第四章『彼岸の都再び』

第四章1 鍵

 道場という物は筆舌に尽くせぬ神聖さがあると俺は思う。神棚があるから、という訳ではないと思う。それも多分にあるだろう、しかしながら、道場という物は剣士だけではなく数多の武道家達の夢と努力と祈りが宿っているからだと俺は思う。それは道場という建物にではなく道場という概念に宿ったものだと俺は考える。


 静謐さと神聖さに包まれながら振う木刀は気持ちがいい。剣は無心で振うものだ。斬るという行為は命を摘み取る行為でもある。そこに雑念があってはならない。一斬入魂、とでも言えば良いか。斬るということに魂を込める。剣に魂を込める。


「っぁはあぁっ――!!」


 故に俺は剣を振う時、全霊を込める。それが例え稽古であってもだ。


「ふっ――!!」


 弾ける音が響いた。宗一の流れる様な剣は俺の渾身の一振りを受け流して見せた。それだけではない。俺の力利用し、ぐるり、独楽の様に円運動をしたかと思えば即座に反撃してきた。俺はそれを振り下ろした木刀を強引に引き上げる事で弾き返す。


 反動が死ぬ前に真逆の方向へ力を込めるという、およそ人体には不可能な動きをした結果、腕の筋線維の何本かがぶちぶちと千切れる音が体の中で反響する。だがそれを無視して押し切る。


 そのままの態勢で床を蹴り、体を丸めながら回転。浴びせ蹴りを放つ。

 技量と手数は宗一の方が上手だ。しかし、膂力りょりょくと瞬発力は俺が一歩上だ。詰まり、咄嗟の一撃ならば付け入る事ができる。


「ぐっ――⁉」


 くぐもった呼吸が漏れる。宗一の脇腹に俺のかかとが直撃する。本来の狙いは右側頭部だったが、やはりそう甘くはないらしい。体を更に捻り、狙いを逸らした判断力は流石の一言に尽きる。


「まるで曲芸染みてるわね」


 そう零したのはアンナだった。俺と宗一が朝稽古に向かう所にひょこひょこと後を着いてきた彼女は先日購入した薄紅色をした和装でちょこんと正座をしている。


 相変わらず、床に座るのは不慣れらしい。少しばかり額から汗をかいている。多分、冷や汗だろう。無理をせずとも足を崩せばいいだろうに。


「こいつと俺は性質が違うからな」

「同じ先生を師事しているのでしょう? 貴方のおじいさん」

「ジジイの剣術にきちんとした型はない。それぞれにあった戦い方を示してくれるんだ。だから、宗一と俺とでは戦い方が違う」


 とは言え、ここで勘違いしないで欲しいのは戦い方が違うが爺さんの教えはちゃんと共通している事だ。


 剣士が単なる殺戮の為に剣を振ってはならない。常に己の魂を天秤に乗せるよう心掛けよ。爺さんの教えだ。

 爺さんは剣術を教える際、剣術そのものよりも剣士としての心の持ちようと在り方を強く説いた。俺たちが道を踏み外さぬようにと。


「悠雅。だから、何度言わせる? 師匠せんせいをジジイと呼ぶな。無礼者め」

「お前もしつこいな」


 だから、それを矯正するには十年遅いと言っているだろうが。


「貴様はこれからもそういう無礼を働く人間であり続けるつもりか?」

「ジジイは家族だ。そういうものをあの爺様は好かん」

「だからとて公私混同の理由にはならない。そういう弛んだ部分が後先考えず行動する事に繋がるんじゃないか?」

「耳が痛いな。しかし、今日はどうした? やけに絡むじゃないか」

「今日から互いに命を預け合うんだ。本当の意味でな。そんな腑抜けに俺と雪乃の命、預けられると思うか?」


 ……成程。お前の言い分は理解した。確かに俺には改めるべき所があるらしい。

 だが、今更爺さんの事を師匠せんせいと呼ぶのは気恥しい部分がある。爺さんも気味悪がりそうだ。とは言え、こいつが言わんとする事は分かる。


「つまりお前は、俺にしっかりしろと言いたいんだな?」

「……その通りだ」


 遠回しにものを言いやがって。俺としては最初からそう言ってほしい所だ。頭の回らぬ俺に回りくどい事を言えば真意を掴めぬまま忘れかねんというのに。それにしても、お節介なのか、性格が悪いのか。


