第四章11 ウラジミール・アレンスキー 一

 大通りまで雪掻きをし終わったのと殆ど同じ頃、大きな紙袋を持ったアンナが大佐殿と並んでちょこんと店の軒先に突っ立っているのが見えた。

 たずねれば「買い物が終わった途端放り出された」との事。

 相変わらず気性の荒い婆さんだ。心の中でそう嘆息を吐いているだけで、余計なお世話だよ!! という怒鳴り声が聞こえてきそうだ。


「——とっとと、次の買い物に行くぞ」


 先ほどの様に大佐を背負い、案内してもらう事にする。


「むぅ、お前の体冷たい……」


 雪掻きしてたんだ。許せ。


「そういや、大佐は雪降っても喜ばねぇんだな?」

「……? 喜ぶ? ……あっ、わーい雪だあ~……?」


 思いっ切り首を傾げてくれた後、凄い棒読みで喜んでくださった。というか最後の方やっぱりよくわからなくなってんじゃねぇか。三文芝居でももう少し上手くやるぞ。


「もう少し普通の子供のように喜べたらいいんだがなぁ、どうにも私は除雪の手配だの屋根の雪下ろしの指示だのやる事が増えて面倒だと思ってしまう。何だったら寧ろ降るな、とすら思ってるな」


 スレてやがる……。

 子供なら子供らしく未踏の雪原の中に自分の型を作るくらいしたって誰も怒りはしないだろう。

 しかし、背負ったこの小さな大佐殿はそれを是としないだろうとも同時に思った。



 ――暫く大佐殿の指示の元歩いていると妙な違和感を気取り、思わず立ち止まった。


「悠雅」

「アンナも気付いたか」


 傍らのアンナが強い警戒を見せている。どうやら彼女の探知にも引っかかったらしい。だろうな、連中の動きがやけに早すぎる。それに、殺気も。一般人に気取られてもおかしくない程に濃厚なのを撒き散らしている。どうにも隠すつもりは無いらしい。


 一先ず人気のない方へ向かう。奴がいつ振り切れて暴れ始めるかわからない。恐らく俺たちの中の誰かを狙ったものだ。いち一兵卒の俺よりも大佐かアンナを狙ったものと考えたほうが良いだろう。


 しかし、ああ、間違いない。この殺意自体は、俺に向けられたものだ。……一体、どこでこんなに好かれたんだが。


「――悠雅、この先に廃工場がある。そこでケリをつけろ」

「了解」


 大きく踏み込み雪上を翔ける。皇都の外れに大きなトタン屋根を目視。摩天楼の壁を蹴り一気に工場に転がり込み、待ち受ける。

 大佐殿を降ろし、天之尾羽張を喚ぶ。視界全体に注意を飛ばし更に警戒を強める。


「来る――」


 俺の軍刀を抜き放ちながらアンナは祈りを顕現して、


「――正面よ!!」


 瞬間、莫大な量の水が目の前に落下してきた。奇妙な事に水はうねうねと粘性を持ったみたいに独りでに蠢き、地面を濡らすことなく丸い形を保っている。

 この水は一体なんなのか、考える間もなく異変が生じる。異常なまでの乾燥。雪が降っているにも関わらず唇がひび割れ、喉が乾いていく。既知感あるその現象に俺はとある男の存在を思い出した。


「まさか……」

「そのまさかだよ」


 水塊の影に、槍を携えた隻腕の男が姿を現す。その男の顔に、更に事態が混迷を極めている事を認識する。その男はつい先日、本部に引き渡した旧露西亜の軍人――ウラジミール・アレンスキー。


