第三章7 藤ノ宮瑞乃

 吹き荒れる蒸気。鼻を指す機械油の臭い。飛び交う金属がガチャつく音。薄暗い部屋の中心に煌々と照らし出される作業台と一人の少女。

 身長は藤ノ宮よりも少しばかり高めか。薄緑色をしたツナギは機械油で黒く染まり、くすんだ色をしている。


「――瑞乃みずの


 蒸気が吹き出す音で容易く掻き消されそうな声音にも関わらず、彼女は藤ノ宮の声を聞いて頭を上げた。

 顔中真っ黒の煤だらけ。防塵眼鏡をいざ外せば眼鏡が覆われていた部分だけがくっきりと白く残り、少しばかりおかしく、笑いだしそうになるのを耐える。


「雪乃姉さんに宗一さんじゃないですか。こんな薄汚い工房アトリエまで御足労させて申し訳ありません――っと、そちらの方は?」

「今日からこちらで世話になることになった深凪悠雅です」


 軽く自己紹介をすると瑞乃と呼ばれた少女は僅かに目を丸くして、


「以前からお噂はかねがね。私はこの神祇特別戦技科で開発と整備を担当している【藤ノ宮瑞乃ふじのみやみずの】と言います」


 一体どんな噂なのやら。大体予想は着いて「ろくでなしか」とややごちる。作業用の手袋を脱ぎ捨てて握手を求めてくる彼女の手を握り返しつつ、


「藤ノ宮?」

「はい。私も藤ノ宮一族の人間なんですよ!」


 彼女は人懐っこい顔で笑って、「分家ですけどね〜」何て言ってみせた。

 家族では無く近親者か。通りで似てない訳だ。藤ノ宮雪乃はこんな風に柔らかく笑わない。


「瑞乃は私の従妹に当たります。歳は十七。私達よりも一つ下です」


 思ったよりもかなり近しい間柄じゃないか。分家とは言えかなり本家寄りの家系ということか。


「藤ノ宮のお嬢様が何で機械弄りなんて……?」


 藤ノ宮一族と言えば土御門一族と共に帝都を守護する術者の家系だ。帝都の守護とは即ち皇室の守護者でもあるということ。そんな家系の人間が分家とは言え開発やら整備なんかするものだろうか?


 別にその仕事が必要無いとかそういう意味ではないが少なくとも藤ノ宮のお嬢様がやる様な仕事には思えなかった。

 そんな俺の疑問に瑞乃があっけらかんと答えてくれた。


「趣味が高じて、って所ですかね。私、実は藤ノ宮の癖に呪術が得意じゃなくて」


 曰く、知識等は勿論あり、現人神の様に全く使えない訳でもないとのこと。ただ問題なのは応用力と実戦で行う度胸がないことを彼女の呪術師への道を鎖したのだという。「私、ビビりなんですよ」とそう零してタハハと彼女は笑った。これは地雷を踏んでしまったらしい。


「いらん事を聞いてしまったようで申し訳ないです」

「あーいえいえ、私が勝手に自爆しただけなのでお構い無く。それと私に敬語は不要ですよ。年下ですし」


 それから彼女はややあってから「それにですね」と前置きして、


「私この仕事向いてると思うんですよね」


 藤ノ宮の令嬢である事で呪術や魔的技術に詳しく、内密にされている逢魔ヶ刻や魑魅魍魎達にも精通している。その上で使用する備品の整備ができる。成程、これは適任だ。


「瑞乃、翁は?」

「師匠なら下にいますよ。呼んできますか?」

「いや、こちらから出向こう」

「わかりました。それではこちらです」


 案内を買って出た瑞乃の背中を追う。無数にある蒸気機関の間をすり抜けると地下へと続く階段がポッカリと口を開いていた。「こちらです」と促されるまま薄暗い階段を降りる。申し訳程度にガス灯が等間隔に並んでいるが足元が見えるか見えないかという程なので踏み外してしまいそうだ。


 こつこつと革靴と軍靴が交互に鳴いて、やがて地下に辿り着く。地下も上の工房と同じように巨大な蒸気機関が唸りを上げ、蒸気を吹き出している。


 どこぞに換気扇があるのだろうが、常軌を逸した湿度と気温でとても作業出来る環境ではないのがわかった。


「一階では主に備品の整備を行っていますが、地下では発明をしてるんですよ」


 何やら得意気に語る瑞乃だがその額には既に大粒の汗が浮かんでおり、ツナギの上部を脱ぎ捨てて胸部をサラシで隠しているのみという非常に際どい姿になっている。普段ならば多少劣情を催すだろうが余りの暑さにそんな余裕は無かった。


 しかしながら隣で歩いているのが年頃の男だということを多少は考慮しろよと言いたくなった。まぁ、そんな事言ってられないんだろうな。超人たる現人神ですら暑さでイライラするのだ、一般人の彼女からしたら一言、地獄と言い換えられる環境の筈だ。


「はしたないですよ瑞乃」

「ここで涼しい顔してられる雪乃姉さんがおかしいんですよ」


 確かに、と俺は心中同意する。藤ノ宮は全く汗をかいている様子は無く、暑がってすらいないようだ。その隣を歩く宗一も同様でえらく平然とした面をしている。流石は発炎系の現人神といった所だが、藤ノ宮の方はどういう事だろうか? 呪術で熱気でも遮断しているのか? つくづく便利なもんだ。


「こんなとこで作業してる翁とやらは一体どんな超人だよ……」


 堪らず呻くようにぼやく。

 蒸気機関を隙間を縫うように歩いていくと漸く拓けた場所に出た。そこにはいくつかの作業台と掘削機械、旋盤、呪符、刀匠の鍛冶場のような設備が一通り並んでいる。


 その片隅でツナギを着込んだ小さな背中を見つける。金槌を一心不乱に眼下の橙に輝く鉄塊に叩き付けている。

 一定間隔で叩き付ける音が、地下工房に反響する。金槌を握り締める男の眼光は鋭い。剣呑と思える程に。


「ししょー、新人さんですー」


 瑞乃が叫ぶ様に声を掛けるが返事は無い。騒音だらけなのだ、聞こえていないのかもしれない。瑞乃は男の傍らに寄り、その耳元で、


「ししょー!!」

「うるせぇ馬鹿野郎!!」


 凄まじい怒声がつんざいた。


「テメエその金切り声で俺の鼓膜を破る気か!?」

「一向に師匠が気づいてくれないんですもん」

「耳が遠いんだよ!! ジジイの聴力舐めんな!!」


 怒声のように聞こえるがそこに怒気は無く、単純に声がでかいのだろう。恐らく耳が遠くなっている為、声量の調整ができなくなっているのだろう。うちの爺さんは耳が良いから、そんな事は無かったが、近所の爺様達は声が大きかった。


「――んで、そいつが例のボンクラか?」


 酷い言い草だった。否定はできないが。


「深凪悠雅少尉です。よろしくお願いします」


 敬礼と共に名乗ると翁は目を見開いて、俺の顔を見て、


「わた!? …………いや、違う。そうか、深凪か」


 呻くように。

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