第三章11 茶の湯

 薄く金木犀キンモクセイの香りがする。部屋の奥で暖炉にくべられた薪が弾けて火花がふわりと宙を舞った。

 部屋に一つ、小振りなテーブルそれに付属して三脚の椅子が並んでいる。そのうちの一つに腰掛け、優雅に大佐が茶を啜っている。本と書類に囲まれた執務室とは違い、息苦しさは感じられないゆとりある空間だ。


 大佐は入室した俺とアンナに椅子に座るように促し茶を淹れてくれた。

 苦く、渋く、舌が焼けるほどに熱く、そして、旨い。緑茶というものはこうでなくてはならないだろう。……隣のアンナさんは顔が引きつっているが。家に招待した時は結局手を付けなかったからこれが初体験になる訳か。とは言え、そこまで顔を引きつらせるようなものでもないだろうに――なんて言ったら西洋人から珈琲コーヒーくらいサラっと飲んで見せろ、と言われてしまうか。


「緑茶は苦手か」

「……いえ、初めて口にしたもので。もう大丈夫です」

「海外には緑茶はないのか?」

「無いわね。あるのは紅茶よ」

「それは珈琲みたいに苦いのか?」

「苦くないわよ。何? アンタ、コーヒー飲んだ事あるの?」

「前にちょっと、な……」


 あれは想像を絶する苦さだった。しばらく舌がおかしくなっていたくらいだしな。

 珈琲の味を思い返していると顔に出ていたのか、アンナ様が機嫌良さげにニマニマ笑顔を見せている。なんか腹立つ。


「なんだよ?」

「ガキっぽいね」

「お前に言われたかねぇよ」

「何ですって!? 私これくらいすぐに飲み干せるから!!」

「おう、やって見せろよ子供舌」

「言ったわね? 見てなさいよ」


 そんなやり取りをしていると、


「むぅ……」


 途端、大佐殿が顔をしかめた。なんだ? また小言か? 僅かに身構えているとその視線が俺にではなく、おちょぼ口でお茶を飲んでいるアンナに向かっている事に気付いた。その視線にアンナも気付いたのかやや困惑した調子で尋ねる。


「私に何か?」

「何故悠雅には言葉を崩すのに私には敬語なのだ?」

「何故って……」


 さらにアンナは困惑した顔を見せた。それもそうだ。相手は上司であり、アンナにとっては主人でもあるのだ。敬語を使わずしていつ使うというのか。


「私は貴女の所有物ですし」

「その認識を捨てろと言っているのだ」


 言っている事がいかに無茶苦茶なのをこの少女はきちんと理解しているのだろうか? そもそも、この少女はアンナを使とまで言ったのだ。その裏でどんな思惑があるのかは知らないがその言葉は彼女を所有物として扱うと言った様なものだ。


「私は敬語は好かん」


 ……そこを好みで覆してしまうのは権力者の悪いとこな気がする。


「あまり無茶苦茶言ってやるなよ。こいつにだって矜持があろうよ」

「むぅ……」


 不機嫌に唇を尖らせて、彼女は手元の湯呑みに新たに茶を注いだ。


「――それで」


 そろそろ、口火を切って。


「俺らに何の用だ?」


 ここにただ茶を飲ませるために呼んだ訳じゃあるまい。何かしら言いたい事があると見える。


「明日お前達は逢魔ヶ刻に入ってもらう」

「ちょっと待て」


 今聞き捨てならない事をこの女は口にしたぞ!?


