば皇国史においてたった数人しか現れていない。だが、天津神の事を学ぶにあたって徹底的に叩き込まれるのは天津神との戦闘を回避する事のみ。


 現人神は一個大隊で囲めば殺せる。国津神は現人神が二十人、或いは一個師団で囲めば殺せる。超人と言ってもその中身は基本人間だから。

 だが天津神は違う。天津神はもう人の規格で計っていい存在じゃない。俺は今、その片鱗を垣間見ている。単なる剣戟の圧が空間を歪ませるに至るなど、普通有り得ない。常識的に考えて有り得ない。


 その常識的に有り得ない状況は更に有り得ない事を引き起こす。


 視界が波打つみたいに大きく歪み、空が有り得ないくらい丸く歪んでいく。この光景に俺は酷く既視感を覚える。俺は咄嗟に傍らのアナスタシアを抱えてその場から全力で退避しようとした。

 藤ノ宮が呼ぶ声が聞こえる。彼女は結界を張って安全地帯を作ってくれていた。ありがたい。このまま結界の中に飛び込めば――と駆けだそうとしたところで視界の端に何かが映る。意識を失ったまま落下していく瑞乃の姿。


「藤ノ宮あああああああああああああ――!!」


 アナスタシアの体を藤ノ宮の方へと思い切り投げつけて、陥没する空間へと身を投げ出す。アナスタシアが絶叫する声が聞こえた。ああ、これは後で絶対に怒られるな。そんな風に考えながら瑞乃の元に手を伸ばす。


「悠雅、瑞乃――!!」

「っ⁉」


 改めて視線を戻すとそこには、俺を追う様に落下する宗一の姿。くそったれ、馬鹿野郎。お前まで落ちやがって、藤ノ宮とアナスタシアを守って欲しかったのに。


 しかし、もう戻ることはできない。針の穴程に小さくなった青空はアナスタシアと藤ノ宮の絶叫を最後に、完全に閉じてしまった。

 眼下には深紅の穴。宗一と共に瑞乃を抱き抱え、深紅の穴に落下していく。


「なんだ、あれは――!?」


 驚愕の色を帯びた宗一の声が聞こえる。しかし俺に答える術は無い。むしろそれは俺が聞きたい事だったからだ。あれは何なのか? 俺はこんなの知らない。


 穴の中に投げ出され、その光景に目を疑う。香る潮の風と深紅に波打つ大量の水……のようなもの。それとそこに浮かぶ無数の黒い点。あれは……船、であろうか?


「宗一」

「わかっている。お前は揚力を頼む。調整は俺が」


 俺と宗一、二人で祈りを発現し、協力して落下地点を船の上へとずらす。やがて船の甲板が見えてきて安堵するも甲板の上を徘徊するコールタールの塊を見て辟易とする。


「悠雅、瑞乃を頼む」


 天之尾羽張を強く握りこもうとした瞬間、宗一が先んじて手を離し、先行する。


 宗一の肩口が発火して閃光の如き炎がショゴスを焼き尽くす。以前俺が殺されかけたショゴスを一瞬で、だ。今でこそ第二階梯に至った事で力はまさっているが宗一が同じ第二階梯に至ればその力の差は逆転するだろう。少しばかり悔しいな。


 軽く舌打ちしながら薄汚れた甲板の上と着地する。船には巨大な大砲や機銃、そして城か摩天楼まてんろうみたいな巨大な建物が乗っている。いわゆる軍艦というやつだろうか。凄まじく巨大な艦だ。最早建造物と言っても差し支えない、これほどまでに巨大な艦をどこの誰が作ったのか? いやそれ以前に、なぜ軍艦がこんな溶岩の海を漂っている? 理解不能な状況にただただ困惑するばかりだ。


「……ここは、逢魔ヶ刻なのだろうか?」


 宗一が何気なく懸念を零す。


「そりゃあそうだろ」


 そうでなくては困る。それにこんな異界がそう何個もあってたまるものか。


「ならばここは、あの深紅の皇都の下層にある場所、という事か」

「あの皇都の外の事を俺は把握してないから何とも言えんが、資料には皇都湾の海は溶岩の海だったなんて記述はなかったぞ」


 多重層の異界であるという話を鑑みるに下だろう推測できる。


「悠雅、お前の力でここから出られないか?」

「……そうだな、やってみよう」


 天之尾羽張に祈りを込める。込めながら、どこか俺は失敗するのではないか? そう思っていた。その理由を具体的に説明しろ、と問われると言葉に窮するが何かこう、この世界がどこにも繋がっていない、或いは鎖じているような気がしたのだ。とは言え、試す前から無理と判断するのは性に合わない。何より“ような”などという曖昧な感覚に屈するのはしゃくだ。


 祈りを最大限込めた天之尾羽張が虚空を一閃する。瞬間、何某か斬りつけたみたいな感触はあったが、それ以上の事は起きなかった。


「開かない……」

「無理そうか?」

「……、」


 致し方なく頷く。納得はある。理解はしていないが。するとアマ公が、


『奴め、開く気が無いな』


 苦々しげに語る。宗一にも聞こえる様に声に出して。


「奴?」

『あの祠の魔剣だ。私が切り、奴が開く。そうすることで逢魔ヶ刻への入出が可能になる。本来逢魔ヶ刻という異界にはそうすることでしか入れん。以前のお前と皇女の激突や此度の英雄同士の戦いによって開いたのは正規の方法ではない、いわゆる裏技のようなものなのだ』

「じゃあ俺と宗一が祈りをぶつけ合えば開くんじゃないのか……?」

『あれは危険な方法だ。どこに通じる穴が開くかわからんし、そもそも外に出られるとも限らん。下手をすればさらに下層に落ちるやもしれぬ』


 あの降下方法がよもやそんな危険なものだったとは思わなかった。最初の降下時にアナスタシアと試さなくてよかったと本当に思う。


「しかし、なんであの魔剣は開いてくれないのだろうか?」


 宗一の疑問も尤もだった。機嫌を損ねるようなことをしただろうか?


『どうせただの気まぐれだろう。むしろあのような場所に縛り付けられて、なぜ奴がお前達に協力しているのかの方が謎だ』

「あいつは優しくないのか?」

『優しい? 馬鹿を言うな。あれは優しいなどという概念とは対極にあるおぞましい魔剣だ』


 最後にそれだけ言い残すとアマ公は黙り込んでしまった。


「おぞましい魔剣、ね」


 アマ公は嘘を吐く様な奴じゃない。性格は固いが真っ直ぐな奴だ。そんな彼(?)がここまで刺々しく語るのだからきっと奴は恐ろしい剣なのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る