第三章12 引き渡し


「やれやれ、せっかく心地良いティータイムだったというのにお前のせいで台無しだ」

「俺は堪らなく心地良いひとときなのだが!!」


 きらっきらに輝く笑顔が眩しい。本当にへこたれないな。


「用がないなら出ていけ。通報するぞ」

「それはそれで魅力的な提案なんだが、用はあるからそれはまたの機会という事で頼む」


 結局あるのかよ、という一同の心の声が聞こえた気がした。


「何があった?」

「杉山大佐からの使いが来た。例の露西亜人を引き渡せと言ってきている。後、彼の神器もだ」

「何?」

「深凪東花の借りはそれでチャラにしてやると」

「ぐむ」


 やや引きつった呻き声をあげて、鋭い視線の交錯の後、大佐は僅かに嘆息をついた。


「わかった。良いだろう。あの男を連れていけ」

「了解した」


 神器。露西亜人。あの時の槍の男か。てっきり他の部署にもう引き渡しているかと思っていたが。

 俺を負かしたあの野郎。辛酸を舐めさせられっぱなしというのはどうにも癪に障るが、そうも言ってられないか。

 隊長は最後に残していた羊羹をひと口で納めて、


「深凪よ、引き渡しを手伝ってくれ」

「そういう事ならこき使って下さい」

「ほう、ならば今夜お前の尻の穴を開発してもいいか? 俺の肉棒でな!!」

「テメェの粗末なのぶった斬んぞ」

「んッ……」


 何で悦んでるんですかね? 頬を染めるんじゃねえ気色悪い。


「が、頑張ってね……悠雅」


 何を頑張れってんですかアンナさんや?


「もしそうなっても私は悠雅の事応援するから、ね?」


 もしそうなっても、って俺は何をされる予定何だお前の中で!?




 ――とりあえず、仕事である。無事俺の中で少佐から性犯罪者に成り下がった隊長殿の後を追う。

 大佐の私室を後に回廊を歩く、やがて玄関口エントランスが見えて来たが隊長はあらぬ方向へと向かっていく。やがて見えてきたのは先の見えない黒くポッカリと開いた穴。


 ぱちりとの音と共にガス灯に明かりが灯る。どうやら地下へと続く階段らしい。


「連中は何をしにこの国に来たと思う?」

「連中というのは例の露西亜軍人の事です?」

「そうだ」


 その質問に思い返されるのは篠ノ之 歌穂しのののうたほが口走っていた事。そして、あの遺留品に書いてあった言葉。

 ロマノフ皇家復活せり、日露戦争は終わっていない。

 戦火を示唆する文言だ。


「戦争ですか?」

「それもそうだが彼らはただ単にこの国に戦争を仕掛けに来た訳じゃない」

「というと?」

「彼らは明確に何らかの目的を持ってここに来ている」

「戦争とは別に?」

「然り」


 連中にとっては戦争はついで、という事か? ならばその目的は……? まさか、


「アンナ?」


 確かにあいつの能力は希少だ。そして、強力。一人いれば戦局をひっくり返せる類の力ではないが、後方に控えているだけで負傷させた兵士や現人神を治癒して新たに送り出せるというのは非常に強力だ。

 しかし、隊長は薄く笑って首を横に振った。


「確かに彼女も彼らの目的の一つだろうが、それもあくまでついでだ」

「え、じゃあ何のために……?」

「さぁ?」

「へ?」


 なんだここまできてその解答は? 馬鹿にされているのだろうか?


「なんだ? 怒っているのか?」

「まぁ、一言で言えば不愉快ですね」

「はっきりものを言うんだな。ゾクゾックするなぁ!!!!!!」


 なんでこんなのが少佐で隊長なんだろうか? いくらミスカトニック大の首席だからって人格破綻者をそれなりの階級に据えるとか理解に苦しむ。

 ……そもそも、あんな小さな幼女を大佐に据えている時点でお察しだった。


「まぁ、お前が不快に感じるのは当たり前か。だが、連中の行動はどうにも腑に落ちない。一番謎なのは軍人殺しだ」


 思わず息を呑んだ。軍人殺しが本当に行われていた事にも、それをこの男が知っていることも。


「そうなんで?」

「ああ。というか驚かないんだな? 一応機密事項なんだがなぁ」


 ぼやく彼に対して「情報通の知り合いがいるもんで」などと誤魔化しておく。


「まぁいい。いつか知らされる事だっただろうしな」

「何故直ぐにでも軍全体に注意を促さないんでしょうか?」

「何が目的なのかを図りかねているからだろう」

「恨みからの犯行では?」

「それも多分にあろうが本命はそこではないというのが俺の見解だ。軍部お抱えの呪術師達も報復に待ったをかけている」


 自国の人間が殺されているというのに悠長な事を。しかし、呪術師達がそれを止めているというのは妙な話だ。何らかの術の兆しが見えるのだろうか。


「――というか、そんな事を俺に話していいんですか?」

「お前が連中と一戦交えた時に聞いてるかもしれないと思ってな」

「奴らもそこまで馬鹿じゃない」

「だろうな。あの少女にも聞いたが彼等が戦争をしに来たという事しか知らなかった。渦中のあの男は一向に喋ろうともしない」


 あの男というのはあの槍の神器を持っていた初老の男か。


「さぁ、着いたぞ」


 ガス灯の光が淡く照らし出すのは鉄製の重くしい扉だ。

 その扉を開くと無数の呪符と鎖によって動きを封じられた初老の男が椅子に縛り付けられていた。自殺防止用なのか鋼鉄の猿轡さるぐつわまで嵌められている。【ウラジミール・アレンスキー】露西亜帝国准将。神器モルニアストレルカの所有者。そして、アンナを攫おうとした男。


「ここ、独房もあるんですね」

「軍の施設だ。普通はあるものだ」


 それもそうか。何処で荒事が起きるかわからないもんだしな。


「このまま連れていくが、この男と何か一言喋りたいことはあるか?」

「いえ」

「そうか、それでは連れて行くぞ」


 じゃらりと鎖の拘束が外されてけたたましく床に落ちた。そして、ここでようやく気付く。男の右腕が消えている事に。


「こいつ、右腕はどうしたんですか」

「お前の救出戦の時に小此木が落とした」

「そうですか」


 光喜にはまだこちらでまともに話せていない。礼を言わなくちゃな。

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