第四章10 お嬢様とのお買い物再び 三

 相馬さんは「おやおや、これは御丁寧なお嬢さんですね」と実ににこやかに笑って自己紹介を返す。何という余裕だろうか? 見習いたいものだ。

 そんな相馬さんとは打って変わって婆さんは疑り深い目で大佐殿を舐め回すように見ている。


「あぁ? 陸軍大佐ぁ? ……ん? 東御? 東御だと? あんたまさか?」

「そのまさかだ」


 爺さんの、某かを肯定する言葉を受けて婆さんは何か得心した様子で、重く吐息を零して車椅子の背もたれに寄り掛かった。


「……あンのバカ、こんな小さな子供に何を背負わせる気だ?」

「私は彼に引き取られた義理の子です」

「そうだろうね。全く似ていない。奴から何も受け継いじゃいない証拠だ。まだそこのクソガキとアンナの子だと言われた方が信憑性がある」

「なっ!?」


 アンナと同時に呻いた。しかしそれすらも婆さんは許さないとばかりに睨んで俺達二人を黙らせた。


「苦労かけるね。あれは面倒な男だろう?」

「面倒と思える程共に過ごした事はありません」


 婆さんはそれを聞いて、苛立ちを抑えるように眉間を押さえた。そして大佐に向かって手招きするとそっと優しく抱き締めた。


「幸史、達司。あんた達あのバカの連絡先知ってるかい?」

「私はとうに関係が切れている」

「私の方も足跡すらも辿れない状況ですな。露西亜の一件以来行方をくらませっぱなしで当方もお手上げ状態です」


 爺さん、相馬さんが返すと婆さんは唾でも吐き捨てそうな勢いで舌打ちをした後、優しく大佐の頭を撫でた。


「あのバカの事で困ったらあたしか後ろの二人に連絡しな。手を貸してやる」

「ありがとうございます」


 婆さんは大佐が深々と頭を下げるのを見届けると、今度はアンナに視線を合わせた。


「待たせたね。本当に用があったのはあんただろう? そこのボンクラは暇なら路地の雪掻きしといとくれ」


 本当に俺の扱い雑だなこのクソババアは!!


「……まぁいいけどよ」


 実際暇だし。

 入口に立て掛けてある雪掻きの道具を担ぎ店を出る。先程俺達が踏み抜いて来た跡はとうに失せ、真っ白い絨毯が路地全体に横たわっている。

 こういう時、宗一の異能なら指先から火柱を出して一気に溶かしていく事ができるのだがあいにくと俺の異能は切るのが専門。せこせこと必死こいてやらせていただきますよってんだ。とりあえず大の大人が一人まともに通れるようにしておけばいいかと雪を壁際に避けていく。大通りまでの道中数件の家から見知らぬ爺さん婆さんが顔を覗かせて労ってくれたのは有難かった。主に心境的な部分で。


 後半刻も頑張れば大通りまでの道程が開けるとという所で一息つく。

 別に疲れた訳では無い。これでも現人神だから体力には自信がある。ただ単純作業に対する飽きというのはどうにも避けられないのだ。


「――この辺りの住民は比較的に年齢層が高い。こういう形での民の救い方があるという事を忘れるなよ、悠雅」

「ジジイ……いつの間に?」

「ずっと一人では可哀想だと思ってな。茶を持ってきてやった」


 爺さんから真っ白い湯気を立ち上らせている湯呑みを受け取り、チビチビと啜る。

 芯まで冷えていた体に熱い日本茶がじんわりと染み渡る。旨い。


「よもやこんなに早くまた顔を合わせることになるとはな」

「俺だって想像してなかったさ。婆さんの所にはよく行ってるのか?」


 問うと爺さんはどこか寂しそうに笑いながら「まぁな」と返してきた。

 ……俺は爺さんとの約束を果たす為に進んでいる。俺は俺が進みたい方に進んでいると思うし、俺が進んでいる道は爺さんが俺に進んで欲しいと願ってくれている道で、その道の行き着く先に爺さんが待ってくれている道なのだ。なのに、何故だか胸がざわつく。


「――どうした?」

「なんでもない」


 俺が進んでる道は正しい。大丈夫だ、不安になることは無い。爺さんは正しいんだから。


「悠雅、お前は何で佳子のババアの所に来たんだ?」

「俺はあの二人の付き添いだよ。俺自身は皇都に用事はない」


 何だったら世間様が仕事に勤しもうって時間に呑気に買い物していて本当に良いんだろうか? なんていう風に考えている位だ。


「東花と雪乃の買い物にもよく付き合っていたもんなぁ」

「付き合ってた、というか付き合わされていたが正しいな。姉ちゃんが怖すぎる」

「あー、うん。東花は強くなったなぁ」


 爺さんが空を仰ぐ程度には姉ちゃんは強い。うん、強いよ。本当に強いよ。

 一般人なのに現人神と本気でやりあって勝てるくらい強いんだから。冷静に考えて反則技を使ってるだろう。


「お前の周りの女子はおっかないのばっかだな。彼女達も含めて」


 否定出来ないな。筆頭が姉ちゃんなだけで藤ノ宮もおっかない。アンナは微妙だな。あいつはキレる瞬間がわかる。もうほとんど喧嘩友達みたいな感覚だ。

 大佐は……、


「……、」


 彼女は、何だろうな? 彼女は怖いというより――もっとよくわからないものを感じている気がする。


「――なぁ爺さん」

「どうした?」

「爺さんは東御亘とうみわたるを知ってるのか?」

「そんな事を聞いてどうする?」

「興味本位だよ。アンナと初めてあった時、あいつは爺さんの事とその東御亘って奴を探してるって言ってたんだ。だから、それだけ」

「ならばやめておけ。お前自身が、お前自身の為に、本当に知りたくなったら聞きに来なさい」


 興味本位。その程度の意思ならば聞かない方がいいという事か。


「――そういえば、お前はまだ彼女の事を“アンナ”と呼んでいるのだな?」

「そうだな」

「まだ彼女の事を知らないのか? ……いや、お前は自分は馬鹿だが脳無しじゃない。?」

「……、」


 一瞬、思考が止まり、直後想像が急加速した。俺の思考が疑念に対する答えを形作らせようとしている。

 ダメだ。それだけはダメだ。ダメなんだ。

 俺は頭振かぶりふって迷いを捨てた。


「俺は……あいつから聞くまで、誰からも聞かないし、聞こえないんだ」


 俺が答えを知るのはあいつが話してくれた時だけ。それ以外は決して認めない。認めてなるものか。

 俺の意思を聞いた爺さんは薄く笑むと、


「それなら、ちゃんと守ってやらんとな」


 そう言って、婆さんの店に戻っていった。

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