 面倒な奴だなぁ。


「まぁ、今すぐできるとは言わんが、いずれはそうなれるよう努力するさ」

「最初からそう答えろ馬鹿者」

「だったらわかりやすく言え、一々まどろっこしい」

「貴様がアホ過ぎるのが悪い」


 喧しいわ。


 ともあれ、言葉を交わすのはここまでだ。改めて木刀を構える。


「おら、もう一本行くぞ。お前のその強面叩き割ってやらぁ……!」

「来い。その減らず口、性根ごと矯正してやろう」


 そのまま続けて五本ほど稽古を行うといい加減体中の打ち身や痣が目立ってくる。当然だが宗一も現人神だ。その膂力は常人とは比較にもならない。そんな腕力で、渾身の力を込めて木刀でぶん殴ったら痣もできるというものだ。


「日本人って身を削る様に剣の練習をするのね?」

「——それはあの二人方だけですよ」


 鈴を鳴らしたような声でさらりと毒づきつつ現れたのは藤ノ宮だ。彼女は既に軍服を纏っており、如何にも準備万端といった風体だ。やがて夕暮れを迎えようかという時刻、そろそろ着替えておくべきか、なんて考えているとアンナに呼び止められる。


「あんた、そこに座んなさい。治してあげるから」


 共衿を引っ掴まれ強引に座らせられる。じんわりと温かい光が患部を包んだ。宗一の方を先に回してもらおうとも考えたが、宗一は既に藤ノ宮に捕まって手当を受けさせられている。


 しばらくそのまま大人しく治療を受けていると隣の宗一がじぃっと鋭い視線を送ってきていた。俺に向かって送ってきているとも思ったがその視線はやや後方にずれている様に思えた。つまりそれは、視線は俺ではなく――


「クソめんどくせぇ……」




 傾いた斜陽の下、寮の回廊を歩く。先頭に隊長殿、それに宗一と藤ノ宮、光喜が並ぶ。更にその後ろを大佐殿、アンナと俺が続く。


「——今日から任務に加わる二人だが、先日伝えた通り今回の任務においては見学のみに留めるとする。皆には負担をかけるが、よろしく頼むぞ。特に學には連日の新人教育、頭が上がらん」


「俺の息子はいつだって面を上げているがな!!」

「宗一、焼け」

「承知」


 宗一は燃え盛る右腕を振り上げるが隊長殿はそれをうねうねと体をよじらせながら回避する。なんだあの動きは? 人間の動きじゃねえぞ。今関節が逆に曲がってたし。


 人体の神秘? に今更ながらおののいているとやがて目的の場所に辿り着く。寮の裏手にある大きな祠だ。大きな、と言っても大の大人が十人程度ならば入れるくらいの大きさのもの。劣化の具合から寮よりも遥かに古いものに見える。


 隊長殿が扉のかんぬきを取り外すと音もなくひとりでに開け放たれた。

 風が吹き抜けた。祠の中から突風が吹き付けているのだ。祠の中を覗いてみるとそこには何も無く、ただ地下へと潜る穴があるだけだ。

 隊長達は躊躇すること無く階段を降りていく。それに俺達も後を追った。


 ぽっかりとひらいた洞穴の中に作られた石造りの階段を降りていく。

 穴の底から吹き付ける風が唸る。

 一定に置かれた灯篭に灯された頼りない明かりを頼りにしているものだから、気を抜くと足を踏み外してしまいそうになる。


 仄暗い洞穴の中で乾いた軍靴の音だけが鳴り響いて、どこか寂しい。

 頭上には無数の鳥居。伏見稲荷を準えて作られた参道の様に思える。しかしながら、この先にあるのは神社でもなければ神の国でもない様に思えた。強いて言うなら、地獄じごくでもあるんじゃないか? なんて、そんな事を考えている。やがて、先導していた隊長の足が止まる。


 広間に出たようだ。広間の中心には八つの鳥居が囲いを作るように円を描いている。

 囲い、という表現を使ったという事には囲うべきがあるという事で。

 中心に据えられた白磁の台座。そして、その上で何かが祀られている。呪符がベタベタと貼り付けられ、極太の鎖で雁字搦めにされている様は天之尾羽張と出会ったを思い出させた。


「……鍵?」


 思わず譫言うわごとのように呟いていた。

 薄く噴出する邪気から察せられるのはここに祀られているのは恐らく――呪物だ。

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