序章2 甘さと優しさ
「どうしたの、そんな変な顔して」
「いや、ちょっと自分の中で色々あっただけだ。それより、あだ名か」
あだ名なんぞどうやって付けたものやら、と僅かに首を捻る。そもそも、俺はあだ名を付けた事がない。その上付けられた事も無い。付けたり付けられたりするような相手がいなかったとも言える。宗一は宗一といった感じだし藤ノ宮は昔名前で呼んでいたが宗一との事もあるので寧ろ距離を取った。そんな調子でやってきたものだから光喜の事を光喜と呼ぶ以外に選択肢がなかった。というか、そもそも、あだ名って奴は――
「えいっ」
ばすっ。真横から凍える一撃が飛来した。視界をずらせば雪玉を両手に構えたアナスタシアさんの姿があった。憎たらしくも花の
今までの俺だったら怒りに任せて雪玉の豪速球をぶん投げていた所だが、彼女の愛らしい姿に目を奪われてしまう。その姿はまるで雪の中を踊る冬の精みたいで、
「可憐だ――ぶはっ」
今度は顔面に直撃した。しかも石入りを豪速球で。
「だからなんでアンタはそうやってすぐに恥ずかしい事を言うの!?」
「危ないぞ」
「もうちょっとこっちの事思いやれバカ!!」
怒らせてしまった。愛していると伝えた側だからなのか差程恥ずかしさを感じないんだがなぁ。
「……簡単には思い付かない?」
「済まない」
「アンタ、普段雑な割に変なとこクソ真面目よね」
「女がクソとか言うな」
「女に幻想見過ぎ。女なんてそんなに綺麗なもんじゃないから」
先の愛らしさを感じる笑みと打って変わって実に勝気というかドヤ顔というか、腰に手を当てて鼻で笑って見せる姿が妙にカチッとハマっていてすこしばかりおかしい。
「——というかだな、」
そう前置いて、
「あだ名ってのは一緒に過ごしていく内にその内付くもんなんじゃねぇか?」
「そうなの?」
「少なくとも俺は最初からあだ名で呼び合うやつを知らないな」
大体いきなりあだ名をつけて呼ぶような奴失礼極まりなくて俺は好かん。
アナスタシアは少し逡巡し、やや落胆したように口を尖らせた。とは言え、大人しく呑んでくれたのか雪玉を放り捨てて身を寄せてきた。
「もっと少し付き合い深めないとダメね」
まだ出会ってひと月も経っていない。そんなもんだ。
「……、」
ひと月? まだそんなもんなのか。改めて考えると短いな。おまけに三日と十日は意識が無かった。それを踏まえるとこいつとの付き合いは二週間あるかないかって事になる。短いな、もっと一緒にいるかと思っていた。それくらい、
「……濃い時間だったな」
ぼやきつつ卒塔婆を取り換えて、改めて線香に火をつける。煙と共に独特な匂いが辺りに立ち込め始める。昔は苦手だったこの臭い、一体いつから平気になったんだったか? そんなことを思い出しながら手を合わせる。
「仏教式も神道式も知らないから、申し訳ないけど十字を切らせてもらいますね」
呟くように口にする彼女は胸の前で十字を切って祈ってくれた。多分、父さんと母さんは複雑な心境かもしれないが、きっとこいつが凄く良いやつだって事を今のでわかってもらえたと思う。彼女となら俺は折れずにやっていける。だから精々笑いながら見守っていてほしい、そう願う。
「帰るか」
「……うん」
祈りを終わらせると、先とは打って変わってアナスタシアはどこか浮かない顔をしていた。
「どうした?」
「悠雅はちゃんと、失った家族と向き合ってるんだなって思って。……それに比べて私は幼稚だなって」
それは、家族の蘇生の話をしているのだろうとすぐに察しがついた。現実的にも、倫理的にも、あってはならないし考えてはいけない禁忌の法。その考えについてだけは俺の立場は否定的だ。あの病室での人時に、俺は彼女の全てを受け入れ、抱きしめると言った手前、
だけど、彼女がその思いを捨てる気はないのだろうな。でなければ、彼女は彼女足り得ない。だから、
「好きにやってみればいいさ。たとえそれが幼稚な考えだとしても、やり通せば得られるものも何かあるだろう」
それが、望んだ物になるかどうかは保証しかねるが。俺がやることは変わらない。この身は剣。この国を守り、アナスタシアを守る剣である。故に、彼女ににじり寄る破滅の悉く切り払って見せよう。
「——ねぇ、悠雅はまた家族に会いたいって思わないの?」
「ない……とは言い切れない」
そういう望みを持っていた事は確かにあったし、その方法を教えられたとして全く興味が湧かないでもない。しかし俺はそう考えた上で「それでも」と述べて、
「俺はそれを望まない」
会いたいと思っているがそれを望まない。言っていて矛盾している事はわかっている。それでも俺は会いたいと思うし望んではいけないと思う。
「……私はやっぱりおかしいのかな」
違う、そうじゃない。お前はおかしいんじゃない。ただ、
「違う、そうじゃない。お前はおかしいんじゃない。ただ、」
弱いだけだ。
「優しいだけだ」
――ああ、馬鹿だな俺は。言うべきを事を言えないなんて。俺は彼女に甘すぎる。これを惚れた弱みと言ったら俺はアナスタシアと一緒にいる資格はない。これは俺が愚かなだけだ。俺は余りにも弱い。甘いと優しいは違うと自覚しろ。
「悠雅は優しいね」
「違う」
これは優しさでもなんでもない。だって、俺は知っているから。本当に優しいとはどういうことなのか、本当の優しさとはどういうものなのか。俺は、あの時の多摩川の川岸でそれを見たんだ。本当の優しさとは強い物なんだ。あの時の爺さんのように曲がった道を正道へと引き戻すくらい強くなければ優しいとは言えない。だから、
「俺は優しくなんてないよ」
「……やっぱり、」
彼女は、言葉にならないものの多くを含んだ顔をして、
「――優しいよ悠雅は」
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