第四章12 ウラジミール・アレンスキー 二

 ヴィクトルは無数の鋭利な水の触手を作り、俺を串刺しにせんと弾丸の如く放ってくる。背後には大佐がいる。避ける訳にはいかない。

 しかし、ヴィクトルの事ばかりに気を取られていてはウラジミールの餌食になってしまう。現に水の触手の影に隠れてウラジミールが迫っている。


 クソ……。内心悪態をつく。格上且つ相性の悪い敵。逃亡も許してくれない相手。実に剣呑だ。

 一か八か強引に薙ぎ払うべく天之尾羽張を構える。が、そこに青白い閃光が迸った。視界を焼くほどの光を放つそれは凄まじい熱量と莫大な音の波が鼓膜を打った。


「私もいるって言ったでしょう……!!」


 アンナの雷光が水の触手ごとウラジミールを焼き払ったのだ。もちろんウラジミールはぴんぴんしているが、ありがたい。敵だった時はあんなにも手を焼かされたものだったが味方だと実に頼もしい。


「殿下……戯れは止してください」

「戯れでも何でもない。私はまだここにいる」

「……余り困らせないで下され」

「どの口がほざくのよ!! ……私達は、もう滅びたんだから。放っておいて」

「それを御身が口にする意味。もう一度よくお考え下さい」


 ウラジミールは槍で大きく薙ぐ。次の瞬間、空気の塊が俺達を吹き飛ばした。


「御身らが施政を間違えたのだ。出なければ我らが負ける筈がなかった。国力差は十倍以上もあったというにも関わらず。御身らは責任を負わねばならぬのだ」


 ウラジミールは俺の元に突っ込み、更に追い討ちをかける。切断の祈りを帯びた天之尾羽張で応戦するが、風の傷跡を切断する事は出来ない。

 寧ろ俺の祈りを突き破らんとしている。これが祈りの質の違いか。それに……なんだこれは? 力が吸い取られている? いや、違う。漏れてる? 呪力がどんどん無くなっていく感じがする。虚脱感が酷い。


「このままじゃ、まずい――!!」


 俺は力任せにウラジミールを薙ぎ払い、吹き飛ばし返す。


『神器の格は私の方が遥かに上だ。そのお陰で何とか防げた。しかしそう何度も防ぐのは難しい。いつかあの風の槍でへし折られる。それに祈りが格上の祈りとぶつかり合うと削り落とされる。気を付けろ』


 アマ公のお陰で命拾いしたという訳か。どうしてお前が俺を選んでくれたのかはわからないが感謝する。


「流石は第一級指定聖遺物。大した強度だ」

「そりゃどうも」


 とはいえ、首の皮一枚という状況は変わっていない。それに、ヴィクトルまでいる。

 巨大な水の蛇がこちらを睥睨し、飛びかかってきた。

 しかし、またしても雷光がそれを防いだ。


「どうして戦争なんかしたいのよ……」


 アンナの震える声が聞こえてくる。


「それで新たな戦火を齎して何になるの? よしんば再び開戦したとして傷付くのは誰? 貴方達が守るべき無辜の民なのよ!?」

「我々も国民も傷つかない。この国は

「……まさか、」


 今度は大佐殿の声がした。


「お前達、だから……!?」

?」


 大佐殿は苦虫を噛み潰したように顔をこれでもかとしかめて。


「彼女を狙うのもそれが理由か……」

「それだけではないがね」


 大佐とは対照的にウラジミールは笑みを深める。嫌な笑みだ。

 会話の流れに俺は置き去りにされている。どんなに噛み砕いても抽象的な情報が多過ぎて肝心な内容がさっぱりだった。だが、それでも、わかることがある。


 目の前にいる男達はこの国を滅ぼそうとしているという事だ。それはあってはならないことだ。何としても止めねばならない事だ。

 守れ、救え。俺はこの国の剣とならんとする者。


「シッ――!!」


 短い呼吸と共に踏み込む。天之尾羽張を深く握り込んで一気呵成に斬撃を叩き込む。


「切る事に特化した祈り。古くから刀剣を神聖視してきた侍の末裔。そんな君達だからこそそんな祈りを胸に抱いたのだろうな」

「御託はいい。とっととやって豚箱にぶち込まれて来い」

「口汚いな。品が無い。仮にも神を名乗るのなら相応の態度を持つべきではないかね」

「お前らに語る言葉なんざ端から存在しねぇんだよ。戦士であるなら得物で語れよ」

「言葉で伝わらぬものもあるという事か。そういうジャポニズムは嫌いではないよ」


 ウラジミールは俺の体を再び風で吹き飛ばし、俺の体は鞠か何かみたいに跳ねながら工場の壁に突っ込んだ。更にそこに強烈な水流が叩き込まれる。その圧力のみで肋骨がいくつかへし折れ、肺に刺さったのか血液がせり上がった。


