第三章10 蕾が咲くのを待って

 この国の冬は冷える。夜は特に寒い。彼女を連れ立って、俺は寮へと踵を返す。辿々しい足取りで付いてくるアンナは吹けば吹き飛んでしまいそうなくらい弱々しい態度を見せていた。思わずお前は誰だ? だと聞いてしまいそうになる。柄じゃないだろう。


 柄じゃないと言えば先の光喜もそうだった。光喜は怒っても声を荒らげる方ではない。怒るとむしろ静かになる。そして静かにすねを蹴っ飛ばしてくるのだ。それに、女好きのあの光喜が女相手にあんなに怒るというのも妙な話だ。


「悠雅は、友達なの? さっきの彼と」


 その質問の意図が、俺にはよくわからなかった。何故ここでそんな質問をしたのか、正直わからない。しかし、虚ろげな瞳にほのかに宿る光は真っ直ぐ俺を射抜いてくる。

 まぁ、良いか。嘘をつく必要性も無い。


「光喜の事を聞いているんならその通りだ」


 少なくとも俺の中では大切な友人として数えても良いだろう。

 俺の返答に満足したのかそうでないのか、彼女は泣き笑った様な曖昧な表情を見せた。


「お前、光喜と知り合いなのか?」

「……いいえ。


 苦く笑って。少し、声が震えていた。悲哀、ではなかったと思う。その笑顔は、そう、悲哀を押し隠そうとしたものではなく、溢れ出る喜色を押さえ込もうとしているように見えた。

 いまいち現状に合致しない彼女の反応に、思わず首を傾げていると、


「――どこに行っていたんだ」


 小さな上官殿が仁王立ちで待ち構えていた。


「なんだ呆けた顔をしているのだ? お前達二人に言っているのだぞ?」

「いえ、そうやって腰に手を当てているのが様になっているな、と見惚れていただけですよ」

「悠雅、貴様ちょっと私の事を馬鹿にしているだろう? そこはかとなく私の事を馬鹿にしているだろう!!」


 上官が相手なのだ、馬鹿にする訳が無いだろう。……子供扱いはしているが。


「全く、私が許した途端に手の平を返しおって――へくちっ」


 随分と愛らしいくしゃみが飛び出したものだ。何も羽織らずに外に出るからそうなるんだ。仕方ないな、と外套を放ってやる。


「うわっぷ!? 何をする!!」

「外套をお貸ししただけですよ。そんなかっこじゃ風邪ひきますよ?」

「むぅ、確かに」


 言われ納得し、頭に被せられた外套をもぞもぞと整えようしている。しかし、如何せん大人の男用の外套だ。手が短く中々整えられずにいる。それを見兼ねたアンナが手を出して、整えていく。


「ん、すまないな」

「このくらい易いものです。それよりも悠雅、アンタもう少し淑女レディに優しくできないの?」


 そんなちびっ子に淑女って、なんて鼻で笑ったら雷撃が飛んできそうなので大人しく飲み込む事にする。その代わりなのか何故かお小言が雨と降ってくる。何でお前がそこまで怒るんだ?


「――ちょっと聞いてるの?」

「へいへい、聞いとりますよ」


 応とも聞いているさ。……若干聞き流しているが。


「お前達は仲がいいなぁ」


 今の光景のどこをどう見たらそんな結論に至るのか理解に苦しむ。ほら、せっかく外套を直してくれてるアンナさんも苦虫を噛み潰したような顔してるじゃないか。


「そんな事より大佐殿、何でそいつがうちの軍服着てるんで?」


 白人が皇国の軍服着てるなんて異常事態もいいとこだ。ここの科は何かおかしい事は既に把握している。それでも、にも関わらず、だ。

 しかし、大佐殿は何でもなさそうに涼し気な顔でこう口にした。


「私の世話人を誰にしようと私の自由だ」

「……正気か」

「昨晩貴様がしでかした事に比べれば可愛いものだろうよ」


 からりと述べる大佐殿は軽やかな歩調で俺の前に躍り出て、「そもそも」と、そう前置いて、


「これほどの逸材を大人しく故国に帰してたまるものか。こやつの力はそれほどまでに希少に過ぎる。それに、力だけではない。彼女の身分を考えれば彼女を国に帰すという判断は無能としか言えん」

「なんだと?」


 この国に彼女が穏やかに過ごせる場所はない。ならば故郷に返すのが道理だろう。彼女は俺の命の恩人だ。彼女の存命は絶対だ。

 しかし、大佐は俺の反応に少しばかり眉を潜めた。


「……お前、まだ何も聞いていないのか?」

「何の話だ?」


 大佐殿は何か頭の痛いものを見るような目で盛大に嘆息吐いた。その大袈裟な反応に、やや苛立つ。


「貴様はそんなことをろくに確認もせずに彼女を守っていたのか。貴様はあれか? 底知れぬ阿呆なのか? それとも単にそういう趣味だったのか? 私としては後者であって欲しいと思うが……まぁ、前者であろうな。お前なら」

「一人で何もかも分かった風に話を進めるな」

「……私が教えてやってもいいのだが」


 ちらり、アンナの顔色を窺う大佐殿。対して当人はわずかに青ざめたような顔をしている。


「……本人が言うべきだな、これは」


 白い吐息を零し、大佐殿はずかずかと先に行ってしまう。

 アンナが何かを隠している事くらい察している。それが彼女にとってどれ程重要な事かも。


「別にいいよ、そういう事なら」

「そういう訳にもいくまいよ」

「いいんだよ。アンナが話したくなったら、その時教えてくれりゃいい」


 今までもそうやってなんやかんややってきたんだ。それを考えれば、今更というものだ。そもそも、こいつが何者であれこいつを守り通すのは俺の責務だし、そこが曲がることはあり得ない。


「貴様は阿呆だな」

「今頃の話だな」


 そんな事を今更指摘されるまでもないってんだ。思わず口を尖らせる。後から気づいて、そのガキっぽい行為に頭を抱えそうになる。


「ふん」


 大佐は鼻を鳴らし、ずんずんと先に行ってしまった。気分でも害したか。その割にはあの表情は平坦な気がしたが。


「――気にならないの?」


 か細い声が鼓膜を揺らした。またその顔か。


「気にならんと言えば嘘になるだろうが、そんな事は些事なんだよ。重要なのはお前が何者であるかじゃなくて、お前が俺の恩人であるかどうかなんだからよ」

「……アンタは――貴方は狡いね」

「バカ言うなよ。狡いってのは頭が良い奴しかできねぇ事だ」


 狡い。ずるい、こすいとも読める言葉。その言葉が意味するのはひとえに悪賢いというもの。バカで単純な俺とは対極にあるだろうさ。


「私は、アンタに義理を立てられていない。私は、アンタに……」

「だから、さっき言ったろ? 言いたくなったら言えばいい。それとも今いう気になったのか?」

「…………、」


 こっちとしては、あまりそういう顔をして欲しくないんだがな。させたいとも、見たいとも思わない。


「そら、とっとと行くぞ。大佐殿が待っていらっしゃるぞ」



「おーい!! 早く来ぬか!!」



 腰に手を当て、やや頬を膨らませるその様は歳相応に見える。


「ほれ、怒られる前に行くとしよう」


 アンナは首肯だけに反応を留めて、俺を追い抜かして行ってしまった。……なんというか、人の事を言えた義理ではないのだが、あいつはあいつで面倒くさい人間だな。

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