「先日は世話になったな深凪少尉。私も彼もこのままでは引き下がれないと思ってね」


 ごぽりと水の中に気泡が生じ、水の中に肉塊が姿を現す。

 傷だらけの頭部にひしゃげ、千切れかけたい胸部と右腕のみが水塊の中を漂い、鋭い眼光を向けている。

 その人相にも覚えがあった。アンナ奪還の際にあたって押し潰した露西亜人の青年だ。

 明らかに生きているとは到底思えないにも関わらず生々しい強烈な殺意を向けている。


「そんな姿になってまで俺を殺したいか」

「彼はこの国とこの国の人間を恨んでいるからね。彼自身を害した君にはその恨みも一入ひとしおだろう」

「こんな呪術を吐き出すだけの怪物にしておいて何言ってんだよ」

「彼が望んだ事だったからねぇ」


 望んで人をやめる。そうまでしてまで己の我を通す。大した胆力だ。だが、それでも、俺は負けない。

 天之尾羽張に祈りを込め、構える。


「君の事は少し調べさせて貰った。かの有名な極東の怪物――御陵幸史みささぎゆきひとの弟子。そして第一級指定聖遺物【天之尾羽張】の担い手。決して舐めてはいけない人間だった」

「俺はあの時、あんたに負けた」

「だが結局私は拘束され、殿下の奪還に失敗した。だから今度は念を入れた。今度は都合よく助けは現れない。そして私も、手を抜かない」


 ウラジミールは槍を空に掲げ、祈りを言祝ぐ。


「我こそは遠方より来たる者の末裔。海向こうより丘に矢を番える者」



 色濃い祈りは風を呼び、辺りの像を歪ませる。



「祖は風と大気の王。私は王命に従い風に水と砂を混ぜる」



 光の屈折すらも歪ませる風はやがてウラジミールが手にした槍に収束する。

 槍はその風とその祈りに呼応して姿を変える。



「時果ての向こうに像は無く、悉く空に還る――Ain Sophアインソフ風の傷跡シラーム・ヴィエーチリャ”」



 完成したのは大剣と見紛うほどに巨大な刃を持つ槍。高密度の祈りによって鍛え上げられたまさに神格の為の武装。

 現人神の祈りには二つの到達点がある。その到達点の一つ目は“祈りの具現化”。神が神として振るう武器の創造である。つまり、たった今相対している男は遥か格上の存在。


「第二階梯、国津神……!!」

「極東ではそう呼ぶらしいね。我々欧州圏ではこう呼ぶよ――智天使ケルビムと」


 ウラジミールは槍を構え、そして宣言する。


「改まって名乗る必要も無いだろうが、我が名は【ウラジミール・アレンスキー】旧北法露西亜帝国ほくほうろしあていこく陸軍准将。そして、【ヴィクトル・ゴロヴァトフ】旧北法露西亜帝国陸軍軍曹。殿下の奪還に参上した」


 自身の名と口の利けなくなった部下の名をそう高らかに名乗られれば俺も答えないわけにはいかない。


「深凪悠雅旭東日本皇国きょくとうやまとこうこく陸軍少尉。受けて立つ」

「私もいるわよ……!!」


 俺の隣に立って、アンナは軍刀を握り締める。


「大佐連れて逃げろバカ!!」

「アンタを残して逃げられる訳ないでしょう!? それに相手は智天使なのよ? 逃げられる訳がない」

「同感だな」


 アンナの言い分に同意した大佐が目の前の脅威を見据えて、


「ウラジミール准将。貴方を逃がしたのは杉山大佐かな?」

「答える必要が?」

「いや、問題ない。一応確認を取っただけだ」


 大佐は今にも唾を吐き捨てそうな顔をして、それでいて後に引き下がる。


「貴女は武器を抜かないのかな? 東御大佐」

「私の力はそもそも戦いに向かない。訓練も受けていない。それにこの通り、私は子供だからなぁ」

「なるほど、確かにその通りだ。しかし、舐められたものだよなぁ……隻腕とはいえ、こちらは智天使なんだがね」


 風の傷跡と呼ばれた槍が唸り声を上げて。それに呼応して肉塊ヴィクトルも泡ぶくを激しく吐き出して、さながら返答している様だ。


「そろそろ行こうヴィクトル。……くれぐれも殿下は殺すなよ」

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