 圧死することは無いだろうが呼吸は出来ないのは超人たる現人神であっても乗り切れるものでは無い。

 無理矢理腕を動かし天之尾羽張を正眼に構える。

 俺は底辺だ。だから、いつだって俺は戦う人間が格上だ。爺さんも、姉ちゃんも、宗一も、藤ノ宮も、光喜も、アンナも、今対峙しているウラジミールとヴィクトルも。俺より強い。それでも俺は負けない。負けないし倒れない。


 天之尾羽張に祈りを込める。込める。込める――!! 今は切れずともいつかは切れると確信する故に。


「お」


 腹の底から空気を吐き出しながら、


「っっぉぉぉおおおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーっっ!!!!」


 俺の祈りは水流を割り、黒い炎が瞬きながらヴィクトルを吹き飛ばす。

 再び出現した謎の黒い炎。どうやら追い詰められると出現するらしいが、追い詰められているという状況に俺は余計な思考を割けない。


『先ずはあの水の化け物をれ』


 あいよ。

 相棒からの進言を受け取り水塊の中心へと突貫する。

 無数の水の触手が鎌首をもたげる。同時にウラジミールが突っ込んできた。横殴りの衝撃に悶えそうになるも歯を食いしばってその衝撃を殺す。しかしながら風の傷跡の圧は凄まじく、己の祈りが削り取られていく感覚が酷く生々しい。


 拙い、このままでは天之尾羽張ごとたたっ斬られる。俺は体勢を崩し、風の傷跡の圧から逃れる。そのまま体を捻るように回転。下方からすくい上げるように斬撃を放つ。


 流石に虚を突かれたらしいウラジミールは防御行動を取るのに一歩出遅れた。これならば片脚一つ、持っていける。

 しかしそうは問屋が卸さなかった。水の触手がウラジミールの胴に巻き付き、一気に引き上げたのだ。アマ公の刃はウラジミールに直撃すること無く空を切ることになる。後ほんの少しだけ早ければ、そう歯噛みする間も俺は再び踏み込む。


 ウラジミールは未だ水の触手の手の内。今なら俺の速力ならばヴィクトルに接近できる。


「ぉぉおおおぉぉぉっっ!!!!」


 天之尾羽張に全霊の祈りを込めて。


「ぶっ切れろおおおぉぉぉっっ!!!!」


 水塊ごとその奥に潜む肉塊を断つ。その尋常ならざる執念に引導を渡す。

 水塊は像を作っていたその力が消え、廃工場内を水浸しにした。ヴィクトルという水の術師が絶命した証であろう。

 やっとの事で一人倒した事を喜んでいる暇は、


「ガッ――!?」


 背後からの衝撃。肩から腰にかけて、風の傷跡の巨大な刃が貫通していた。

 左肺、心臓、その他各種臓器の破損。これは……拙い。本当に拙い。

 遠くの方でアンナ悲鳴が聞こえる。けど、水の中にいるみたいに酷くくぐもっている。


「――ヴィクトル。よくやった」


 耳元でウラジミールの声がした。彼はその後、俺の体を投げ捨ててくれた。クソ、体が、動かねえ。血液が足りねぇ。頭がぼぅっとする。

 俺は、またこの男に負けるのか?


 ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。


 悔恨だけが頭の中で残響している。悔しい。俺の願いはどうしてこれ程までに脆弱なのか。守る剣、救う剣になりたいとこれ程までに切望しているのに。なぜ届かない?


「――少し驚いた」


 ウラジミールはボロ雑巾みたいに地べたを這う俺に向かって。


「君は資格があるのかもしれない。この国にとっては朗報だろう。しかし我々にとっては凶報以外の何ものでもない。だから、」


 風の傷跡の切っ先を俺の頭蓋に充てがう。


「君は少し、念入りに殺しておこう」



 槍が振り上げられる。


 今度こそ、俺は殺される。そう思う。俺は何も叶えられていない。何も返せていない。何も果たせていない。俺の人生はまだ空っぽだ。だというのに、俺はここで零れ落ちるのか。


 嫌だ。


 心の底からそう思う。命が惜しい。嘗て投げ捨てようとした命が今は惜しい。そしてそれ以上に成すべきことを成していない自分に腹が立つ。

 涙が出た。みっともない。ガキでもないのに。視界が、歪むほどに。

 不意に温かな温もりを感じた。誰かが嗚咽しながら覆いかぶさっている。それでいて視界は黒で塗り潰されている。


「やめて」


 女の声だ。弱々しく震えている女の声。可憐な顔の女。すぐ怒り、すぐ笑う、そんな女。

 そんな女がまた泣いている。俺が、また泣かせた。


「――――――、」

「――――――――!!」


 喋っている、という事しか認識出来ない。その会話の内容が頭に入ってこない。ついに言葉すら認識できなくなったらしい。

 やがて彼女は俺から離れ、温もりが失せた。やめろ、行くな。手をつかもうとして、それでもびくびくとしか動かず痙攣しているだけ。情けない。何でこんなにも、俺は――。

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