第三章8 吾妻橋権三郎

「そうですが……?」


 妙な反応に思わず狼狽えながら返答すると、翁は苦虫を噛み潰したように渋面を作った。

 この反応は一体何なのだろうか?


「御陵のジジイはまだ生きてんのか?」

「元気ですけど……爺さんの事を知ってるんですか?」

「……ただの腐れ縁だ」


 ずいぶん意外な場所に爺さんの知り合いがいたものだ。って、爺さんは陸軍大将だったんだ、居ても不思議じゃないか。


「師匠、師匠、自己紹介忘れてますよ」

「あぁ? あぁ、俺ぁ【吾妻橋権三郎あづまばしごんざぶろう】だ。ここの工房長をやっとる」


 翁は「つっても見ての通り穴熊決め込んでる爺だがな」なんて言って、げらげらと豪快に笑ってみせた。「ご飯の時間になっても全然出てきてくれないんですよ? 困った人ですよね」なんて瑞乃の軽口に翁は口を尖らせた。


 そんな師弟のやり取りを見ていると視界の片隅に二つに折れた赤銅の剣を見つける。見たところ天之尾羽張と似たような材質に見えるが、


「――そいつに触んじゃねえ」


 翁から、ある種鋭さを帯びた声がかかる。


「こいつは……?」

「そいつは認めた人間以外を呪殺する呪物に近しい代物だ。気軽に触れていい物じゃねえんだよ」


 それはそのもの呪物だろうと言えるが、その妙な言い方に違和感を覚える。呪物に近しい性質を持っているがそれは呪物ではない、という言い方に聞こえたのだ。それは詰まり、今目の前で立てかけられている物は神器という事になる。


「なんでそんなものがここに?」

「修復を頼まれたんだよ」

「直せる物なのか?」

「そもそもそれが生業だ」


 凄い。その一言しか出なかった。壊れた神器なんてものも初めて見たがそれを直せる人間がいるとは。

 アマ公を握るようになってわかったが神器という代物はとんでもない兵器だ。どうやって作られているのか、それすらもわからない。それを打ち直せる技術があるという事はこの小さな翁は間違いなく国宝級の人材だと言うことになる。


 これ程の人材を囲っているとは……何者なんだあの大佐殿は? そう疑問している間に翁はこちらに背を向けて作業を再開し始めていた。


「お邪魔みたいですし戻りましょうか」


 藤ノ宮の言葉を合図に俺達は地下工房を後にする。その道すがら、


「そういえば小耳に挟んだのですが」


 瑞乃がそう前置きして、


「深凪さんは神器持ちだっていうのは本当ですか?」

「ん、おう」


 特に否定する必要もないので肯定すると彼女は途端、らんらんと目を輝かせた。


「見せてください!!」


 ここで何をだ? なんて抜けた問いをするほど馬鹿ではない。


「今持ってないんだ。部屋に置いてきてる」

「後で見に行かせてもらってもいいですか?」

「構わない」


 瑞乃は顔を輝かせて、拳を握りこんではしゃいでみせた。しかし、天之尾羽張は機械には縁もゆかりもない鉄の塊なのだが……単なる興味なのだろうか? それとも翁の教えを受けているからか?


 それから、瑞乃に一時の別れを告げ、俺たちは瑞乃の工房を後にする。瑞乃は工房アトリエと言って憚らなかったが。


「――これで一通り案内は終わった。先輩達への挨拶も終わった。部屋に戻るとしよう」


 工房を出てからの一言だった。


「もう終わりなのか?」

「何か気になる事でもあるのか?」

「いや、施設については特に言うことは無いんだが……」


 ぼやきつつ、俺はこれまでに挨拶してきた面々の顔を思い返す。


「人数……少なくないか?」

「少ないな。元々この特戦科自体が小さな科だし、それが全国各地に散らばっている。一つ一つ、小規模な部隊を作る事しかできないんだそうだ」

「国難だろう? 上は何を考えている?」

「単純に人手不足なんだよ。この国の敵は逢魔ヶ刻だけではない」


 遠く、海洋隔てた大陸を侍る外つ国。敵が多過ぎるってのは考えものだな。

 戦争の傷は癒えつつあるが、その中身は今もズタボロのままだ。切羽詰まった国内事情を切り抜けるにはどこかで誰かが無理をしなければならないということか。


 部屋に戻った俺はぼぉっと、窓から差し込む光を仰いで、一つ吐息を零しつつ茶を啜った。部屋に戻ってすぐ、給仕の女が持ってきてくれたものだ。給仕をされるような人間ではないからそういった店でもないというのにこういう扱いをされると少し戸惑ってしまう。


「――深凪さん、良いですか? 瑞乃です」


 こんこんと戸を叩く音と共に鈴を鳴らした様な声が聞こえてくる。声だけ聞くと藤ノ宮と似ているな、なんて思いながら戸を開けてやると先程と同じ煤けたツナギの女がいた。しかし、顔はきちんと洗ってきたらしい、藤ノ宮とはまた少しおもむきが違うもののとても整った愛らしい顔をしている。


 そんな恰好をしていなければ街を往く男がほっとかないだろうに。


「……その格好でここまで来たのか」

「はい」


 頷く瑞乃は歯を見せて笑う。実に人好きな笑顔。ほんの少しだけドキリとさせられた。それと同時に本当にツナギが似合わない女だとも思った。

 姉ちゃんも藤ノ宮も見た目には気を使う人間だからこんな小汚い格好のまま出歩く女は初めてだ。しかし、そんな事を考える俺を余所に、


「早速良いですか?」


 顔を輝かせて。


「ああ」

「ありがとうございます!!」


 瑞乃は颯爽と入室すると、一目散に立て掛けた天之尾羽張の元へと駆け付けた。


「ああ、気を付けて触れよ? そいつすげぇ重いからな?」

「あ、ほんとだ。重すぎて持てません」

『おい、なんだこの女は?』


 何やら険のある様子のアマ公です。ベタベタされるのがお気に召さないのだろう。若い女に触られるのだ、寧ろ役得とでも思っていただきたい所だ。


『おい悠雅、どういう事だ?』

「まぁ怒るなよ」

『貴様は見知らぬ誰かに己が肉体を許すのか? それを是とするのか?』

「悪かったよ。すまない」

『……後で私を手入れしろ。それで許してやる』

「了解」


 やっぱり手入れされると嬉しいのかね? 気持ちいいとか?


「ひょっとして……この剣と話しているのですか?」

「ん? ああ」


 そういえば俺が握ってないと周りに聞こえるように喋れないんだったか? 俺には常にこの剣の声が聞こえるからついつい抜けてしまう。

 アマ公の柄を握り締め、声を聞かせてやることにする。


『初めましてお嬢さん』

「……本当に、喋った」

『応とも。私は最高位の神器だ、喋りもする』

「でも、」


 瑞乃は僅かに言い淀み、


「宗一さんの神器は喋らなかったみたいですけど……」

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