第三章9 再会
いつの間にか朱色の夕陽が俺の影を傾けていた。僅かな荷物しかないと思っていたが意外と整理には時間がかかってしまって少々疲れてしまっている。長い事使われていなかったのだろう、随分と埃の被った部屋だった物だからかなり掃除に時間を取られてしまったのもあるだろうが。
布団を取り込むか、何て考えていると控え目に戸を叩く音が聞こえる。入室を受諾すればそこには烏の濡れ羽色のような輝きが鈴を鳴らしたみたいな声で俺の名を呼ぶ、
「深凪様」
と。
「藤ノ宮か。何か用か?」
彼女は昼間纏っていた軍服から普段着に着替えていた。寮内では必ず軍服を着用しなければならないという訳では無いようだ。
「格納術式の施術に参りました。今からでも大丈夫でしょうか?」
「格納? ああ、神器のか。いいぞ、ちょうど部屋の掃除も終わった所だ」
部屋に招くと藤ノ宮は僅かに視線をあちらこちらに飛ばす。言いたい事はわかってる。
「相変わらず殺風景な部屋ですね、あなたの部屋は」
だからわかってるって。
視線で反論していると彼女は穏やかに薄く笑んだ。
「ゲーテ、シェイクスピアなどは如何でしょう?」
「何語だよ?」
この返答に藤ノ宮は大袈裟なくらい頭を抱えて見せた。ちょっと酷い反応ではないだろうか?
そんな俺の内情を余所に藤ノ宮が件の二つの単語を海外の著名な作家である事を教えてくれた――くれたのだが、
「洋書を俺が読めるとでも? 教養がないことについては他の追随を許さないぞ俺は」
自慢ではないが
「自慢気語らないで下さい」
今度は呆れ返った様に溜め息を吐かれてしまった。基本的に野蛮人なんだすまんな。
「――少し周りに目を向けてみても良いのでは? 御身は一点しか見据えられないのですから」
「御身ってアホかお前は」
「いえ、認識は違えていませんよ。私達は祈願する側であり、あなた方は願われる側なのですから」
無色透明な表情で言って退ける。そういえばアマ公も確か同じような事を言っていたか? 俺としては現人神であろうとあくまでも自分は人として認識しているものだから僅かばかりむず痒い。
雑談をそこそこに藤ノ宮は流れるような所作で手を握った。
「それでは、失礼しますね」
袖を捲り上げ、藤ノ宮が筆をさらさら左腕に走らせる。毛先がこそばゆく少し笑いそうになる。
筆には少しも染料が染み込んでいないというのに自分の腕にしっかりと術式が残る様を見ているとちょっと不思議だ。ぽぉっと淡い青の光が腕の表面を走って、紋様を描いていく。
「お身体の加減はどうですか?」
「
「然様ですか。それは良かった」
こいつは俺の戦い方について酷く否定的だった。今でこそ多少の小言を貰うことはあれど以前ほど苛烈に物を言ってくることは無くなった。
以前は俺の無茶な戦い方を酷く嘆いていた。自分を大切にしろだとか、そこまでして貫くものがあるのかと。
俺はこいつの言うことを聞かなかった。藤ノ宮は呆れることはなかったがいつも憤慨していたか。
ああ、だけど、いつだったか、俺はこいつを泣かせた事があったっけ。十三になって士官学校に入れられた頃に行った現人神同士による実技訓練で大怪我した時だ。
逢魔ヶ刻で負った怪我程ではなかったが脳挫傷と右腕損壊、両肺が全損。普通なら死んでいると引っぱたかれたんだった。
余り感情的にならない藤ノ宮が見せた初めての激情。あの時ばかりは姉ちゃんや兄弟子達、宗一すらも言葉を失っていたのは今でも覚えている。
それからは藤ノ宮は俺の怪我について口を挟まなくなった。それどころか実技訓練の時は一番容赦が無くなったし、俺の再生力を上回る怪我を負った時は真っ先に駆けつけてくれるようになった。
宗一が言うには意趣返しであり、同時に思いやっているだけとの事。
顔には出さないが俺達の中ではこいつが一番お人好しなのかもな、なんて心中吐露してる間に施術が終わったのか俺の腕にはしっかりと術式が書き込まれていた。
「ありがとう。後でまた天之尾羽張にやって貰う手間が省けた」
「意思を持つ神器は呪術すら使いこなすのですか? 私の立つ瀬が無いですね」
「そんなことは無い。本人は簡単なものしか使えないと言ってたし、そもそもあいつは剣だ。剣の本分は切ることだからお前の仕事が無くなる訳がない」
他意はないのだが魔法使いの杖の様に扱ったら怒っていた。本分である切り裂くという行為に誇りを抱いているのだろうか。壁に立てかけた分厚い刃は剣呑な輝きを宿すだけで言葉を発することは無い。今は寝ているのだろうか? ……神器って寝るのか? こうして心中ぼやいているといつも勝手に反応してくるのだが天之尾羽張は沈黙を守っている。
もしも本当に寝ているのなら、まるで生き物みたいじゃないか。
藤ノ宮が出て行った後、俺は辺りの散策に繰り出していた。散策といっても奥多摩湖畔をぐるり一周するだけで何方かと言えば散歩に近いか。
急速に近代化が進む帝都の傍にあって未だ明治以前の姿を保つ大自然が悠然と広がっている。湖の波打つ音が酷く心地よく、心の膿が洗い出される様な気分だ。
交通の便は悪いが皇都からそう遠くない立地、そしてこの自然。最初はこんな場所に、とも思ったが中々いい場所だ。
カラスが帰ろうと囀っている空を仰ぎ、山陰に沈む夕陽に目を細める。そうしているとどこからか、誰かが声を荒らげるのが聞こえてきた。
何を言っているのかは、よくわからない。どうにも日本語では無さそうだ。英語だろうか? 地方の方言という可能性もあろうが、恐らく外つ国の言葉だろうと思う。こんな所で、それも軍の施設の近くで外つ国の言葉が飛び交っているというのはそれなりに気になってくる。俺は息を潜め、その声の方へと足を向ける。
「―――っ!」
銀色の影がこちらに向かって走ってきた。思わず身構えたが影は俺の脇を駆け抜け、走り去ってしまう。
「光喜?」
あの銀色の髪と俯いていたが、良くも悪くも目立つ面は光喜のものだと記憶している。
どうしたんだろうか? その妙な様子に俺は置き去りにされたもう一つの気配に近づく。
木陰の元で薄暗くなった道の真ん中で、風に煽られて金糸の髪が踊るのが見えた。
「あ、んな?」
「悠雅……!?」
あの時連れられて行ってしまったアンナの姿があった。それも、皇国軍の軍服を着て。
「無事だったのか」
「え、えぇ……」
どこか気まずそうにしているアンナは落ち着かない様子で指を絡めている。何でこの国の軍服を来ているのか?とか、光喜と何を言い合っていたのか? とか、色々聞きたい事があるが。
「とりあえず、もうすぐ日が沈む。帰る場所は彩花寮で良いんだよな?」
確認を取れば彼女は首肯した。
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