「聞いてないぞ?」

「お前には今言ったからな」

「お前には、って事は他の奴らは知ってるのか。あの堅物がよく許したな……」

「あの堅物は堅物故に私の言うことを聞かざるを得ないのだよ」


 こういう時使い物にならんなあの堅物は。


「それに、だ。彼女の力はあの地において非常に有益だ」

「アンナ、お前はそれでいいのか?」

「構わないわよ。あの魔界を私は貴方と二人きりで駆け抜けたんだから」


 そして、アンナは「それに」と付け加えて、


「彼女には逆らえないもの」


 くすりと、茶目っ気たっぷりに。向かいの大佐殿は少し膨れっ面だ。口も尖らせている。

 なるほど、これはあれか、意趣返しか。逆らえない、なんてどの口が言ってるんだか。

 ごほん、と大佐殿が会話の流れを断ち切る。


「とにかく、明日は逢魔ヶ刻に行ってもらう。初任務であるお前達には見学してもらうつもりだ」

「見学だけでいいのか?」

「良い。あの地で発狂することなく生還したお前達に実地訓練なぞ必要あるまい。我らが彼の地で何をしているのか学ぶといい」


 怪物共の掃討と実地調査か。あの魔性の土地で何を調査しているのか。触らぬ神に祟りなし、という言葉に真っ向から喧嘩を売る所業。言葉通りにならなければ良いのだが。


「ああ、そうだ悠雅」

「何だ?」

「明日お前には大事な仕事がある。備えておけよ」

「逢魔ヶ刻でか?」

「そうだ」


 俺に仕事? 俺に出来ることを考えれば荷物持ちか? などと考えていると、


「お茶には茶菓子が付き物だと思うのだがどうだろう?」


 不意に真横から聞こえてきた声に大いに驚きつつ、そちらに視線を向けるとそこには浅黒い肌の美丈夫が自ら持ち込んだのか羊羹をかじっていた。


「學少佐……?」

「隊長で構わないぞ深凪」

「一体いつからそこに……」

「ついさっきだが?」

「馬鹿な」


 扉が開く音どころか、隣で茶を入れて羊羹を食うまで過程すら気取れないとか常軌を逸している。


「俺は忍者だからなぁ」

「は、はぁ……?」

「やめとけ悠雅、そやつの口八丁に乗せられるな。疲れるだけだ」

「んっフゥ……」


 ……………え? 何今の気持ち悪い声。全身に鳥肌が立った。アンナさんもぎょっとした顔をしている。ただ一人、大佐が頭痛に苦しんでいる。


「うむ、やはり大佐の罵倒は興奮するな!!」


 あ、ダメだこれ。ちょっと受け入れられないやつだこれ。


「ぺドフィリア?」

「ぺドはやめろぺドは。流石にシャレにならん」


 何やらアンナと大佐が言っている。言葉の内容はわからんが、とんでもない事を口走っているのは想像に難くない。


「俺は大佐を愛しているのだ」

「いきなり、犯罪者宣言しないでくださいよ」

「愛の告白と言っていただきたい」

「あーそっすか」


 思わずどっちらけたように言ってしまった。いや俺は悪くないな。悪いのはどう考えても目の前のこの変態だ。


「それにしても深凪よ」

「……何ですか?」

「お前の目……大佐によく似ているなぁ」

「…………、」


 ……これは、どう反応したら良いものか。アンナさんがすごい目でこっち見てるぞ? おい、俺をそっち系に区分しようとするんじゃねぇ。


「その切れ長の目。あー、そうだそうだ。特に若干怒気を孕んだその目は特に似ている」


 ずいっと隊長殿は顔を近付け――って近い近い近い!! 近過ぎるわ!?


「お前の顔は、魔羅にきたぞ」

「勘弁して下さいよぉ〜」


 思わず天を仰いだ。何なんだよこの男は。いきなりやって来て犯罪者宣言したかと思えば今度は男色宣言とかホントにもう何なんだよ!?


「そちらのお嬢さんも見目麗しい尊顔をしておられますな」


 お次はアンナに絡み出す変態さんもとい隊長殿。俺の時と同様に鼻先がぶつかりそうな程に顔を近付けて。おかげでアンナは半泣きだ。


「黄金比とも呼べる顔の造形。特に瞳がいい。深い海のような瞳は吸い込まれるようだ」


 徐々に近づいていく隊長の顔に耐えかねたのか、俺の肩を高速で叩いて助けを求めてきている。俺も絡みたくないのだが、


「うら若き乙女に何やってんですか隊長」

「いやすまん。美しいものは囲いたくなる質でな」

「言い訳になってないだろう」


 ずずずと湯呑みを煽った大佐が険のある様子で叱り付ける。これで大人しくなってくれればいいのだが、そうは問屋が卸さない様で。


「んっフゥ……」


 またあの気持ち悪い吐息が飛び出した。


「焼き餅か? 焼き餅何ですか!?」

「違うわバカタレ。何の用だ學少佐? こんな事をしに来ただけでは無いのだろう?」

「ああそうだ、俺は愛の語らいをしに来たのだ」

「帰れ」


 にべもなく一蹴。ちょっと哀れ……でもないな。すごい嬉しそうな顔をしている。

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