序章3 皇国図書館 一
墓地を後にして、寮に戻るべく街道を歩いていると雪道に世間ではバスと呼ばれている大きな乗り合い車両が横転しているのを見つける。
男衆が五人に他は女子供か、これでは足りないだろうな。
「兄ちゃんも手伝ってくれるのか?」
「いや、俺がやる。おっちゃん達はちょっと離れてな」
運転手風の男が真冬にも関わらず汗を滝の様に流し、息を切らしてこちらを見上げた。大変だっただろうな。今助ける。
「よっこいせっと」
ずしんと音たててバスが立ち直る。その光景をバスを起こそうとしていた男衆が目を丸くして呆けた眼差しを向けつつ、感嘆の声を上げて拍手してくれた。……ちょっと目立つし恥ずかしいから、やめてもらえないだろうか。
「兄ちゃん、神様だったか」
ありがてぇありがてぇと手を合わせて拝み始める一同。それに紛れてアナスタシアが小首傾げて手を合わせる。
「えーと、なんまんだぶ、なんまんだぶ、だっけ? あれ、これであってる?」
アナスタシアさん? それは違うぞ? それは仏にやるものだ。
「仏教の事わからないんじゃなかったのか?」
「ちゃんと知らないものを貴方の御両親に見せられないもの」
当たり前でしょ? と言わんばかりに大真面目に言って、胸を打たれて、少し心が温かくなる。
「神様たち、どっか行くとこありますかい? 行先は流石に変えられねぇけど運賃はさぁびすしやすぜ」
「どこまで行くんで?」
「図書館でさぁ」
図書館。この辺で図書館となると皇国図書館だな。確か上野の方だったか? 寮とは全く違う方向だ。
「図書館って大きいの?」
アナスタシアの問いに運転手の男は喜色に満ちた顔つきで、
「そりゃあもう!! 皇国図書館はこの国一番の大図書館でさぁ!! 古今東西の歴史書、武道書、呪術・道術の記された書、神器や呪物の目録もあるって聞きます。行くなら入館券差し上げましょうか?」
彼は懐から二枚の紙切れを差し出す。あそこの入館料はそこそこしたはず、軽々と人に差しだせる類のものではないと思うのだが。運転手は心底有難がってくれているみたいで、もったいないという感情は一切見取る事ができない。
「……悠雅」
するどい視線の先にはきっと細められた眼光だ。神器と呪物という言葉に反応したか。……
懐中時計に僅か視線を落として、
「……十時か」
急いでいる訳ではないが今日はまた逢魔ヶ刻に降りなればならない日。夕刻前には戻らなければならない。あの大図書館で調べものとなると非番の日に丸一日使ってしまった方が良いのだが、アナスタシアは今にも飛び出して行きかねない様子だ。仕方ない、今日の昼食は諦めるとしよう。
「昼過ぎには戻るぞ?」
「ありがとう!!」
彼女はこれでもかと破顔して俺の手を握った。こんな事でそんなに喜ばなくてもいいだろうに。何とも面はゆい。
運転手から入館券を受け取り、バスに乗り込む。そのまましばし雪道を揺られる。今度は事故を起こさないようにと慎重に走っているようだ。それ自体は良い事なのだが、これなら摩天楼の屋根を跳んで行ってしまった方が早かったかもしれないと思わず思ってしまう。しかし、そんな俺を他所にアナスタシアは物珍し気に車内や車窓を眺めている。それもそうか、彼女はこのような民間の乗り合いバスに乗るような身分ではなかったのだ。珍しいのも無理ない。そういう意味では、乗っても良かったのかな、なんて思う。
そのまま半刻ほどバスに揺られていると、車窓の中に大きな建物が見えてくる。ハイカラな西洋建築の建物。米国由来の摩天楼というよりか英国や仏蘭西の建物の見た目に近い。
「悠雅」
「ああ、あれが皇国図書館だ」
――皇紀二五五七年、明治三〇年に設立された国立図書館。蝦夷から琉球にかけてかき集めた数え切れないほどの本があるこの図書館が有する蔵書量は今や百五十万冊へと達しようかとしていると聞く。
何かを探すのだとしたらここで調べるのが一番早い。八色雷鳴を探していると聞いて、まず真っ先にここを教えるべきだったのだろうが、どうにも俺はあの当時から無意識ながら彼女のそれを手伝いたくなかったみたいだ。
ついでに正直な事を言うと、俺は今もここで何も見つからなければいい、そう思っている。彼女の手助けをするでもなければ彼女を正す訳でもない、酷く宙ぶらりんで中途半端。彼女にも己にも誠実ではなく、みっともない。
受付嬢に入館券を渡し、広大な図書館を練り歩く。その間俺は先行するアナスタシアの後をひたすら追い続けた。
「ねぇ悠雅」
不意に彼女が俺を呼んだ。棚の前で神器の目録を探している時の事だった。
「どうした?」
「貴方は亡くなった自分の家族がどんな人達だったか覚えてる?」
「殆ど覚えていない。だけど、忘れがたい事もある」
温かな母の温もり、父の逞しい腕。母の怯えた顔と嗚咽を押し殺す息遣い。父の真剣な眼差し。
「俺は母を殺した」
「!!」
目を見開いたその顔は驚愕の色に染まっていた。だが俺は続ける。俺の事を知るに当たって話さないわけにはいかない俺の原点。
「俺は祈りを暴走させて母の胎を切り開いて生まれた。鬼の子だ」
「そんな時から祈りを使えたの?」
俺は首肯して、
「俺は生まれながらにして現人神だった」
「先天性の現人神……ごく稀に生まれる事があるって昔、先生に聞いたけど実例を聞くのは初めてだわ。……お母様はそれで?」
彼女の言う所のそれ、というのは恐らくそれで死んでしまったのか問うているのだろう。原因としてはそれが適当であるが母はそこで死んでしまったわけではないから否定も肯定もせず、曖昧に返して続ける。
「その時の傷が原因で体を悪くした母は父の訃報――戦死した事を聞いて、引きずられるように死んでいった」
「それは、私の国のせいでも――」
「それは違う」
それだけは絶対に違う。断言する。
「戦争に善は存在しない。存在するのはひたすらに悪のみだ。どちらかの国が悪に傾く事は絶対に有り得ない。この国もかの国も、等しく悪だ」
きちんとした人と人との戦争に参加したことがないからこんな綺麗ごとを言えるのかもしれない、心の片隅でそう思った。それでも、俺達は忘れてはいけない。たとえどのような状況下に置かれていたとしても人の命を摘み取るという事はどうしようもなく悪性につながる行為であることを。誰かを守る殺人はあっても正義の殺人は存在しないことを。
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